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金賞いちご  作者: やしゅまる


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第17話 『色は、入口になる』

彩葉のアトリエは、畑の横にあった。


 白い壁。大きな窓。風に揺れる薄いカーテン。

 いちごのハウスとは違う、どこか柔らかい空気。


 その裏手に、小さな堆肥場があった。


「……なんか、匂いが違う」


 いちかが鼻をくすぐらせる。


 甘い。

 柔らかい。

 ほんのり、花。


 山は小ぶりで、黒というより――薄い桃色がかって見えた。


「堆肥って、こんな匂いする?」


 仁花が眉をひそめる。


 彩葉はしゃがみ込み、指で山を崩した。


「裏方やけどね、香りは裏切らんとよ、いっちゃん」


 崩れた断面から、ふわっと花の匂いが立つ。


 いちかは思わず顔を近づけた。


「……良い匂い!花の匂いばい」


「廃棄花。規格外。捨てられるやつ」


 彩葉は淡々と言う。


「材料は?」


「バラの花、米ぬか、籾殻ちょっと。糖蜜少し」


「バラ!? 畑に!? 贅沢すぎやろ!」


 仁花が素で叫ぶ。


 彩葉は肩をすくめた。


「入口は香りたい」


 いちかの胸に、言葉が引っかかる。


「堆肥で……入口?」


 彩葉は立ち上がり、まっすぐいちかを見る。


「人はね、口に入れる前から味を想像しとる」


 風が、花びらをひとつ運ぶ。


「香りで“期待値”が決まるとよ」


「期待値?」


「そう。甘そう、華やかそう、軽そう。脳が先に決める」


 いちかは、最初の品評会を思い出す。


 綺羅のいちご。

 食べる前から、負けた気がした。


「味は答え。でもね」


 彩葉の声が、少し低くなる。


「答えの前に、問題文がある」


 いちかの背中がぞくりとする。


 ――味が答え。

 ――土は問い。


 調の言葉が重なる。


 問いの前に、問題文。


 役割が違う。


「入口で“甘い物語”が始まったら、舌はその物語に乗る」


「それ、ずるくない?」


 思わず口をついて出た。


 彩葉は、笑わなかった。


「戦いやろ?」


 静かな一言。


 仁花が横でニヤニヤする。


「いちかは味で殴るタイプやけんな」


「殴って何が悪いと」


「悪くない。でもな」


 仁花は桃色の山を指差す。


「これは殴る前に心を奪うやつや」


 彩葉が小さく頷く。


「第一印象で殺す」


 いちかは、黙る。


 彩葉はコンテナからいちごを出した。


 淡いピンクのパック。花瓶のような形。


「食べてみ」


 いちかは一粒、取る。


 近づけただけで、ふわっと甘い香り。


 まだ口に入れていないのに、脳が「甘い」と言う。


 噛む。


 確かに甘い。

 でも、糖度が飛び抜けているわけではない。


「……軽い」


 いちかが呟く。


「でも、印象が残る」


 彩葉が微笑む。


「余韻は綺羅の専売特許やけどね」


 一拍。


「第一印象は、私の領域」


 その目は、冗談ではなかった。


 いちかは、父を思い出す。


 味は鋭かった。

 でも包装は、無頓着だった。


 段ボール。新聞紙。

 それでも「味が答えやけん」と言っていた。


 彩葉がぽつりと言う。


「お父さん、入口で損しとった」


 胸に刺さる。


「でも味は凄かった」


 いちかは拳を握る。


 父は、途中で終わった。


 味。

 菌。

 リン酸。


 そこまで。


 入口は、なかった。


 彩葉が真顔になる。


「いっちゃんの堆肥は何色にすると?」


 風が止まる。


 黒は受け止める。

 赤は攻める。

 白は余韻を編集する。

 桃は華やかな入口。


 自分は――?


 答えられない。


 彩葉は急かさない。


「色は思想やけん」


「思想……」


「堆肥は性格が出るとよ」


 仁花が腕を組む。


「いちかは何色でもないな、今」


「うるさい」


 でも、その通りだった。


 黒も知らなかった。

 白も扱えない。

 赤も怖い。

 桃は理解したばかり。


 まだ無色。


 彩葉が、少しだけ優しく言う。


「焦らんでよか」


「色は、混ざるけん」


 いちかは堆肥山を見つめる。


 ほんのり桃色。

 優しく、でも意思がある。


「……綺羅の堆肥、見たことある?」


 彩葉の声が、少し低くなる。


 空気が変わる。


「作品ばい、あれは」


 仁花が呟く。


「色とかいうレベルやなか」


 いちかの鼓動が速くなる。


 綺羅。


 

 飲み込んで香るいちご。


「行く?」


 彩葉が言う。


 挑むようにではない。


 確認するように。


 いちかは迷わなかった。


「行く」


 味で超えると決めた。


 でも、入口も、舞台も、菌も、攻めも、全部知らんままでは戦えない。


 まだ自分の堆肥はない。


 でも、色を考え始めた。


 それは、父の続きを書く一歩。


 夕方の空が、橙に染まっていた。


 桃でも赤でもない。


 少し深い、温かい色。


 いちかは、その色を見上げる。


 まだ名前はつけない。


 でも、胸の奥に、何かが灯っていた。


「次は、本丸やな」


 仁花が言う。


 彩葉が静かに頷く。


 風に乗って、花の匂いが残る。


 色は、入口になる。


 いちかは一歩、踏み出した。

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