疑似恋愛
俺は、その日から時折考えるようになった。
古本屋で立ち読みしているときも、自室で勉強をしているときも、妹のために料理を作っているときも。
彼女の人生について。
生まれた時点で、死ぬことが決定付けられて。それだけが多くの人から望まれて。
彼女の背負っているものは、とんでもない重責だろう。
俺は、そこで身勝手な“思い込み”をした。
河合が責任を果たすまでの一年のなかで、彼女の夢を叶えるサポートが出来ればいいのではないか、と。
余計なお世話だと思う。結局は俺が、バスケ部部長の怪我を負わせた罰から逃げて、偽善行為を行い愛撫しているだけだ。そういうことをしている自分が可愛いだけ。
それでも、見過ごすわけにはいかない。
そんな矛盾を抱えたまま、俺は彼女にひとつの提案をすることにした。
「疑似恋愛」を。
いつも通りの鬱屈とした雨。彼方では雷鳴が轟いている。
河合はその茶色がかった日本人としては明るい色素の瞳で、暗く陰鬱とした空を見ていた。この屋上で。
そんな彼女に声を掛けた。
「なぁ、俺ってさ。異性に対して『君』って言うタイプなんだ」
「うん」
「でも、特別な人には『お前』って言う。妹の歩美とかな」
「……なにが言いたいの?」
俺は息を吸った。ひどく口が乾いていた。
「俺に、君を『お前』って呼ばせてくれないか?」
河合は切れ長の目でこちらを見た。その瞳は怪訝な色を浮かべている。
「同情なら、いらないって言ったでしょ」
「違う。俺は……本気なんだ」
しばし見つめ合うこと三十秒ほど。
彼女は観念したように溜息をついた。
「どういうつもりか知らないけど、ひとつだけ言っておく」
「なに?」
「その、恋人? になってあげるけど。でも私、あなたのこと“好きになること”は無いよ。あくまで傷の舐め合い相手、ってだけ」
「……それって」
すると彼女は悪魔的な微笑を湛えた。
「あなたがバスケ部の部長の怪我を、本当はどう思っているか、とかね」
「――っ」
そんな神経を逆なですることを吐き捨てたあとに、彼女はスカートの片方のポケットからあるものを取り出した。
それを俺のブレザーの胸ポケットにしまった。
「無いとは思うけど、まずはこれを使えるようになるまで私を虜にさせてみせてよ」
そう言い残した河合が屋上から去る。それを確認した後で胸ポケットの中を確認する。
――コンドームが入っていた。
「あいつ、何なんだよ」
最初は愛くるしい小動物のようだと思った。だが、こうして欲情を誘ってきたりもする。情緒が不安定なのか?
「ああー、キャラが掴めねぇ」
無天神社、本殿。
座敷に正座した河合は、壁に飾られている伊藤博文の肖像画に頭を垂れた。
太平洋戦争が終結し、米国に朝鮮半島と日本の実権が握られた。その後、昭和天皇とGHQとの度重なる会談によって、複雑なピラミッドを構築することで日本の植民地化は防ぐことが出来た。
今なお、その三角関係の均衡を保っている動きをしてくれているのは、伊藤博文の末裔なのだ。
「ありがとうございます」
すると常間を歩く音がした。
「帰っていたのね。今日も先生方がいらっしゃるから、部屋にいなさい。謁見だけは絶対にしないように」
河合は頭を下げた。
上流階級の人間に、人柱を謁見させることは絶対にしてはならない。人柱にはそもそも人権は無いし、穢れであるからだ。
まず、人間として扱ってはならない。
こうして衣食住を与えてくれているだけでも、代理母の“ご厚意”なのだ。
百年前なら、地下に軟禁されその日が来たら処刑されていたるだけの存在だった。
しかし現代では天命を全うするまでは、普通の少女としての生活が保障されるのだ。
嬉しいことこの上ない。
だと、思う……。
自室に入り、椅子に腰かける。
――ピコン。
ラインのメッセージが鳴った。
誰からだろう。河合は記憶をさかのぼりながらメッセージボックスを開くと、雨霧雷太からだった。
『なぁ、一緒にバイトしない?』
「はぁ?」
バイト……別にそんなことしなくても政府からこの天命を全うするために、慰謝料のような意味合いの税金を貰ってはいるし、働かなくても……
「一緒に働いて。その金で一緒に遊んで。金が無くなったらまた働いて。そういうの、憧れていたんだよ」
まぁ、そういうのに憧れる気持ちは分からないでもない。
簡潔に『分かった』というメッセージを送った。




