氷の庭、そして選択
王城の庭には、雪ではない氷が舞っていた。
粉雪のように細かく、だが触れれば刃となる冷気が、静かに空間を支配している。
ヒカリは息を整えながら、女王と向き合っていた。
距離はある。だが、それは意味を成していない。この庭そのものが、彼女の間合いだった。
「ここは、運動には丁度いいわね」
女王は穏やかに言った。
その足元から、音もなく氷が盛り上がる。花弁のように開き、二メートル、三メートルと伸びる氷の花が、ヒカリの進路を塞いだ。
逃げ場は、確実に削られていく。
即死を狙う攻撃ではない。だが、動きを奪い、判断を遅らせ、心を折るための戦い。
――教育。
ヒカリは歯を食いしばり、隙間を縫うように踏み込んだ。
だが氷は地面だけでなく、空間そのものを縛ってくる。
その時だった。
かなでが、静かに踵を返した。
援護に入ろうとして――理解したのだ。
ここは、自分が割り込める戦場ではない。
なら、やるべきことは一つ。
世界樹の根元へ。
管理から外れたように配置された、世界樹の実へ。
「……あら」
女王の視線が、初めてそちらへ向いた。
感情は動かない。興味すら、薄い。
――路傍の石。払えば終わる存在。
女王は指先を軽く振る。
広範囲に広がる、氷の奔流。精密さはない。ただの一掃。
「かなで――!」
ヒカリは考えなかった。考える前に、身体が動いた。
氷の流れに飛び込み、かなでを突き飛ばす。
次の瞬間、世界が白く弾けた。
衝撃。冷気が肉を裂き、感覚を奪う。
ヒカリは地面に叩きつけられ、息を詰まらせた。
そして――胸元のネックレスが、激しく脈動した。
(……っ、アトラ……!)
流れ込んでくるのは、彼の痛み。
削られ続ける命。門を維持するために、すべてを燃やしている感覚。
(……間に合わない……!)
その恐怖が、初めてヒカリの胸を締め付けた。
「ヒカリちゃん!」
かなでの声。
視線の先で、かなでは世界樹の根元に辿り着いていた。
実は、そこにあった。眩いほどに主張することもなく、ただ静かに。
一瞬の躊躇。
それでも、かなでは手を伸ばす。
世界が、息を止めたような感覚。
実は、確かに彼女の手の中にあった。
「……そう」
女王は、その光景を見て微笑んだ。
驚きはない。怒りもない。
理解しただけだ。
ヒカリの選択を。その甘さを。そして、その強さを。
かなでが叫ぶ。ヒカリの名を。戻るために。
ヒカリは歯を食いしばり、立ち上がろうとする。
だが、身体は言うことを聞かない。
女王は、それ以上追わなかった。
庭に、静寂が戻る。
やがて、騎士たちが駆け付ける。
だが、女王は叱責しない。
勝敗は、すでに決している。
女王はワインを手に取り、一口含んだ。
庭の外、遠い空を眺めながら、ぽつりと呟く。
「……長くは生きられないわよ、あなた」
それは呪いでも、脅しでもなかった。
ただの――診断だった。




