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無能の烙印と聖なる掌  作者: 英瀬
第二章
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外伝:第五話 祖父の心

 その晩、月が精霊の森の梢を照らし、里全体が神秘的な光に包まれていた。

 テオドールが穢れの源へと旅立つ前の最後の夜だ。

 長老である私は、いつも瞑想する大木の根元に座っていたが、その心は決して穏やかではなかった。

 明日の旅立ちを前に、テオドールの「聖なる癒やしの力」がどれほど深まったかを確認し、最後の助言を与えることはできた。

 彼の瞳に宿る決意の光は、古の預言に謳われた「光の癒やし手」そのものだった。

 しかし、私の胸中には、それとは別の、深く個人的な感情が渦巻いていた。


「お祖父様」


 静寂を破って、聞き慣れた声が響いた。

 振り返ると、そこに立っていたのは、私の孫、アデリアだった。

 月明かりに照らされた彼女の金色の髪は、まるで精霊の輝きを宿したかのように美しかったが、その表情は、いつになく真剣だった。

 普段の奔放な明るさは鳴りを潜め、その淡い桃色の瞳には、確固たる決意が宿っているのが見て取れた。


「こんな夜更けに、どうしたのだ、アデリア。明日はテオドール殿たちの大切な旅立ちの日だぞ」


 私は努めて穏やかな声で尋ねた。

 孫の考えていることは、痛いほどわかっていた。

 だが、里の長として、安易にその願いを認めるわけにはいかなかった。


 アデリアはまっすぐに私の目を見つめた。


「お祖父様、私はテオドールとともに旅立ちます。彼を一人にはできません」


 やはり、そう来たか。

 私は深く息を吐いた。

 長老として、私はアデリアが持つ精霊との強い繋がりと、類稀な森の知識が、テオドールの旅路にとってどれほど重要であるかを理解していた。

 彼女の明るさと行動力は、テオドールの心の支えにもなるだろう。

 だが、祖父としては……。


「アデリア、それはならぬ。お前はまだ若い。穢れの源へと向かう旅は、想像を絶するほど過酷だ。里の結界すら侵食するほどの穢れの力は、お前のような未熟な者では、到底太刀打ちできない。この里に残って、精霊の森を守るのがお前の役目だ」


 私の言葉は、アデリアを案じる、祖父としての本心だった。

 彼女は、まだ里の安全な場所で育つべき年頃だ。

 穢れに蝕まれた世界での旅など、私には到底許せるものではなかった。


 しかし、アデリアの決意は揺らがなかった。

 彼女は一歩前に踏み出し、その声には、今まで聞いたことのないほどの強い意志が込められていた。


「未熟だとおっしゃいますか、お祖父様。確かに私は、お祖父様や里の皆のように、何百年も生きた経験はありません。でも、テオドールは、たった一人で穢れの村に行き、人々を救いました。彼の心は、誰よりも清らかで、誰よりも強い。私が隣にいれば、きっと彼の力になれます。それに、私が最も精霊の声を聞き、森の道を識る者だということは、お祖父様が一番よくご存知のはずです」


 彼女の言葉は、ぐうの音も出ないほどに正論だった。

 アデリアの精霊との繋がりは、里のエルフの中でも群を抜いていた。

 そして、この森の隅々まで知り尽くしている彼女がいなければ、テオドールは道に迷い、危険な目に遭う可能性も高まるだろう。

 里の長としての理性が、彼女の同行の必要性を訴えかけてくる。


 だが、祖父としての感情が、それを強く拒んだ。

 アデリアは私の、そしてこの里の未来そのものだ。

 彼女を危険に晒すことは、私にとって何よりも耐え難いことだった。


「アデリア……お前を失うことは、私には耐えられない。もしものことがあれば、私は……」


 私の声が震えた。

 エルフは長寿ゆえに、別れになによりも弱い。

 特に、愛する者が自ら危険に飛び込んでいく姿を見るのは、耐えがたい苦痛だった。


 アデリアは、私の言葉を聞き、少しだけ悲しそうな顔をした。

 しかし、その瞳の輝きは失われなかった。


「お祖父様。テオドールがもし、穢れの源を断ち切れなければ、この里も、そして私たちが大切にしている森も、いずれは穢れに飲み込まれてしまいます。私たちが今、安全な場所にいられるのは、テオドールが命がけで穢れと向き合っているからです。彼がたった一人でその重荷を背負おうとしているのに、見て見ぬふりなどできません」


 彼女の言葉は、私の心を深く抉った。

 アデリアの言葉には、テオドールへの深い信頼と、世界を守ろうとする強い使命感が宿っていた。

 それは、私が里の長として、エルフが守るべきものとして、代々伝えてきた精神そのものだった。

 彼女は、私の教えを誰よりも深く理解し、実践しようとしているのだ。


 私は目を閉じ、深く瞑想した。

 精霊たちの声が、私の中に響き渡る。

 彼らは、アデリアの決意を支持しているかのようだった。

 この子の意志は、もはや私の一存で止められるものではない。

 彼女は、私たちが守ってきた預言の光を、自らの足で追い求めようとしている。


「……わかった、アデリア」


 私はゆっくりと目を開き、孫の顔をまっすぐに見つめた。

 私の声は、諦めではなく、彼女の成長と決意を認める、静かな響きを持っていた。


「だが、約束してくれ。どんな時も、テオドール殿とバルトル殿から離れず、危険な場所には決して飛び込まないこと。そして、必ず、この里へ無事に帰って来ること。お前は、この里の希望なのだから」


 アデリアの顔に、安堵と喜びの表情が広がった。

 彼女は、満面の笑みで頷いた。


「はい、お祖父様! 必ず、帰ってきます! テオドールを、そしてこの世界を守るために、精一杯力を尽くしてくるわ!」


 アデリアはそう言うと、私に抱きついてきた。

 その抱擁は、温かく、そして力強かった。

 私は、彼女の背中を優しく撫でながら、改めて覚悟を決めた。


「光の里の長、ウルバノ・ド・ナラトレ・ベルティーニが命ずる。行け、アデリアよ。そして、テオドール殿とともに、世界に光を取り戻してくるのだ。お前たちの旅路に、精霊たちの加護があらんことを」


「アデリア・ド・ナラトリス・ベルティーニ、心より拝命いたします!」


 私は、愛する孫の成長と、その決意の言葉を胸に、静かに夜空を見上げた。

 月光は変わらず森を照らし、その光は、テオドールとアデリアの旅路をも、優しく導いてくれると信じた。

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