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金賞いちご  作者: やしゅまる


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第8話「財布が開く瞬間」

朝の光がハウスのフィルムに薄く広がっていた。

 いちかは父のノートを閉じ、スマホのメッセージ画面を見返す。


《了解。次は“期待値の温度”から入ろう。》


 畠山調の返信。それは“次の扉がある”という宣言だった。


(彩葉さんに見せて確かめたいんよ…これで合っとるか)


 前みたいに“教えてください”じゃない。

 今回は“味を届けるための導線”に自分の感覚が触れた確信があった。



 昼下がり。

 いちかは軽い呼吸で彩葉の工房を訪ねる。


「彩葉さん、おると?」


 扉を開けると彩葉は作業台にも座ってない。

 パッキング材や箱が積まれた奥でキャップをかぶり、靴を履いていた。


「あぁ、いっちゃん。ちょうどよかとこ来たね」


「見せたいもんあるんよ。合っとるか確かめてほしい」


 彩葉はくすっと笑う。


「ふ〜ん…やっと“確かめたい”って言うようになったね。いいやん」


 いちかは差し出したパックを抱えて説明を始めようとしたが、彩葉は手のひらを立てて遮る。


「説明はよかよか。だいたいどこまで成長したか分かるけん、あと導線の答えあわせは現場でしか成立せん」


「現場ってどこよ」


「財布が開くとこ。乗って」



 軽バンが市内へ入る。

 夕方の交通量、信号、歩道の人波。

 いちかは少し緊張していた。


(財布が開くとこ…って言い方よ)


「彩葉さん、味で勝負する場所じゃないん?」


「勝負は味の前に九割決まっとるとよ」


 博多阪急の正面で車が止まる。


「催事やけん、動線、用途、温度が全部出てくる」



 催事フロアは混雑していた。

 苺だけじゃない。果物、焼き菓子、ジャム、チーズ、紅茶。

 並びが全て“贈答か自宅か”で分かれている。


 まず彩葉は表情ひとつ変えず指さす。


「ほら、ここ見て。“試食で勝負”と思うやろ?違うとよ」


 客は試食台の前で止まるが買わない。

 しかしその横の地味なブースで財布が開く。


「えっ、なんでそっちなん?」


「用途。見てみ」


 POPにはこう書かれていた。


《明日のフルーツサンドに最適》

《ケーキ屋ご用達品種》

《子ども安心粒》


 客の口が答えを言う。


「これサンド用に丁度いいねぇ」

「子どもにいいサイズやん」


 いちかの心臓が強く跳ねた。


(味より…使われ方で買われとる…?)


 彩葉はさらに追い打ちした。


「客は舌で買わん。生活で買うと」



 別の棚では箱が縦に並んでいた。

 鮮度よりも“取り扱いやすさ”が優先されている。


「導線は期待値を整える工程」


 彩葉は指で棚の高さを示す。


「粒が揃っとるのは“綺麗”の期待値。

 箱の高さは“潰れない”の期待値。

 用途表示は“失敗しない”の期待値」


「味は?」


「最後。そこに辿りついた客だけが舌を使う」



 いちかは飲み込んだ。


(父ちゃんは味を書き残した。

 調さんは温度を言った。

 彩葉さんは用途と期待値…)


 線が繋がる音がした。



 小さな贈答コーナーの横にいちごの竹箱が並んでいた。

 POPにはこうあった。


《予約制/冷蔵配送/用途:贈答》


 値札は高い。しかし客は迷いなく予約台帳に名前を書く。


(あれ…贈答って…勝負がもう付いとる…)


 彩葉が淡々と言う。


「贈答は“失敗できない市場”やけん、導線が最も強く働く」


「品評会は…味勝負やろ?」


「いっちゃん、審査員は用途の無い食客や。

 だから導線が強く働く。

 評価ポイントは“味が届くまでの妨害が無いこと”」


 いちかは崩れ落ちそうになる。


(品評会すら味だけじゃ決まらんと…?)



 帰り道、彩葉はまとめた。


「導線は飾りじゃなく、味に到達させるための設計やと」


「味が答えやけん…じゃあ…そこに辿りつかせるとが導線なん…」


「そう。次は“届かせ方”。ここまで来たならいける」


 いちかの視界に、父のノートの空白が浮かんだ。

 味→菌→リン酸→……空欄。


(父ちゃんが止まったその先、うちが書くんよ)


 軽バンは暮れかけの街を抜けた。



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