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イミテーション・レイン  作者: 彼方夢


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10/12

歪な家庭環境

 梅サイダーの瓶が二本入った東急ハンズの紙袋を持ちながら歩いていた、俺。

 脳裏では、天音さんの養子縁組の話が幾度も反芻していた。正直、嬉しい誘いだった。

 天音さんと母親の家庭は、とてもいびつだった、と亡くなった俺の父から話は聞いていた。


 母の父(俺にとっては祖父にあたる)がアルコール中毒で癇癪持ち。いつも酒を飲んでは暴れて、娘(天音や母)を殴ったこともあったそうだ。そんな状況が十年続いたある晴れの日。その妻が首を吊って自殺。父は猛省したが周囲からの厳しい叱責に耐えられず、結局腐っていく。そのとき交流のあった半グレとの博打で大損し、借金の取り立てのために静子(雷太の母)の身体を一晩売り渡した。その光景を見るしかできなかった天音は、心に深い傷を負った。

 それから二人は成人し、袂を分かれることになる。天音は頑なに静子の療養を望んだが、静子の腹にはもう雷太がいた。静子の結婚相手の春樹を信用したが、雷太が六歳の時に交通事故で亡くなる。

 そしてその辺りから、いや、もう既におかしかったのかもしれないが、静子のホストクラブ通いが始まり、どんどんエスカレートしてとうとうホストの子を妊娠させてしまう。そのことに天音は激怒した。だが、感情に任せて叱責するのではなく、産婦人科のあとに心療内科も受診するように、と約束だけを取り付けた。

 結果、病名は「愛着障害」だった。


□■□


 俺は腕時計を見た。もうそろそろ予定の列車の到着時刻だ。少し小走りで駆け出すと、心臓が驚きで跳ね上がった。

 先ほど、太っていて可愛いと思った三毛猫が腸を垂れ流しながら死んでいたのだ。車に轢かれたのだろう。

 幸福も。不幸も。そして唐突に来る生命の終わりも。どれも均等で、誰しもが平等だとしたら……

 そこまで妄想して、つい鼻で笑ってしまった。

 幸福な奴はどこまで行っても幸福だし。不幸な奴は天地がひっくり返っても不幸だ。突然に命の灯が消えることも、防ぐことなど出来やしない。

 人生、そんなに都合よく出来ていないんだよ。



 いつも通り夜も雨が降る。いつになったら月が見れるようになるのだろうか。

 俺は自室のカーテンを閉めて、交換手帳なるものを開いた。

 そこには箇条書きでこう記されていた。

「どうして雷太は私のことを好きになったのか、十個答えて!」

 思わずにやけてしまう。クイズ形式なのも笑えてしまうし、愛情表現が彼女らしい不器用なところも愛らしい。

 ペラ、とページを捲る。

「晴れたら君がしたいこと」

 俺の思考が数秒止まった。これって、河合が死んだ後のことを書け、ってことだよな。

 もう、かれこれ三年間、雨が降り続いている。東京や各地方も沈殿し出したとか、このままいけばどこかの地域は確実に水没するだろうとか。そうなれば、海流にも影響があったり、海層断裂が起きて大地震が、とかもはや陰謀論で片付けられないようなことが毎日鬱陶しいくらいテレビやネットで流れて、噂されて、嫌気が刺していた。それが、もう終わって、日常に戻る。

 でも、その日常に君、いや、「お前」はいない。だから日常に戻れる。

 俺は、その欄にこう書いた。

「君のことを守り続ける」

 我ながら、意味不明なことを書いたなとも思う。

 だが、これが思いつく限りの最善策。

 この言葉を体現すれば、彼女を救うことも、同時に日常を取り戻すことも出来る。

 手帳を閉じて天井を見上げた。少し、目が潤んでいたので目元をぬぐった。



 熱、三十八度五分。

 布団で眠っている歩美の身体から体温計を抜き取り、保育園の連絡帳に「三十八度の高熱のため、お休みさせていただきます」と書いた。ミニーマウスの連絡帳の表紙は、もうすっかりぼろぼろだ。それを撫でながらつい、「ごめんな」とぼやいてしまう。

 母は今日もホテルで過ごしている。そのベッドの隣にはきっと母のことを金としか見ていない、ホストがいるのだろう。

 インターホンが鳴った。俺は保育士の先生に頭を下げてから連絡帳を手渡して、もしかするとしばらく休むことになるかもしれないと言った。

 家庭の事情を知っている若い保育士は、バスの中を覗き込んでから、躊躇いがちに財布を取りだした。俺は首を大きく振った。

「ごめん。本当は駄目なんだけど……」

「そんなの、いいですって」

「でも」

「それ、大人の暴力ですよ」

 保育士の表情は一瞬引きつったが、その言葉は力のない少年の精一杯の社交辞令なのだと察してくれたのか、財布を閉まってくれた。

 バスが去っていく。

「学校行けないよな。ま、いっか。いじめられっ子は引き籠ったほうがいいんだし」

 河合に会えないのは残念だけど。

 俺は家に戻っていた。

 



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