第二章 闇の奥
足音が、やけに大きく響く。
陸は自分の呼吸が妙に浅くなっていることに気づいた。
トンネルの中は、外の世界から切り離されたように冷たく、音が吸い込まれていく。
懐中電灯の光が、濡れたコンクリートの壁を舐める。
そこには、数メートルおきに赤いスプレーで描かれたカラスのマークが続いていた。
──誰が、何のために。
不意に、足元でカランと音がした。
光を向けると、小さなガラス瓶が転がっている。
中には乾いた紙切れが押し込まれていた。
瓶の口には、黒い糸で固く封がしてある。
陸はしばらくためらったが、思い切って糸を切り、中身を取り出した。
紙には、不揃いな文字でこう書かれていた。
> 見るな、探すな、関わるな
心臓がドクンと跳ねる。
だが、同時に奥へ進まなければならないという衝動が、さらに強くなっていく。
トンネルは緩やかに下り、やがて広い空間へと開けた。
そこは古い地下駅のようだった。
壁には剥がれかけた路線図、割れたベンチ、錆びた案内板が並んでいる。
もう何十年も人が使っていないはずなのに、空気は妙に生暖かかった。
そのとき、背後で何かが落ちる音がした。
反射的に振り向くが、光の輪の外は完全な闇。
ただ──かすかに、誰かの息づかいのようなものが聞こえた。
「……誰か、いるのか?」
声が闇に溶け、返事はない。
陸はもう一度光を振るが、そこにはただ湿った空気と埃だけが漂っていた。
駅構内の壁の一角に、大きな絵が描かれていた。
赤と黒のスプレーで描かれたカラスたちが、中央の人影を取り囲んでいる。
その人影の顔は白く塗りつぶされ、口だけが赤く大きく裂けていた。
見てはいけないものを見たような感覚に、陸は思わず一歩下がる。
すると、その足元に何かが引っかかった。
拾い上げると、それは細い金属製のタグだった。
「K-17」と刻まれた文字が鈍く光る。
──港の倉庫にも、こんなタグがあった気がする。
小さい頃、父に連れられて港に行ったときに見た、貨物用のコンテナ番号。
その記憶と、このトンネル、赤いカラス。
すべてがどこかで繋がっているような気がしてならなかった。
背後から、今度ははっきりと足音がした。
反射的に振り返ると、光の先に小柄な影が立っている。
それは──小学生くらいの少年だった。
髪はぼさぼさで、制服のようなものを着ているが、埃と泥で汚れている。
何より、表情がない。
まるで人形のような無表情で、じっと陸を見つめていた。
「……君、どうしてこんなところに──」
言いかけた瞬間、少年はくるりと背を向け、奥の暗闇へ走り去った。
慌てて追いかける。
だが、足音はすぐに消え、トンネルの奥は再び静寂に沈んだ。
諦めて引き返そうとしたとき、壁の低い位置に赤いペンキで描かれた文字が目に入った。
そこには、こう書かれていた。
> 三番扉 港
胸の奥で、何かがひどく冷たくなる。
ポケットの中で、拾った鍵が小さく音を立てた。
──これは偶然なんかじゃない。
陸はそう確信し、暗闇の中でもう一度、鍵を握りしめた。