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彼女の選んだ世界  作者: taka
最終章 彼女の選んだ世界
108/115

突入 ― 王が賭け、獣が応える

 アトラは、もはや立っていること自体が奇跡に近い状態だった。

 鎧の内側で呼吸は荒く、胸の奥が焼け付くように痛む。それでも彼は、目の前の少女――立花ヒカリから視線を逸らさなかった。


「今、ここで動かなければ……君たちは滅びる」


 その言葉に、ヒカリは息を呑む。


「守るべき世界樹の実は、すべて奪われた。

 ――完全な戦術的敗北だ。妖精の女王は、見事に我々の裏をかいた」


 一度、アトラは視線を伏せる。

 それは敗者の仕草ではなく、事実を整理する者の沈黙だった。


「だが、そこにこそ“隙”が生まれる」


 顔を上げた瞳には、確信が宿っている。


「彼女は優れた王だ。

 だが――戦士ではない」


 静寂が落ちる。


「前線に立たぬ者は、“命を賭ける瞬間”を知らない。

 そして今、彼女は勝ったと思っている」


 アトラは震える足で、一歩前に出た。


「だからこそ……今しかない。

 実を取り戻すなら、この瞬間だ」


 そう言って、彼はクロへと視線を向ける。


「君にとって、侵略者の王に力を貸すなど、理解し難いだろう。

 それでも――頼む」


 クロは、言葉を失ったまま立ち尽くしていた。

 黒い狼の姿をしたその身体が、わずかに強張る。


「彼女たちの未来のために、力を貸してほしい」


 沈黙の後、クロは低く問い返す。


「……なぜ、俺なんだ」


 アトラは、迷いなく答えた。


「君は妖精国を知っている。

 王城の構造も、女王の居場所も、玉座の“奥”も」


 一瞬、言葉を切る。


「そして――

 君が一番、あそこを憎んでいると分かっている」


 クロの肩が、わずかに揺れた。


 脳裏に浮かぶのは、命令と欺瞞。

 使い捨てられた仲間たちの影。

 そして、今も戦場に立つ少女――夜凪ほのかの姿。


 その様子を見て、ほのかが静かに口を開いた。


「……負担が大きすぎるわ」


 感情を交えず、事実だけを告げる声。


「同一世界の空間を繋ぐだけでも、莫大な魔力を消費する。

 それを異世界間で、しかも維持し続けるなんて……」


 言い切らずとも、結末は分かる。

 ――死ぬ。


 ヒカリは、かなでと視線を交わした。

 かなでは何も言わず、ただ強く唇を噛みしめている。


 アトラは、苦痛に顔を歪めながらも、わずかに笑った。


「だからこそだ」


 その声は、静かで、揺るがなかった。


「私は侵略者の王だ。

 そして王である以上……責務を果たさねばならない」


 一歩、また一歩。

 ふらつきながらも、彼は立ち上がる。


「私が生きて戻る計算など、最初からしていない」


 クロに向き直る。


「妖精国を思い描け。

 王城、玉座の間――女王が“勝利”を確信している場所を」


 クロは、ゆっくりと目を閉じた。

 妖精国の地形が、鮮明に浮かび上がる。

 空間の癖、転移制限、玉座周辺の歪み。


 しばらくして、低く呟く。


「……見つけた」


 その瞬間、アトラは片手を前に突き出した。


 空間が、悲鳴のような軋みを上げて裂ける。

 歪んだ四角形の門が、無理やり世界に縫い留められた。


 同時に、アトラの口から血が溢れ落ちる。


「――っ!」


 ヒカリが駆け寄ろうとする。


「アトラさん!」


 だが彼は、震える手を上げて制した。


「来るな……」


 荒い息の合間に、言葉を絞り出す。


「私が奪ってしまった、この世界の未来を……

 どうか、取り戻してほしい」


 真っ直ぐに、ヒカリを見る。


「誰でもない。

 君たち自身の未来のためにだ」


 ほのかが一歩前に出る。


「私はここに残る。

 ゲートの維持を手伝うわ。制御に手を貸せば、負担は減らせる」


 ヒカリは、かなでと視線を交わし、強く頷いた。


 二人は、歪む光の門へと踏み出す。

 背後で、アトラの存在が、確かに削れていくのを感じながら――。

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