第1部 第2話 二度目の人生、婚約の日から
目覚めた次の朝、鳥の声がやけに近くに聞こえた。
カーテンの隙間から差し込む光が、眩しい。
昨日まで牢の闇にいたのが嘘のようだ。
私は、シーツを握りしめた。
「……夢、じゃないのね」
机の上の黒い魔道書は、静かにそこにあった。
タイトルはやはり、『未来の記録』。
ページを開くと、赤いインクで“本日”の日付が刻まれている。
【未来記録:第2章】
『本日、王宮にて婚約発表。王子アレンは笑顔で指輪を嵌めるが、その瞳の奥は冷たい』
……やはり、これも“同じ未来”なのだ。
けれど、もう何もかも記録通りにはさせない。
◆王宮の朝
侍女のレナが扉を叩いた。
「リアナ様、王妃殿下より本日のお召し物のご指示です」
この声を聞くのも三年ぶり。
だが彼女は未来では──私を裏切った。
“毒を盛った侍女”として記録にあった名だ。
「レナ、ありがとう。でも衣装は自分で選ぶわ」
「えっ? で、ですが……」
「いいの。今日は特別な日だから」
彼女の表情に一瞬、戸惑いが浮かぶ。
あの時と同じだ。
未来ではこのあと、王妃の命令で私の飲み物に薬を混ぜていた。
私は笑顔を作る。
「……いつもありがとう、レナ」
「リアナ様?」
「本当に、あなたには感謝しているわ」
そう言ってレナの手を取ると、彼女の肩が震えた。
“裏切り”を知っていながら優しくされた時、人は必ず動揺する。
彼女の罪悪感を植えつける。これでいい。
この二度目の人生、私はもう“聖女”ではいられない。
未来を変えるためなら、汚れる覚悟もある。
◆婚約発表の広間
広間には数百の灯が揺れ、花々が飾られ、楽団が奏でる音が響く。
私のドレスは深紅。前世の婚約発表では純白を選んだ。
──赤は、決意の色。
壇上に立つアレン殿下が私の方へ微笑む。
その仕草、声の抑揚、立ち姿まで、記録と寸分違わない。
「リアナ。君に再びこの指輪を」
彼が差し出したのは、見覚えのある銀の指輪。
“永遠の誓い”。
だが、私はその瞬間、記録の違和感に気づいた。
未来の記録では、王妃がこの指輪を取り替えさせていたはず。
なのに、今、アレンの手にあるのは本物だ。
……変わり始めている。
「殿下。光栄ですわ」
指輪を受け取りながら、私は心の中で微笑む。
未来はもう、“書き換え可能”だ。
◆夜会の前兆
その夜、部屋に戻ると魔道書のページが自動的に開いた。
【未来記録:第3章】
“夜会で王妃が毒の計画を練る。レナは迷うが命令に従う”
やはり“夜会”は予定通り存在する。
私はインクの上から自分の血で文字を重ねた。
──“夜会の毒を阻止する”。
その瞬間、赤い文字が微かに光った。
「……反応した?」
魔道書が未来を書き換えるたび、私の胸の奥が熱を帯びる。
どうやら、この力は“代償”を伴うらしい。
鏡の前に立つと、首筋に赤い紋様が浮かんでいた。
“改変の刻印”。
未来を変えるごとに、命を削る印。
それでも構わない。
あの未来を繰り返すくらいなら、私が消えた方がいい。
◆王子の影
夜更け、アレンが私の部屋を訪ねてきた。
「リアナ。眠れないのか?」
突然の来訪。未来の記録にはなかった出来事。
「殿下こそ……こんな時間に」
「君の顔が見たくなった」
その微笑は、三年前と同じ。
だが、どこかに“演技の影”を感じた。
「殿下。私のことを……本当に愛していますか?」
問いかけると、アレンは少しだけ視線を逸らした。
「……もちろんだ。だが、王族としての責任もある」
その言葉の曖昧さ。
未来の“裏切り”と同じ臭いがする。
「……責任のために、私を捨てるのですか?」
「違う。だが、君がいなければ国は――」
途中で言葉を飲み込むアレン。
その瞳の奥、深く沈む何か。
私は気づいた。
彼もまた、未来に囚われているのかもしれない。
◆決意の夜明け
翌朝、魔道書がまた新たな章を開いた。
【未来記録:第4章】
“リアナ、夜会にて王妃の罠を察知するが、証拠を掴めず失敗する。アレンは別の令嬢を庇う”
私は本を閉じた。
「なら、証拠を掴めばいいだけ」
鏡の前で微笑み、髪を結い上げる。
指先が少し震えるのは恐怖ではない。興奮だ。
この世界で私が立つ場所はもう、“聖女”ではなく“策略家”。
愛も信頼も、裏切りの上でしか立ち上がらない。
けれど――それでも彼を憎みきれない自分がいる。
「アレン……もし、本当に私を想ってくれていたのなら」
「どうか、この未来の記録を破り捨てて」
私の声は、誰にも届かない。
だが、ページの端がひとりでに揺れ、わずかに光を放った。
まるで本が答えるように。
“未来は、まだ定まっていない”




