第1部 第7話 記録を焼く日
春の風が王都の花々を揺らしていた。
あの日から、もう一か月。
王妃イザベラの名は、歴史書の中で静かに「失踪」として記された。
国は穏やかに回り始め、人々の笑顔が戻りつつある。
それでも――私の心の中には、ひとつだけ残った影があった。
“未来の記録”の残滓。
完全に消えたはずのその力が、時折私の夢に語りかける。
「リアナ。人は未来を求める生き物だ。あなたが捨てても、次の誰かが拾う」
――だから、終わらせなければならない。
私の手で、完全に。
◆炎の祭壇
その夜、王城の裏庭に小さな祭壇を築いた。
石の上に古い魔道書を置き、アレンとレナが見守る。
「本当に焼くのか?」アレンが尋ねた。
「ええ。これが最後の“記録”」
レナが震える声で言った。
「でも、これを失えば……未来を知ることができなくなる」
「知る必要なんてないの。もう、選ぶだけでいい」
私は火打石を取り、炎を灯した。
魔道書の表紙に火が移る。
最初は淡い光だったが、やがて赤い炎が渦を巻くように立ち上がる。
その中から、声がした。
――「リアナ。お前の中にも“記録”がある」
炎の中に、無数の文字が現れる。
生まれてから今日までの私のすべて。
愛、憎しみ、赦し、そして……選択。
「それでも、私は今を生きる」
そう告げて、炎の中へ手を伸ばした。
熱は痛みではなかった。
まるで、長い夢から覚めていくような温もりだった。
◆過去との別れ
気づけば、私は記録の中の世界にいた。
白い空間。
そこに、若き日の自分と、そして王妃イザベラの姿が立っていた。
「リアナ……」
王妃は穏やかに微笑む。
「あなたは私の願いを果たしてくれた。もう十分よ」
「……あなたは、本当に私の母だったの?」
「血のつながりはない。でも、心は確かに繋がっていたわ」
王妃が手を差し伸べる。
「この記録を焼けば、私も本当に消える。それでもいいの?」
「はい。あなたが残してくれた想いは、私たちが生きて伝えます」
イザベラは静かに頷いた。
「なら、どうか幸せに」
白い世界がゆっくりと崩れ、光が溢れた。
◆現実へ
目を開けると、アレンの腕の中にいた。
炎はすでに消え、空には満天の星。
レナが涙を流していた。
「リアナ様……成功です……!」
私は微笑んだ。
「ありがとう。これで、本当に終わった」
アレンが私の頬を撫でた。
「君の目が好きだ。もう、“未来の光”じゃなく、“今”を映している」
私は彼の手を取り、指を絡めた。
「ねえ、アレン。もしまた未来を知れる本が現れたら、どうする?」
「破るさ。……今度は、最初から一緒に」
二人で笑った。
風が吹き、夜空の星々が一斉に瞬く。
◆エピローグ 記録のない未来で
数年後――。
アステリア王国は、かつてない繁栄を迎えていた。
民は自由に学び、未来を恐れず、今を生きることを覚えた。
王と聖女の名は、伝説となる。
だが、人々はこう語る。
「彼らは未来を見た者ではなく、未来を“選んだ”者たちだ」と。
王城の図書室。
机の上に一冊の新しい日記が開かれている。
リアナ王妃の筆跡が、優しく並ぶ。
『記録の時代は終わった。
けれど、物語はこれからも人の心に刻まれる。
愛は、未来を予言する力よりも強い。』
窓辺に立つアレンが振り返り、微笑む。
「リアナ、そろそろ子どもたちが起きる時間だ」
「ええ。今日こそ庭の花を教えなきゃね」
リアナは日記を閉じ、そっと呟いた。
「――ありがとう、未来の記録。もう、あなたはいらない」
そして二人は手を取り、光の中へ歩き出した。




