奥様の幸せな結婚
1927年 モンゴル。
「奥様!!奥様はどちらでしょうか?!」
ここは代々続く軍人の家系のお屋敷ジャブ家。私はそこに仕える女中のシュウチョ。といってもまだ13才。私の地方の貧しい家に産まれた。小学校が終わると妹や弟達と山まで水を汲み行って戻って来たらお母さんが夕飯を作るのを手伝って夕食後は薪を持ってきてお風呂を炊く。そんな日々を過ごしていた。小学校を卒業するとすぐここジャブ家のお屋敷に奉公に出されたのだ。
「シュウチョ、そんなに騒いでどうしたんだい?」
女中の先輩達が奥様を探す私に気付いて声をかけてくる。
「奥様をさがしているのですが見当たらなくて。」
「奥様って嫁いで来た清の王女様の事かい?」
この屋敷の次男カンジュル様最近お嫁さんをもらったばかり。なんでも清国の王女様だったとか。清国っていうのは世界地図で見るとモンゴルの下にある広い国なんだよ。奥様が教えてくれたの。
「どうせまた馬でも走らせてるんだよ。」
「それにしても変な王女様が嫁いできたよ。」
「本当だよ。婚礼衣装は着たくないって暴れるし」
「10人掛かりで抑えつけて着させたけど大変だったわ。」
「大変なのはその後よ。」
「ええ、初夜のしきたりすら拒むんだもの。旦那様とは寝室も別。」
「困ったものだよ。奥様の我儘には。」
先輩達は暇さえあれば奥様の陰口を言っている。
「ところでシュウチョ、小屋の薪割りをやって来ておくれ。」
先輩に言われて私は小屋に向かう。中には大量の薪が詰まれていた。
「これ全部1人でやらなきゃいけないのか。」
私は仕事が遅い。こないだも洗濯物を干していたら先輩達が大量のシーツや衣服を持って来た。一日かけて
1人で干し終えた。
「えいっ!!」
私は薪を縦にして置くと薪目掛けて重い斧を振り降ろす。でも
「痛い!!」
私は尻もちをついてしまう。
「大丈夫?」
背後から低くも優しい声がする。
「立てる?」
「奥様!!」
振り向くとさっきまで探して奥様がいた。短髪で男性が着るよいうな立襟の絹の衣、デールっていうんだよ。こんな姿でも奥様はお姫様なんだよ。
「2人の時は名前でいいよ。」
「はい、顕シ様」
奥様の名前は愛新覚羅顕シ。愛新覚羅家っていうのは清を治めていた王族一家の名前なの。
「また馬を走らせてたのですか?」
「そうだよ。屋敷の中じゃ雁字搦めになるからな。」
「顕シ様?」
奥様は斧を手に取る。
「シュウチョちゃん、早く終わらせちゃおうか?」
「顕シ様、これは私の仕事です。」
「2人でやれば早く終わるだろう?」
こないだもそうだった。洗濯物が物干し竿の位置まで届かなくて困っていた時奥様がかけてくれたっけ。
「そんな、こないだも助けてもらったのに。」
「屋敷の中でじっとしてるよりはいい。抑えてて。」
私が薪を抑えて奥様が斧を振り降ろす。
薪は2時間ぐらいで全て割り終わった。
「これで全部だね。」
「はい。」
「そうだ、私また顕シ様に中国語を教えてもらいたくて探してたんです。」
「そうだったのか、じゃあ僕の部屋へおいで。」
2人が小屋を出ると先輩達が扉の前に立っていた。
「シュウチョ、もう終わったのかい?」
「はい、」
「だったら買い出しに行ってきておくれ。」
先輩は私に大きな籠と買ってくる物を書いた紙を渡す。
「行こうか、シュウチョちゃん。」
奥様が籠を持つ。
「奥様、わたくし共はシュウチョにお願いしたのです。」
「僕だって買いたい物があるんだ。一緒に行ってもいいだろ。」
奥様は私の腕を引いて歩いていく。
「何あれ?」
「いいじゃない。変り者同士お似合いよ。」
「だけど旦那様に怒られるのは私達だよ。こっちの身にもなってほしいよ。」
「本当だよ、シュウチョは仕事は遅いし奥様は旦那様に逆らってばかり。」
「疫病神が2人も来ちゃったよ。」
「顕シ様はなぜ私にここまでよくしてくださるのですか?」
私達は奥様の馬に乗って市場へと向かう。その道中私は奥様に問いかける。
「君だけだったから、かな。」
「私だけ、ですか?」
「そうだよ、僕の結婚式の日」
奥様は先輩の女中に押さえつけられながら婚礼衣装を着せられていた。傍で見ていた先輩は私に言った。見てないで手伝えとでも私は手伝わなかった。その代わりに一言返した。
「奥様が嫌ならば無理強いするのは良くないと思います。」
先輩は私に頬を打った。痛かった。奥様は無理矢理着せられた婚礼衣装で式に出た。式の最中奥様はずっと無表情だった。
「あの時は私は何もできませんでした。先輩達を止める事も。」
「いいんだよ。僕はただ嬉しかった。僕の気持ちを分かってくれる人がいたのが。」
奥様と私がお屋敷に来てから3年が経った。先輩達は相変わらず私に大量の仕事を押し付けてくる。でも奥様が傍にいれば大変な仕事も楽しかった。だけどそれも終わりを告げようとする夜がやって来た。
私は夜中御手洗に起きて部屋に戻ろうとしてた時、馬小屋から馬を出そうとしてる人影があった。
「誰?!」
私は人影の方に持っていた明かりを向ける。
「顕シ様?!」
「シュウチョちゃん!!」
人影の正体は奥様だった。
「こんな時間に乗馬ですか?」
「いや、僕はこの屋敷を出て行く。しきたりにばかり縛られて暮らすのはうんざりだ。」
「顕シ様!!」
私は奥様に縋り付く。
「行かないで下さい。私はずっと奥様と一緒がいいです。」
我儘なのは分かってる。でも奥様がいなくなれば何を頼りに生きていけばいいのだろうか?
「シュウチョちゃん、僕と一緒に来るかい?」
願ってもない提案だった。私は首を縦に振ると奥様と荷物をまとめ馬に乗った。
私達は駆け落ちしたのだ。
馬は南の方へと走った。
私達はモンゴルの下にある国、清、いえ中国にたどり着いた。奥様の産まれた国だ。奥様は軍の仕事に就いた。男装は変わらないがゲールではなく軍服をよくお召しになる。奥様が仕事に行っている間私が家事をする。家に帰ってくると時間を見つけては勉強を教えてくれた。中国語に日本語、英語、世界史、テーブルマナーなんかも。時折チャイナドレスを着せてくれてダンスホールにも連れて行ってくれた。ホールの皆は私達に視線を送る。燕尾服姿の奥様は私に耳元で囁く。
「シュウチョちゃんが可愛いから皆君を見てるんだよ」って。
ある晩奥様が日本軍の将校を連れて来た。田中隆吉と言って奥様の上官らしい。
「シュウチョちゃんだね。」
田中さんは私に尋ねる。
「はい。」
「実は君にいい話があるんだ。」
そう言って田中さんは冊子を渡す。そこには日本語で「帝都高等女学校」と書かれている。
「シュウチョちゃん、留学をしてみないか?」
奥様が尋ねる。
「学校に通うんだ。ここなら学費も免除できる制度がある。」
「勉強なら顕シ様が教えてくださるじゃないですか。」
「僕だと教えられる事には限りがある。学校で先生から学んだ方がいいよ。」
奥様から紹介されたのは日本の女学校だ。入学するなら当然奥様と離れなければいけない。
「嫌です!!」
私は奥様にしがみついていた。モンゴルのお屋敷を出る日と同じように。
「勉強なんてできなくても顕シ様がいれば構いません!!私はあなたの事がす」
そこまで言うと奥様は私の唇に人差し指を当てる。
「ありがとう。でも僕は君を幸せにはできない。いや、君は僕に頼らなくても幸せになれる。」
私は渋々日本に行く事にしました。
1933年。
日本に来てから3年が経ちました。私は女学校の寄宿舎に入りながら通学し主席で卒業。失恋を紛らわすために猛勉強した甲斐があり特待生として上の学校に進学しました。
「はあ!!」
ある講義の時隣に座っていた綾子さんが大きなため息をついています。
「綾子さん、どうしたの?」
「失恋したのよ。」
「失恋?!貴女婚約者なんていたかしら?」
「この人よ。」
綾子さんは私に一冊の雑誌を手渡してきます。
「奥様?!!」
私は突然大声をあげてしまいます。写っていたのは羽織り袴姿の奥様でした。隣には白無垢姿の女性も写っています。
「川島芳子さんと妻千鶴子さん」
記事の見出しにはそう書かれていました。
「芳子様の事好きだから私狙っていたのに。残念だ
わ。」
綾子さんは再びため息をつきます。
「綾子さん、一緒よ。私も今失恋したわ。」
「今ってどういう事?相手誰?」
「秘密」
私は笑って答えます。
もしも私が日本に行かなければ奥様の隣にいたのは千鶴子さんではなく私だったかもしれません。でも奥様幸せそう。モンゴルでの挙式の時とは違って。奥様、ご結婚おめでとうございます。どうか今度こそは幸せになって下さい。
FIN
今回のヒロインは初のモンゴル人です。
芳子様がモンゴルで結婚生活送っていた頃まだ書いてなかったなって思い書いてみました。
モンゴルでの結婚生活はあまり長続きせず3年で離婚、というか家出したそうです。




