夜風の声
夜。
遠くで、風の鳴る音がした。
ふと、ヒカリは目を開ける。
部屋は暗く、
窓から差し込む月の光だけが、畳の上に細い筋を描いていた。
――呼ばれている。
そんな気がした。
誰かの声がしたわけではない。
それでも、心の奥が静かに引かれていく。
布団を抜け出し、
足音を忍ばせて障子を開ける。
庭に出ると、夜風が冷たく頬を撫でた。
月明かりに照らされた庭は、白く静かに輝いている。
竹の影が揺れ、どこか懐かしい香りが漂っていた。
ヒカリの視線が、自然と一点に吸い寄せられる。
――土蔵。
祖母の家の奥、少し離れた場所に建つ古い蔵。
幼い頃、一度だけ迷い込み、泣きじゃくった記憶がある。
その日から、祖母は蔵に鍵を掛けた。
以来、誰も近づかない場所。
けれど今――
扉に、鍵はなかった。
「……あれ?」
胸がざわつく。
それでも、足は止まらない。
観音開きの扉に手を掛け、ゆっくりと開く。
きぃ……という音が、夜の静寂に溶けた。
中は暗く、ほとんど何も見えない。
そのとき――
小さな窓から、一筋の月光が差し込んだ。
光は、意思を持つようにゆらめきながら蔵の中央へと滑り、
そこに置かれた古びた木箱を照らす。
蓋は半ば開いていた。
中には、銀の鎖が月の光を受けて、かすかに輝いている。
「……ネックレス?」
呟いた瞬間、足が勝手に動いた。
導かれるように、箱の前に立つ。
手を伸ばそうとした、そのとき――
「……お待ちなさい」
静かな声が、背後から響いた。
振り向くと、
土蔵の影に、着物姿の祖母が立っていた。
月明かりの陰で、表情は見えない。
「やっぱり……あなたなのね」
その声には、わずかな悲しみが滲んでいる。
「そうであって欲しくなかった。
あなたは、若い頃の私に――あまりにもよく似ているから」
ヒカリは口を開きかける。
けれど、声にならない。
光に吸い寄せられるように、
一歩、また一歩と前に出る。
「それを手に取るということは……」
祖母の声が、かすかに震えた。
「今日ここで、あなたは選ぶことになる。
もう、同じ場所には戻れないわ」
それでも、ヒカリの手は止まらなかった。
小箱の中のネックレスに、
指先が触れた瞬間――
世界が、音を失った。
視界が暗転し、
遠くで、誰かの声が呼ぶ。
“立花ヒカリ――”
冷たい風が吹き抜ける。
光が弾け、
すべてが闇に溶けていった。




