【第1話】壁の高さは金の色
久留米シティプラザ。
大ホールは、いちごの香りと緊張で満ちていた。
年に一度の“久留米いちご品評会”。
観客席には、農家だけじゃない。市場関係者、百貨店のバイヤー、有名シェフ、食品メーカーの開発、メディアまで来ている。空気がピリついている。
紅野いちか(20)は、出品箱を抱えながら震えていた。
家業のいちご農家を継いで、初めての挑戦。母が横で涙目になってる。
「大丈夫、いちか。うちのいちご、いっちゃん美味しいけん」
「うん……味は勝っとるけん」
いちかは食べて判断する農家だった。
糖度も、酸味も、水分も、舌で読む。
病気の気配も、株の姿を見ればすぐ分かる。
感覚で“味の答え”を掴む天才だった。
ただ――分析値は読めないし、微生物は雑に扱うし、流通やブランドなんて考えたこともなかった。
審査が始まる。
項目は細かい。
✔ 外観
✔ 色
✔ 香り
✔ 熟度
✔ 糖酸バランス
✔ 余韻
✔ 重量
✔ 技術性
✔ 均一性
(味が答えやろ?食べたら分かるって)
いちかはそう思っていたが、審査員の手元のメモが目に入る。
→「粒の揃い△」
→「色ムラ」
→「パックの見せ方惜しい」
(え、そんなん見るん?)
ギャップがある。
彼女の世界は“味”だったが、審査の世界はもっと立体だった。
そして――表彰式。
司会
「金賞――京極綺羅!」
会場がざわつく。百貨店バイヤーが前のめりになる。
静かに壇上へ上がる女性。黒髪をまとめ、姿勢が綺麗で、無駄な動きがない。
京極綺羅(24)。
田主丸で“熟香王”と呼ばれる絶対王者。
綺羅のいちごは、食べた瞬間ではなく“飲み込んだ後”に香りが返る。
喉から逆流するような余韻。香りが尾を引く。
市場では扱いづらい。
だが品評会では最強。
次々と順位が続く。
「銀賞――畠山 調!」
王道の完成度。土壌医らしい総合点の高さ。
CEC、EC、pH、リン酸固定。全部読める農家。
「銅賞――相良仁花!」
仁花の箱は、粒が太くて重い。
“地力で殴る”タイプ。
「審査員特別賞――宇良 彩葉!」
いちごが花束みたいに見えるパッケージ。
審査員の視線が食う前に奪われる。
「技術賞――蔵本 澪!」
技術賞の理由は“菌の協奏”。
光合成細菌、乳酸菌、酵母。微生物の深みで香りが伸びている。
さらに追い打ち。
「入賞――蔵本 澪!」
(ダブル受賞!?)
会場がざわつく。
そして入賞の名前が20人ほど読み上げられていく。
母がいちかの手を握る。
「いちか……」
「……」
そして司会が締める。
「以上をもちまして入賞発表を終了します」
沈黙。
いちかの名前は呼ばれなかった。
(味が答えって……嘘なん?)
笑っていたが、顔は固い。
母は何も言わなかった。
ロビーではバイヤーと受賞勢の商談が始まっていた。
「綺羅さん、今年も百貨店企画でぜひ」
「調さん、また企業案件お願いします」
「仁花さん、あの太さは武器です」
「彩葉さん、パッケージ教えてほしい」
「蔵本さん、技術賞すごいですね」
“同じいちご農家”ではなかった。
市場が求めてるのは彼女たちだった。
いちかは試食コーナーで綺羅のいちごを一粒取った。
噛む。甘くないわけではない。
飲み込んだ瞬間だった。
喉の奥から香りが返る。
ふわっと、花の香りの余韻。
「……うそやん」
母は小さな声で言った。
「これ、香りで勝負しとんね……」
(こんなの反則やろ……)
悔しさと衝撃と嫉妬と敬意が混ざる。
駐車場。
いちかは受賞勢の会話を偶然聞いた。
仁花
「緑肥増やす!もっと地力で押し切ったる!」
調
「堆肥と水管理の再配合。改善には年単位かかる」
蔵本
「菌は裏切らない。培養は倍に増やす」
彩葉
「審査員は一秒で決める!見栄えを極める!」
綺羅
「作品は畑で作る。勝負は流通前に終わる」
(全員、本気で戦っとる……)
車に乗り込んだ時、母が言った。
「悔しいなら、悔しいって言ってよかとばい」
いちかは小さく吐いた。
「……悔しい」
帰宅後。
父の遺品のノートを開く。
“一番学ぶのは、負けた年”
いちかは涙を拭いた。
「来年、金賞獲る。綺羅の香りに勝つ」
母は笑った。
「うん。やろう」
(味が答えやけん。なら香りも余韻も全部、味にしてしまえばいい)
戦いはこれからだ。




