第1部 第6話 未来を選ぶ者たち
朝日が王都を照らす。
戦火でも災厄でもなく、ただ一人の王妃が消えただけで、国は静かに変わり始めていた。
王宮の中庭には、倒壊した聖堂から持ち帰られた白い石が積まれている。
新しい祈りの場を造るためだという。
私はその作業を見つめながら、胸に手を当てた。
もう、刻印の痛みはない。
だが代わりに、心の奥にぽっかりと穴が開いていた。
“記録のない世界”に立つのが、こんなにも怖いとは思わなかった。
◆再生の朝
「リアナ、朝食を取ったか?」
声の主はアレン――いや、今は正式に“アステリア国王”だ。
王妃の失踪と同時に議会が新王を承認し、彼は二十四歳にして玉座に就いた。
「ええ、少しだけ。あなたこそ、眠れたの?」
「眠れるわけがないよ。初日から書類の山だ」
彼は苦笑するが、その顔はどこか晴れやかだった。
母を失い、恋人を失いかけ、それでも立ち上がった男の顔。
「国王として、やらなければならないことが山ほどある」
「まずは、何を?」
「“記録”の封印だ」
私は驚いて振り向く。
「でも、あれは王妃が命と引き換えに……」
「封印は不完全だ。まだ微弱な反応が王宮の地下で続いている。
君の命が削られた原因も、完全には消えていない」
アレンは真剣な目で言った。
「もう一度だけ、君の力を貸してほしい」
◆記録の残滓
王宮地下、古代文庫跡。
冷たい石の壁に、かすかに赤い光が脈打っていた。
それは“未来の記録”の残滓――書の断片だ。
私は手をかざす。
「……まだ、生きてる」
光が指先に絡みつき、心臓が跳ねた。
記録は、まだ私を呼んでいる。
「アレン、これは危険よ。触れればまた命を――」
「一人で背負うな。今度は二人で行く」
彼は剣を抜き、光の中心に突き立てた。
赤い光が悲鳴のように散り、洞窟全体が震える。
その瞬間、私の頭の中に声が響いた。
――“リアナ、あなたが未来を捨てても、世界は記録を求める”
“記録”そのものの意思。
私は叫んだ。
「未来なんていらない! 今を生きるだけでいい!」
光が爆ぜ、空気が焦げる。
だがアレンが私を抱き寄せた。
「君がそう願うなら、それがこの国の未来だ」
記録は、静かに消えていった。
◆穏やかな午後
封印の儀のあと、私は王城の庭に立っていた。
風に花弁が舞い、空は澄みきっている。
レナが笑顔で紅茶を差し出す。
「リアナ様、本当にお疲れさまでした」
「ありがとう。あなたも、よく頑張ってくれたわ」
「王都の人たちが言ってました。“聖女様が国を救った”って」
私は首を振る。
「救ったのは皆よ。私一人じゃ何もできなかった」
レナは少し涙ぐんだ。
「……あの侍女も、罪を許されて、今は療養中です」
「そう。よかった」
赦しの連鎖。
きっと、それが王妃の願いでもあったのだろう。
◆即位の夜
数日後。王都全体が灯に包まれる。
アレンの戴冠式。
玉座に座る彼の横には、私――“新王妃リアナ・エルシェル”がいた。
議会長が宣言する。
「王国史上初めて、聖女と王が並び立つ」
拍手の渦。
けれど私の胸には、ひとつの不安が残っていた。
“記録”は本当に消えたのだろうか?
夜会の終わり、アレンが耳元で囁く。
「大丈夫。君の心の中にある“記録”が、僕の未来を導く」
「それって……また私を監視するって意味?」
「違う。見守ってほしいって意味だ」
笑い合いながら、二人は手を取り合った。
◆最後のページ
夜、誰もいない執務室。
机の上に、一冊の古びた本が置かれていた。
“未来の記録”。
燃え尽きたはずのそれが、なぜか形を取り戻している。
ページを開くと、わずかな文字が残っていた。
『未来の記録 付記:
この物語は、聖女リアナと王アレンによって終わった。
だが、人が愛を信じる限り、記録は再び綴られる』
私はそっと笑った。
「……もう、誰にも書かせないわ。今度は私が、自分の手で書く」
インク壺に羽ペンを浸し、白紙のページに一行記す。
『そして、私たちは生きていく。記録ではなく、現実の未来を。』




