喫茶店という結界
ドアベルが、控えめな音を立てた。
チリン――という短い余韻が消えると同時に、
コーヒーの香りが、静かに肺の奥まで入り込んでくる。
古い木の床。
磨き込まれたカウンター。
壁掛け時計が刻む、規則正しい秒針の音。
喫茶店「エクリプス」。
外の喧騒は、扉一枚で完全に遮断されていた。
まるでこの場所だけが、時間の流れから切り離されているかのようだった。
カウンターの内側で、制服姿の少女が顔を上げる。
長い黒髪。背筋の伸びた立ち姿。
無駄な動きは一切ない。
夜凪ほのかだった。
「……いらっしゃい。座って」
声は穏やかだった。
だが、その瞳の奥には、明確な緊張と――
“状況を測る者”の冷静な光が宿っている。
カウンターの奥では、ほのかの父が黙々とコーヒー豆を挽いていた。
ミルの低い音。
湯気の立つポット。
何も知らない日常の音。
それらが重なり合い、この店をひとつの“結界”のように包み込んでいた。
「……あなたが、ヒカリさんね」
「え、あ……はい」
ヒカリは背筋を伸ばす。
理由は分からない。ただ、この場では誤魔化しが通じないと、本能的に感じていた。
「緊張しなくていいわ。ただ、知りたいだけ」
「……何を、ですか?」
ほのかの視線が、ヒカリの胸元へと一瞬だけ落ちる。
ネックレス。
それが、言葉よりも雄弁に何かを語っているかのようだった。
「守護者のこと」
静かな声。
「あの光の中で、あなたは何を見た?」
ヒカリは、息を呑んだ。
逃げ場はない。
それでも、不思議と恐怖はなかった。
「……夢を、見たんです」
言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。
「すごく大きな木みたいな……
空まで届くような……根が、世界中に伸びていて……」
喫茶店の時計が、かちりと音を立てる。
「それで……声が聞こえて……」
「声?」
「“世界が枯れていく”って……
誰かが、泣いてました」
沈黙が落ちた。
かなでは、無意識に拳を握り締めている。
爪が掌に食い込むほど、強く。
ほのかの表情が、ほんのわずかに変わった。
迷いが消え、何かを確信した目になる。
「……やっぱり」
「やっぱり?」
ヒカリの問いに、ほのかは小さく息を吐いた。
「妖精たちは――」
一拍、間を置いてから、静かに言い切る。
「何かを、隠してる」
喫茶店の結界は、まだ壊れていない。
けれどこの瞬間、
真実へと続く扉は、確かに開かれた。




