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金賞いちご  作者: やしゅまる


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第7話「期待値の温度」

 彩葉の工房から帰った翌朝。

 いちかはハウス前の水道で手を洗いながら、ぼんやり空を見上げていた。


(導線……って、何から手ぇつけると?)


 昨日まで“味さえ正義”の生き方をしてきた人間には、見せられた世界が広すぎた。


 キッチンのテーブルには父のノートが開きっぱなし。

 味のコメント、糖度、香り、そして急に菌のページで止まっている。


(父ちゃんも途中で止まったんやろか…)


 ノートの端には小さな字で一行だけある。


――“味は届けてはじめて意味を持つ”


 いちかはその意味をまだ半分も掴めてない。



 ハウスに入る。

 とりあえず彩葉の言っていた“第一印象”をやってみる。


 粒を揃える。

 ヘタを整える。

 アルミシートで反射。

 ミラーパックに立てて並べる。


 しかし――


「……なんか違うっちゃ」


 違和感の正体は“目的がないこと”。


 並べること自体が目的になっていて、本来あるはずの


 期待値を積む


 という工程がどこにもない。


 導線は「飾る作業」ではなく

 「期待値をコントロールする技術」だということを

 いちかはまだ知らない。



 昼過ぎ。

 畠山調が軽トラで来た。


「おはよう、いちかさん。」


「調さん。ちょうど見せたいもんあったと」


 いちかは自信ありげにパックを差し出す。

 調は眉ひそめるでもなく淡々と一言。


「温度が死んどる。」


「はっ!?見た目ちゃうと?」


「見た目は二番。舌は温度に大きく左右される。」


 調は小型の温度計をパックに近づける。


「糖度は温かすぎると消える。冷たすぎると香りが沈む。

 余韻は温度域で変換される。」


 いちかの脳が固まる。


(そんなことすら気にしとらんやった……)


 調は続ける。


「それと綺羅の竹箱。あれ、デザインちゃうよ。温度やけん。」


 心のど真ん中に刺さる。


(あいつ……最後まで“合理”やったん……)


 王者は最後まで王者。

 いちかの憧れも嫉妬も全部そこで止まる。



 調は箱のサンプルを軽トラから運び出す。


 ・スチロール

・段ボール

・木箱

・竹箱


 それぞれの熱伝導率と湿度保持の説明を数字なしで――しかし逃げ場なく――語る。


「導線は期待値の温度曲線を設計すること。

 食べるまでの時間に沿って変動を読まなきゃいかん。」


 いちかは頭抱える。


(導線って…ただ可愛くするんやなくて

 “味に届かせる物理”やん……)


 父のノートが一瞬フラッシュバックする。

 “味→菌→リン酸”…そして止まったページ。


(父ちゃんが止まったとこ……たぶんこの手前なんや…)



 夕方、自宅の台所。

 いちかは素材を集めて温度保持の実験を始めた。


 新聞紙、タオル、保冷剤、プラパック、紙袋。

 時間をずらして母に食べ比べしてもらう。


 結果――


 ・甘いけど香りが無い

 ・香りあるけど余韻が消える

・色が沈む

・舌に残らん


 つまり全部失敗。


「味に届く前に死ぬとか…意味わからん…」


 味は強い。

 だが導線が弱すぎる。



 その時、母が一粒つまんで言う。


「いちかのん、冷えたら美味しゅうないね。」


 いちかの目がカッと開く。


(うちの品種は…冷えると負けるんや…!)


 つまり導線は


 品種ごとに設計する


 必要がある。

 汎用なんて存在しない。


 そして彩葉の声が脳内に蘇る。


――“いちごはパックの花瓶ばい!”


 いちごは飾られて届けられ、期待を育てられ、

 食べられてはじめて作品になる。



 その夜。

 いちかはスマホを握りしめ調にメッセージ。


「彩葉さんにまた会いたい。

 見せたいもんできたけん。」


 即返信が来る。


《了解。次は“期待値の温度”から入ろう。》


 画面の光がいちかの瞳に反射する。


 父が止まったノートの先を

 自分が書く番が来たと気づいた瞬間だった。

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