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無能の烙印と聖なる掌  作者: 英瀬
第一章 
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外伝:第一話 バルトルの告白

 地下の小部屋に閉じ込められて数ヶ月が経った頃、僕、テオドール(春浦 連(はるうら れん))は、毎日の筋トレと、終わりのない思考のループにうんざりしていた。

 この薄暗い空間で、僕は自分の存在意義を問い続けていた。

 魔力測定で「無能」と烙印を押され、家族からも見放された。

 前世の記憶があるせいで、この世界の理不尽さが一層心に響く。

 元の世界の、あの平和で豊かな日常が、まるで遠い幻のように感じられる。

 コンビニの便利さ、スマートフォンの情報量、そして何よりも、誰もが「人間」として尊重される社会。

 それら全てが、この世界では当たり前ではない。


 そんな孤独な日々の中、僕の唯一の話し相手は、僕の肩に乗っている小さな黒い子猫、バルトルだった。

 いや、今となっては聖獣バルトルか。

 僕にテレパシーで語りかけ、この世界の真実と、僕の持つ「聖なる癒やしの力」について教えてくれた、かけがえのない存在だ。

 バルトルの声は、周囲に聞こえることもなく、僕の心の中に直接響く。


「なぁ、バルトル」


 僕は、ベッドの端に座り、天井を見上げながら呟いた。

 バルトルは、僕の膝の上で丸まって、ご満悦そうに喉を鳴らしている。

 その小さな振動が、僕の心を落ち着かせる。


「どうして、お前はあの時、僕の部屋にいたんだ? 僕がここに閉じ込められてから、一度も部屋の外に出てないはずなのに……」


 バルトルは、琥珀の瞳を細め、静かに語り始めた。

 その声は、心地よい低音で、まるで脳内で直接囁かれているかのようだった。

 そしてそこには、千年の時を生きてきたかのような、重みと叡智が宿っている。


《それは、お主の導き手が我であると、運命が示したからだ、テオドール。我は、お主の『聖なる光』に引き寄せられた。お主が、あのベランダで子猫を助けた時、我はその光を感じ取ったのだ。あの時、我は穢れの瘴気によって力を失い、瀕死の状態にあった。お主の手から放たれた、あの純粋な光が、我の命を繋ぎとめたのだ》


「え……? あの子猫って……もしかしてお前だったのか!?」


 僕は驚愕に目を見開いた。

 まさか、あの、僕が命を落とす原因となった子猫が、目の前の聖獣バルトルだったとは。

 頭の中で、転落死した瞬間の映像がフラッシュバックする。

 ベランダの柵、濡れた手、そして、僕の腕の中にいた小さな黒い塊。

 それが、バルトルだったとは。


 バルトルは、僕の驚きを面白がるように、満足げに頷いた。


《ふむ。厳密に言うとそうではないが、まあ似たようなものだろう。あの時、我は穢れの瘴気によって力を失い、衰弱していた。お主がベランダの手すりに身を乗り出し、子猫を助けた時、お主の手から放たれた光が、我の意識を揺り動かした。そして、お主の魂に深く刻まれた『生命を慈しむ心』に、強く共鳴したのだ。お主のその純粋な光こそが、我を目覚めさせ、お主へと導いたのだ》


 信じられない話だった。

 僕が転落死した原因となった、あの小さな子猫が、まさか伝説の聖獣だったとは。

 僕は、自分の命を落とす代わりに、この聖獣を救い、そしてそれに導かれてこの異世界に転生したというのか。


「じゃあ、僕はあの時、お前を助けて、そのせいで死んだってことか……?」


 僕は苦笑いを浮かべた。

 自嘲的な笑いだった。

 だが、バルトルは僕の言葉を遮った。


《お主は死んだのではない、テオドール。お主の魂は、この世界において、新たな器と役目を与えられたのだ。我は、お主の肉体の死を看取った後、お主の魂の軌跡を追った。穢れの瘴気が濃くなるにつれて、世界は新たな『癒やし手』を求めていた。お主の魂は、その世界の求めに応じ、このテオドールの体に宿ったのだ。そして、我は、お主の魂に惹かれ、この屋敷の地下へと導かれ、再びお主と巡り会った。それは、この世界がお主を必要としている証拠なのだ。偶然ではない。全ては、大いなる運命の導きなのだ》


 バルトルの言葉に、僕は自分の転生が、単なる偶然ではなかったことを知った。

 僕が助けた子猫が聖獣であり、その聖獣が僕をこの世界へ導いた。

 それは、まるで運命の糸で紡がれた物語のようだ。

 僕の人生は、あの転落死で終わったわけではなく、この世界で新たな意味を与えられたのだ。


「そうか……じゃあ、僕の『聖なる癒やしの力』っていうのは、あの時、お前を助けた時から持ってたってこと?」


 僕は、自分の掌を見つめ、あらためて問いかけた。

 確かに、前世でも、僕の周りでは不思議なことが起こっていた。

 怪我をした友人が、僕が触れると痛みが和らいだと言ったり、枯れかけた鉢植えが、僕が水をやるとすぐに元気になったり。

 あの頃は、ただの気のせいだと思っていたが、もしかしたら、あれも僕の力だったのかもしれない。


《お主の力は、お主の魂に宿るものだ、テオドール。お主が『春浦連』であった頃から、その根源的な力はお主の中に存在していた。だが、元の世界では、その力が顕在化することはなかっただろう。魔力という概念が希薄な世界では、お主の力は『奇跡』や『偶然』として片付けられていたはずだ。お主の世界は、生命の根源に対する理解が浅かった。だからこそ、お主の力が、本来の輝きを放つことはなかったのだ》


 バルトルは、僕の掌をそっと前足で撫でた。

 その小さな肉球の感触が、僕の指に心地よい。


《この世界は、魔力という『生命のエネルギー』に満ちている。だからこそ、お主の聖なる光も、より明確にその形を現すことができたのだ。しかし、お主の力は、この世界の魔力とは異なる。それは、生命そのものの調和を司る根源の力。あらゆる生命の歪みを正し、あるべき姿に戻す力だ。だからこそ、魔力測定の水晶では、お主の力を感知できなかったのだ。彼らの理解の範疇を超えた、異質な力なのだ》


 なるほど、と僕は納得した。

 僕の力が「無能」と判断されたのは、魔力という既存の枠組みに当てはまらなかったから、ということか。

 それは、少しだけ僕の心の重荷を軽くしてくれた。

 僕は無能だったわけではない。

 ただ、この世界の常識とは異なる力を持っていただけなのだ。


「僕の力が、生命そのものに働きかける力……」


 僕は、自分の掌を見つめた。

 この掌が、ヘルガの傷を癒やし、バルトル自身を回復させた。

 そして、今も、この地下の部屋で僕を支え、外界へと旅立つための力を与えてくれている。

 この小さな手の中に、世界を救う可能性が秘められているというのか。


《そうだ。お主の光は、肉体の傷を癒やすだけでなく、病を退け、枯れた大地に生命を吹き込み、歪んだ魂をも救うことができる。しかし、最も重要なのは、その力が『穢れ』を浄化できる唯一の力であるということだ。穢れは、この世界の生命力を蝕み、あらゆるものを破壊する闇。それは、人々の負の感情が凝り固まって生まれた、生命の根源を歪める存在だ》


 バルトルの声に、僕は背筋を伸ばした。

 穢れ。

 その言葉を聞くだけで、胸の奥がざわつく。


「僕の力で、穢れを浄化できるのか?」


《ああ。穢れは、生命の根源に巣食う闇だ。お主の聖なる光は、その根源に直接働きかけ、闇を打ち払うことができる。しかし、それは容易なことではない。穢れは、この世界の生命の歴史の中で、深く根を張っている。お主の力が未熟であれば、お主自身も穢れに蝕まれる危険がある。穢れは、お主の心を惑わし、絶望させようとするだろう。強い精神力がなければ、その闇に飲み込まれてしまう》


 バルトルの言葉に、僕は緊張した。

 やはり、旅は危険なものになるだろう。

 しかし、僕の心には、この世界を救うという使命感が芽生えていた。

 前世で不慮の死を遂げた僕に、この世界で新たな意味を与えられたのだ。

 その意味を、全うしたい。


《だからこそ、我はお主と共にいるのだ、テオドール。お主の力の制御を助け、穢れを浄化する方法を教え、お主が進むべき道を照らそう。我は、お主の剣となり、盾となり、そして導き手となる。お主の心に迷いが生じた時は、我の言葉を信じるのだ》


 バルトルは、僕の肩に飛び乗り、僕の頬にそっとその小さな額を擦り付けた。

 その温かい感触が、僕の心をじんわりと温める。

 孤独だった地下室に、今は確かな希望と、温かい絆がある。

 彼は、僕の、たった一人の理解者であり、相棒なのだ。

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