第2部 第1話 新しい予言
春の風が王都の石畳を撫で、子どもたちの笑い声が響いていた。
リアナとアレンの治世が始まって十年。
アステリア王国は、戦も飢えも知らない黄金の時代を迎えていた。
しかし、静寂はいつまでも続かない。
その朝、王城の図書院に勤める少女リディアが、一冊の本を発見する。
表紙には、見覚えのある刻印。
――“未来の記録”。
燃え尽きたはずの魔道書が、再び形を取り戻していた。
◆聖女の娘
リディア・エルシェル=アステリア。
王女であり、リアナとアレンの娘。
十七歳。銀髪に淡い碧眼、母の優しさと父の聡明さを併せ持つ少女。
幼いころから「未来の記録」の物語を聞かされて育った。
だが、彼女自身は信じていなかった。
――未来なんて、誰も知らない方がいい。
そう思っていた。
けれど、その本が彼女の手に触れた瞬間。
ページがひとりでに開き、文字が浮かび上がった。
『王女リディア、十七歳。王国滅亡の記録、ここに始まる。』
心臓が跳ねた。
「……どういう、こと?」
その瞬間、窓の外で鐘が鳴り響く。
黒い煙が王都の方角に上がっていた。
◆炎上する街
城の外では、市場が炎に包まれていた。
原因は不明。だが、炎は風に乗って急速に広がる。
リディアは衛兵たちの制止を振り切り、駆け出した。
「父上! 母上は!?」
「陛下は避難を指示されています! 王妃は聖堂へ!」
リディアは焼け落ちる瓦礫の中を突き進んだ。
その時、再び本のページが勝手にめくれる。
『炎の中、王女は“裏切りの影”に出会う。
その者こそ、新しき記録の継承者。』
「裏切りの影……?」
その言葉と同時に、崩れた壁の向こうから一人の青年が現れた。
黒い髪、深紅の瞳。
剣を片手に持ち、炎の中で立っている。
「……初めまして、王女殿下」
「あなたは……?」
「俺はルカ。――“未来の記録”に選ばれた者だ」
◆二人の出会い
ルカは燃え盛る炎を背に、リディアの手を取った。
「立って。ここはもう危険だ」
「なぜ……記録を持っているの?」
「知らない。目が覚めたら、これを持っていた」
彼の腰には、黒い革装の小型魔道書がぶら下がっていた。
リディアは眉をひそめる。
「それは……禁書のはずよ」
「禁書、ね。だが、あんたの名前が最初に書かれていた」
『リディア王女とルカ、出会いの日――王国再び裂かれる』
彼女の血が凍る。
「王国……裂かれる?」
「つまり、俺とあんたのどちらかが“裏切る”」
リディアは唇を噛んだ。
「そんな未来、絶対に認めない」
その瞬間、本の文字が光を放ち、新たな行が現れた。
『王女、運命を拒絶。記録、反応を開始――改変再開』
周囲の炎が逆流し、時間が巻き戻る。
燃えたはずの街が元に戻り、人々の悲鳴が消える。
リディアは息を呑んだ。
「いま……何が……?」
ルカが呟く。
「おいおい、本当に“記録の娘”だったとはな」
◆母の面影
その夜、リディアは王妃リアナの寝室を訪れた。
母はすでに白髪が混じり始めていたが、瞳の輝きは変わらない。
「お母様……“記録”が、戻ってきました」
リアナの手が止まる。
「……まさか。焼いたはずなのに」
「でも、確かに存在します。私の名前が書かれていました」
リアナはゆっくりと娘を見つめる。
「リディア、あなたは覚えておいて。
記録は未来を示すものではない。――“心の弱さ”を映す鏡なの」
「心の、弱さ……?」
「そう。誰かが“未来を知りたい”と願った時、記録は生まれる。
もし、また現れたのだとしたら……この国に“恐れ”が戻った証拠よ」
リディアは拳を握った。
「なら、私が止めます。お母様のように」
リアナは静かに微笑む。
「いいえ。私は“終わらせるため”に戦った。
あなたは“守るため”に戦うのよ」
◆記録を巡る陰謀
王城の地下で、密かに動く一団がいた。
王妃の失踪を信じない旧貴族たち。
彼らは“未来の記録”を神聖視し、新たな預言者を作り上げようとしていた。
その中心にいたのが――ルカ。
だが本人は何も知らない。
「俺が、利用されてる……?」
リディアは彼を見据える。
「あなたが悪いわけじゃない。でも、“記録”があなたを選んだ理由があるはず」
「理由?」
「きっと、“裏切り”はまだ終わっていないの」
◆夜明けの誓い
二人は王城の塔の上で夜明けを迎えた。
東の空が淡く染まり、遠くから鐘が鳴る。
リディアはそっと呟く。
「もしこの記録が、私たちを試しているのなら――」
「なら?」
「私は、もう一度“愛”で未来を書き換える」
ルカは微笑んだ。
「聖女の娘らしい言葉だ」
風が吹き、ページが一枚めくれる。
『二人の手が触れた時、記録が新たな色を帯びる。
その色は、まだ誰も知らない未来の光。』
彼女は静かに本を閉じ、胸に抱いた。
「お母様。今度は私の番です」




