第2部 第3話 第三の記録
第一節 揺らぐ時間
王都を包んだ黒い閃光は、ほんの一瞬だった。
けれど翌朝、世界は明らかに“ずれていた”。
時計台の鐘は時刻を間違え、街の影は逆向きに伸び、
昨日亡くなったはずの兵士が笑顔で門番をしていた。
――時間が、巻き戻り始めている。
リディアは城の塔からその光景を見下ろし、息をのんだ。
「……これが、“第三の記録”の力……?」
背後で母リアナの肖像画が微かに揺れる。
その下に、黒いひび割れのような紋が浮かんでいた。
まるで世界そのものが、過去へと引きずられているかのように。
第二節 ルカの影
王城の北、旧聖堂跡。
封印の痕跡の中心で、ルカは膝をついていた。
手にある黒い魔道書――それが“第三の記録”。
第一の記録(リアナの赤)、第二の記録(王妃の黒)とは異なり、
そのページは“透明”だった。
触れた指先から、自分の過去が流れ込んでくる。
孤児院の夜。名も知らぬ母の歌声。
そして――白い髪の幼い少女、リアナ。
「……そうか。俺は……お前を守れなかった」
ルカは呟く。
“第三の記録”は、記憶そのものを巻き戻す。
世界を救うには、過去の一点を改変しなければならない。
だが、代償は――現在の存在の消滅。
第三節 父と娘
王城の会議室。
リディアはアレン国王に詰め寄っていた。
「お父様、彼を止めなければ!」
「止められない。第三の記録は“時の根源”に触れる禁忌だ」
「でも、このままじゃ王都が――」
アレンの瞳が揺れる。
「リディア、聞け。……彼は過去をやり直そうとしている。
“リアナを救う前の世界”に戻すつもりなんだ」
「そんな……! 母を救うために、みんなが戦ったのに!」
「彼は、罪を償おうとしている。だが、それは同時に――君の存在を消すことになる」
リディアの頬が青ざめた。
「……私が、いなくなる?」
「記録が巻き戻れば、君が生まれた“未来”そのものが消える」
アレンは拳を握る。
「リディア、彼を倒せ。国王としてではなく……父として、頼む」
第四節 追走
夜。
ルカは北の山へ向かっていた。
そこには古の遺跡“時の祭壇”がある。
第三の記録を完全に起動させる唯一の場所だ。
彼の後を、リディアが追う。
冷たい風、雪混じりの空。
馬を降り、彼女は岩壁を駆け上がった。
「ルカ! 待って!」
振り返る彼の瞳に、一瞬迷いが走る。
「来るな。お前を巻き込みたくない」
「あなたが過去に戻れば、私は消える。
でも、それであなたが救われるなら……私は構わない」
ルカの目が見開かれた。
「……リアナと同じことを言うんだな」
第五節 時の祭壇
祭壇は氷に覆われ、中央に巨大な時計の紋が刻まれていた。
ルカが本を開くと、透明なページが一斉に光る。
『時の歯車、回転開始。改変対象:十七年前、聖女リアナ誕生前夜。』
風が逆流し、空が裂ける。
リディアが必死に叫ぶ。
「やめて! そんなことをしても誰も幸せにならない!」
「幸せにならなくていい。せめて、あの時の罪を消したい」
リディアは涙を流しながら駆け寄る。
「違うわ……償う方法は、過去じゃない。未来でしかできない!」
その声に、ルカの手が止まる。
ページが揺れ、時間の光が弾けた。
幻のように、リアナの姿が現れる。
彼女は微笑んでいた。
「ルカ……もう、十分よ」
「リアナ……!」
「あなたはいつも私を守ってくれた。
でも、今度はあなたが守られる番なの」
ルカの目から涙がこぼれる。
第六節 時の終焉
リアナの幻影がリディアの肩に触れる。
「この子が、私たちの選んだ未来。
あなたが変えようとしている世界は、もう救われているの」
ルカの胸の中で、第三の記録が静かに光を失っていく。
ページが一枚、また一枚と溶け、風に舞う。
「……これで、いいんだな」
「ええ。もう、未来はあなたの手に委ねられている」
ルカは深く頷き、祭壇の中心へ足を進める。
「最後に、リディア」
「なに……?」
「お前に出会えてよかった。――俺は、“未来”を信じられた」
光が彼を包み、世界が静止した。
終章 新しい暦のはじまり
翌朝。
王都の鐘が新しい時刻を告げる。
影は正しい向きに戻り、すべての記録は消えていた。
王立史書院では、新しい暦が制定された。
その名は――“リアナ暦”。
リディアは窓辺で呟く。
「ありがとう、ルカ。あなたの“裏切り”は、未来への贈り物だった」
彼女の手には、焦げた透明な頁が一枚。
そこには、かすかにこう刻まれていた。
『裏切りの継承者、時を超え、未来を託す。
――この記録を読む者が、次の選択者となる。』
リディアはそれを胸に抱き、微笑む。
「……なら、私はその“次”を守るわ」
空に光が差し、風が新しい季節を告げた。




