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未来の婚約者は、裏切りの記録を持っていた  作者: マルコ


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第1部 第3話 記録に刻まれた未来

 “夜会で王妃が毒の計画を練る。レナは迷うが命令に従う”――魔道書の赤い文言は、朝日の中でもなお生々しく脈打っていた。

 運命の夜までは、あと三日。私は「記録」と「現実」のすき間に指を差し込むように、一つずつ歯車をずらすことにした。


◆密やかな取引


 王城の南棟、物資庫。食器や蝋燭、宴会用の酒壺が積まれている。

 私は古参執事のマティアスを呼び出した。彼は前世で処刑の朝、私にそっと水を差し出してくれた唯一の大人だ。


「殿下のご婚約者様が、私などに直々に……」

「お願いがあるの。夜会で供される飲み物と食器の保管台帳を見たいわ」

 マティアスの白い眉がぴくりと動く。「……王妃様の御管轄ゆえ」

「では監査という名目にしましょう。陛下の印は不要、王家会計の定期点検よ」


 私は小袋を差し出した。中身は金貨ではない。私の自筆の誓約書――『本件が露見した場合、全責任はリアナが負う』。

 執事の目が柔らかくなる。「……お覚悟、拝見しました」


 記録は丁寧だった。が、私はすぐに一つの違和感を見つける。

「“琥珀酒”……納入印の筆跡が一箇所だけ違う」

「お目が高い。先週の追加入荷分に、別人の印が混じっていますな」

 “先週”。――未来の記録では、毒は直前に用意されるはずだった。時間軸が揺れている。


「この樽、封蝋を開けずに化学試薬で検査できる?」

 執事は肩をすくめる。「魔術師団の鑑識なら。ただし王妃様の許可が……」

「要らないわ」

 私は袖から聖印を示す。公式には失ったはずの“聖女の印”。転生後の私には、まだ有効だ。


 ――これで、毒の“証拠”を掴める。


◆揺らぐ侍女


 部屋に戻ると、レナが湯を運んできた。

「お加減は」

「いいえ、少し……喉が渇いたわ」

 私は湯杯を手に取り、わざと机にこぼす。レナが慌てて布を取る、その指先の震え。

「レナ。あなたに頼みたいことがあるの」

「……はい」

「夜会の日、私の飲み物は私自身で受け取る。誰にも触らせない。いいわね」


 レナの瞳に、明確な恐れが宿る。「……王妃様の……」

「従えば、あなたは記録通り罪人になる。逆らえば、今ここで私があなたを守る」

 沈黙。

 私はそっと握っていた彼女の手を離す。「レナ。あなたは優しい。私が知っている未来よりも」


 レナは、黙って頷いた。泣く寸前の顔で。

 ――歯車が、また一つずれた。


◆王子の“真実”


 夕刻、アレンが執務室へ呼ぶ。「監査の件、聞いたよ」

「情報が早いのね」

「王妃が苛立っていた。……リアナ、君は何を疑っている?」

「私の命を奪う計画。あるいは、私に罪を着せて国を守る計画」


 彼の目が僅かに揺れた。

「君は聡明だ。だが、時に賢すぎる」

「なら教えて。――三年前、どうして私を見捨てたの?」


 アレンは机から一枚の羊皮紙を取り出す。封蝋には“国家機密”の紋章。

「これは王国の予言文だ。『聖女が王に呪いをかけるとき、戦乱は避けられない』。三年前、王妃はこれを根拠に君を排除した。……僕は逆らえなかった」


「殿下は、臣下に従っただけ?」

「違う。君を救う方法を探した。だが軍が動き、議会が決し……僕は王太子で、同時に人間ではなく装置だった」


 私は言葉を失っていた。

 未来の記録にない彼の弱さ。

 怒りは消えない。けれど、憎しみだけでもいられない。


「殿下。今度は装置をやめて。私を守る“人間”でいて」

 アレンは苦笑する。「……それが、最も難しい」


◆検査結果


 翌日。魔術師団の鑑識が封蝋を破らずに樽を検査した。

 結果は――陰性。

「毒は検出されず」

 私は眉を寄せる。「おかしい……記録では“琥珀酒”が凶器」

 鑑識長が付け加える。「ただし、別の経路から杯そのものへ塗布されれば、樽は無関係です」


 杯。

 ――私の脳裏で、魔道書の文字が組み替わる音がした。


【未来記録:修正】

“毒は杯の縁へ。供膳直前に塗布。……実行役、レナではない”


 ページ端が熱い。改変の刻印が首元で痛む。

 犯人は、別人。


◆“庇われる令嬢”


 夜会前日。廊下の曲がり角で、私は公爵令嬢セシリアとすれ違う。

 前世でアレンが庇った相手。

「ご機嫌よう、リアナ様」

「ご機嫌よう、セシリア様。……殿下とよくお話を?」

 彼女は華やかに笑った。「まあ。私は誰とでも語らいますわ。王妃陛下とも」


 ――王妃の近く。

 私は視線を落とす。セシリアの手袋の素材は、水を弾く薄い油膜が塗り込まれたもの。

 杯の縁に、触れても跡が残らない。


「素敵な手袋ね」

「ええ、仕立て屋に特注を。香油が繊維に行き渡るから、匂いも長く保てるの」

 香油。

 毒を香気で覆い隠すなら、気づきにくい。


 彼女が去ると同時に、魔道書が開く。今度は白紙だ。

 ――ここから先は、私の手で書けということ。


◆囮


 私はレナを呼んだ。「杯を二種、用意して」

「二種?」

「見た目は同じ。でも一つは微量の銀粉を塗るわ。毒と反応して変色する」

 レナは目を見開く。「……リアナ様」

「私が受け取る杯は必ず自分で選ぶ。あなたはその時、合図だけして」


 さらに、私は楽師長と打ち合わせた。夜会の乾杯曲を、通常の三拍子から二拍子へ。

 給仕のリズムが崩れる。杯の受け渡しの瞬間に“手”が出るはずだ。


 準備は整った。刻印は燃えるように熱い。未来の抵抗が強まっている。


◆夜会


 王妃の挨拶。楽の音。人々の笑い。

 私は深紅のドレスで壇上へ向かう。

 アレンが隣に立ち、小声で囁く。「本当にやるのか」

「ええ。――見ていて」


 給仕が列をなす。杯が配られる。

 楽師長が指揮棒を上げ、二拍子の乾杯曲が始まる。

 ホールの空気が、ほんの一瞬、ぎこちなく歪む。

 その隙。

 白い手袋が、杯の縁へそっと触れた。


「今!」

 私は配膳列を外れ、別の給仕の盆から自分で杯を取る。

 同時に、レナが合図――肩に触れる。

 私が選んだ杯は、銀粉を塗った“囮”。

 縁が、かすかに黒ずむ。


 ざわめき。

 私はすぐに笑顔を作り、杯を掲げる。「王家と皆さまに、祝福を」

 ――飲まない。

 その瞬間、アレンが動いた。

 私の手から杯を取り、「君は緊張している」と言って自分の唇に触れさせる。

「殿下!」

 変色が、彼の口元へ……!

 私は反射でアレンの手首を掴み、杯を床へ落とした。

 銀の音が砕け、黒ずんだ液体が飛び散る。


 沈黙。

 王妃の扇が止まる。

 セシリアの目が、一瞬だけ細くなる。


「毒だ」

 私の声が、静かに響いた。

「杯の縁に。香油で匂いをごまかしてある」


 騒然。

 衛兵たちが走り、鑑識が膝をつく。すぐに反応色が現れた。

 王妃が冷ややかに言う。「根拠は?」

「ここに」

 私は改変で燃える首の刻印を無視して、懐から台帳の写しと手袋の繊維片を示す。

「そして、その手袋に塗られた油。――公爵令嬢セシリア様。あなたの香油と一致するはず」


 視線が集中する。セシリアは微笑みを崩さない。

「まあ。わたくしの香油は街でも流行ですわ。誰でも手に入ります」

 逃げ道は用意されている。

 だが私はもう一つの糸を引く。

「給仕列に“合図”を送った人がいた。乾杯曲が二拍子であることを知っていた者だけが、あの瞬間に正確に動ける」

 楽師長が顔を上げる。「二拍子をご存じだったのは、打ち合わせに同席された方々のみ」


 私は、王妃を見た。

 王妃は扇を閉じ、笑う。「面白い推理ね、リアナ。――だが証拠にはならない」


 その時、アレンが一歩前に出た。

「母上」

 王妃の笑みが固まる。

「僕は、リアナの杯を自分の唇に触れさせた。もし彼女が虚偽を述べたなら、僕は今ここで倒れている。……王妃。なぜ、止めなかった?」


 ――装置ではなく、“人間”の声だ。

 私は拳を握りしめた。


◆崩れた均衡


 鑑識が結果を告げる。「杯の縁から毒を確認。香油で被覆。……ただし“塗布者”の断定は困難」

 王妃は軽く肩をすくめた。「まあ、恐ろしい。殿下、今後は警備を厳に」

 逃がす気だ。

 だが、未来はもう“記録通り”ではない。

 セシリアの横で、若い侍女が震えている。

 レナではない、別の娘――目が合った瞬間、泣き崩れた。


「ごめんなさい……言われた通りに……!」

 ホールが凍る。

 娘は指を震わせながらセシリアを、そして王妃を交互に指した。

「私、香油を渡されて、杯に……!」

 王妃の扇が粉々に砕けた。


 ――勝った。

 そう思った瞬間、魔道書の頁がひとりでにめくれ、赤い字が浮かぶ。


【未来記録:緊急改訂】

“王妃、反撃。罪は一人に集約され、王国は二分される。――殿下、リアナを庇い別の令嬢を庇護”


 視界が揺らぐ。二分? 内乱の火種?

 私が引き寄せた“正義”は、別の破滅を呼ぶのか。


 王妃はゆっくりと立ち上がり、震える侍女の肩に手を置いた。

「この娘は、単独で暴走した。公爵令嬢に成り代わろうとした浅ましい野心家。――そうね?」

 侍女の顔から血の気が引く。

 王妃は続ける。「リアナ。あなたは“証拠”を示した。ならば法で裁きましょう。今ここでの断罪は許さない」


 巧い。時間を稼ぎ、陣営を固めるつもりだ。


 アレンが私の手を取る。「ここは退こう。君を守る」

 私の胸で、刻印が焼けるように疼いた。

 ――退けば、次の未来は“分断”だ。

 進めば、誰かが血を流す。


◆選択


 ホールの視線が私たちを突き刺す。

 私は魔道書を開き、白紙の最終頁に震える指で文字を刻む。


 『罪は、ひとりに背負わせない』


 赤が閃光のように走り、視界が暗転しかける。

 アレンが私を抱きとめる。「リアナ!」

 大丈夫。まだいける。

 私は王妃に向き直り、穏やかに言った。

「法廷を開いてください。公開の場で。“王妃陛下も、証言台に”」

 王妃の微笑が、ほんの一瞬だけ消える。

「よろしいわ。三日後、“審問会”。――王国史上、最も賑やかな見世物になる」


 人々がざわめく中、私はアレンの腕からそっと抜けた。

 セシリアが去り際に振り返る。その目は、怨嗟でも哀願でもなく、獲物を見定める獣のそれ。

「リアナ様。あなたは正しい。けれど、正しさは大抵の人を不幸にするのよ」


 言葉の棘が、遅れて刺さった。


◆孤独の夜


 部屋に戻る。レナが薬湯を持ってきた。

 私は微笑む。「ありがとう」

 彼女は泣きながら頭を下げた。「あの娘……私と同じ年です。助けられますか」

「助ける。――ただし全員は、無傷では済まない」


 レナが去ると、魔道書が自動で開いた。


【未来記録:第5章 予告】

“審問会。『涙の告白と封じられた真実』――王太子アレン、最初の嘘を語る”


 私はそっと本を閉じた。

 アレンの嘘。

 たぶん、それは私を守るための嘘。

 けれど、守られるだけの私では、もういられない。


「記録よ。――次は、私の嘘で未来を守る」


 首の刻印が、静かに熱を失っていく。

 夜は更け、遠くで鐘が三つ鳴った。審問会まで、あと三日。

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