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金賞いちご  作者: やしゅまる


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第9話「届かせ方」

 夜のハウスは静かだった。

ビニールの天井に水滴が浮かび、電球の淡い光が葉を照らす。

いちかは一人、収穫パックを前に腕を組んだまま動けずにいた。


 彩葉に言われた言葉が、ずっと頭を離れない。


『味は最後。そこに辿り着いた客だけが舌を使う』


「…最後って何よ」


 悔しいというより、むしろ怖かった。

味を追っているつもりで、実は競技場にすら立ってなかったかもしれないと気づいたからだ。


 部屋に戻ると、机の引き出しから父のノートを取り出した。

黄ばんだ紙にびっしりと数字と走り書きの矢印が走る。


――味→菌→リン酸


 ページの隅に父の字で小さくこう書いてある。


《余韻は菌と土》


 その先が白紙だ。

まるで突然、父の時間だけが止まったように。


「父ちゃん…届かせ方、知らんかったん?」


 言った瞬間、胸の奥がズキッと痛んだ。

父を責めたわけじゃない。ただ、父はここまで来て、止まった。

自分はその続きをやりたいだけだ。


 スマホを掴んだ。


《彩葉さん、行っていい?》


 送信して数秒後、既読もつけず返ってきた。


《来たらええ。覚悟できた顔で》



 工房の扉を開けると、彩葉は箱詰めの途中だった。

いちかを見るなり、じろっと目を細める。


「あらいっちゃん、やっと“負け顔”やね」


「負け顔ってなんよ」


「負けを認めた人間は学びの段に入るとよ。農家はそこに時間がかかる」


 くやしいが反論できない。

彩葉は手を止め、


「よし、届かせ方ん話いこう」


と椅子を引いた。



「届かせ方は4つしか無い」


 画用紙に太く書く。


 距離/時間/温度/衝撃


「この4つが味を削る。届かせ方は味を守る技術でもあると」


「技術…」


「いっちゃん、農家は味を作るやろ。

でも客は届いた味しか知らんと」


 次の瞬間、彩葉は収穫パックをひょいと持ち、


「素材いただき〜」


と言いながら4つに分け始めた。


「今から全部同じ粒を条件だけ変えて舌で比較してもらう」


 いちかの背筋が伸びる。これは逃げられんやつや。



 彩葉はまず1つめを出した。


「一つ目。即時・常温。ハウス直後に一番近い状態」


 かじると、果汁が舌の中央で跳ね、酸味が輪郭を描き、その後香りがすっと立つ。

いちかは自然と言葉がこぼれた。


「—素直」


「二つ目。即時・冷蔵」


 冷たい。表面の香りが締まり、酸の輪郭は細く、噛み始めの甘みは後ろに遅れた。

味の構図がさっきと丸ごと違う。


「—香りが遅れとう」


「三つ目。距離あり。冷蔵+6時間遅延シミュレーション」


 噛み始めに“水”の味が出た。香りも甘みも後方に押され、余韻が薄い。

いちかの眉がよじれる。


「これ…弱い…」


「四つ目。衝撃あり。配送想定で揺らしとる」


 噛んだ瞬間に繊維が崩れ、果汁が散って終わった。

甘みが立つ前に液が先に舌を濡らし、余韻もほぼ無く消えた。


「…同じ?」

いちかは呟いた。

それは質問というより、敗北の確認だった。


「全部いっちゃんのいちご。全部同じ粒。問題は“届き方”だけ」


 彩葉は淡々と言う。


「味は最後の審判やけん、届かん味は無いのと同じ」



 いちかは椅子に沈んだ。

ハウスでの努力、菌の実験、CECの数値、余韻の追求。

全部“届いて初めて存在する”なんて聞いてない。


 彩葉はさらに刺す。


「農家は味を努力して作るけん誇っとる。でもね、客は届いた味だけで判断する。

この差を埋めんと勝負にすらならん」


 胸の奥で何かが音を立てて崩れた。

同時に別の何かが立ち上がる。


(じゃあ彩葉さんは…届かせ方で…綺羅にも届いとう…ってことやん)


 そう思った瞬間、彩葉はくすっと笑った。


「来年はうちも京極のイチゴに勝つつもりやけんね。贈答市場で」


「うちは品評会で勝つ。味で勝つって決めたけん」


「なら届かせ方は外せん。届いて初めて味は答えになる。

いっちゃんの父ちゃんは味主義の人やけん、そこが空白なんよ」



 家に戻ると、いちかは濡れた手も拭かず父のノートを広げた。


――味→菌→リン酸→……


 空欄の右側に、自分でそっと書いた。


――届かせ方


「ここまででようやく味の番が来るんよね…」


 ページを閉じると、スマホが震えた。彩葉さんだ。


《届かせ方クリアしたら次は“舌の評価”。

品評会はそこが戦場。いっちゃんの敵は京極やろ?

ま、うちの敵でもあるけどね笑》


 指が震えた。

恐怖じゃなくて、血が沸く感覚。


「京極綺羅…味で超える」


 小さく呟いた声は、思ったより強かった。

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