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無能の烙印と聖なる掌  作者: 英瀬
第二章
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第十話 穢れの村

 休憩を終え、再び歩き始める。

 森を抜けてしばらく行くと、遠くに小さな村が見えてきた。

 藁ぶき屋根の家々が寄り集まり、煙が立ち上っている。

 家々の間からは、かすかに鶏の鳴き声や、人々の話し声が聞こえてくる。

 人々の生活の営みが感じられ、僕の心はかすかに安堵した。


 しかし、村に近づくにつれて、異様な雰囲気が漂っていることに気づいた。

 村全体が、どこか薄暗く、生気がない。

 家々の窓は固く閉ざされ、通りには人影がまばらだ。

 子どもたちの賑やかな声も、笑い声も聞こえない。

 まるで、時間が止まってしまったかのように、村全体が重い沈黙に包まれていた。


 村の入り口まで来た時、僕は立ち止まった。

 バルトルが、僕の肩の上で、かすかに唸り声を上げた。

 その毛並みが、僅かに逆立っている。


《……穢れの匂いがする》


 バルトルの言葉に、僕は警戒心を強めた。

 穢れ。

 それが、この村に何をもたらしたのだろうか。

 足を踏み入れることに、一瞬ためらいを感じたが、バルトルの「情報が得られるやもしれぬ」という言葉が、僕を前へと押し進めた。


 村の中に入ると、その異様さはさらに顕著になった。

 人々は、顔色が悪く、まるで生気が抜かれたかのようにうつろな目をしていた。

 誰もがうなだれ、活気が感じられない。

 彼らの表情には、諦めと疲弊が色濃く浮かんでいた。

 家々の壁には、黒い染みのようなものが点々と広がっている。

 それが、バルトルが言っていた「穢れ」の痕跡なのだろうか。

 まるで、黒いインクをたらしたように、壁を汚している。


 村の中心部へと進むと、数人の村人が、地面に倒れ込んでいるのが見えた。

 彼らは、苦しそうにうめき声を上げ、その顔色は土気色に変色していた。

 身体には、黒い斑点のようなものが浮き出ており、高熱にうなされているように見える。

 明らかに、何らかの病に冒されている。


「これは……酷い……」


 僕は思わず息を呑んだ。

 こんな光景は、前世でも見たことがなかった。

 ウイルス性の感染症とも違う、まるで彼らの生命力が根こそぎ奪われているような印象を受けた。


 バルトルが、僕の肩から飛び降り、倒れている村人の一人に近づいた。

 その琥珀の瞳が、村人の顔をじっと見つめる。


《この病は、穢れによるものだ。穢れは、人々の魂を蝕み、肉体を病ませる。このままでは、この者たちは長くは保たない》


 バルトルの言葉に、僕の心臓が強く脈打った。

 目の前で苦しんでいる人々を、放っておくことなどできない。

 僕には、彼らを救う力があるはずだ。

 地下室で、バルトルと共に鍛錬した「聖なる癒やしの力」が、今こそ必要とされている。


 僕は、バルトルに顔を向けた。


「バルトル、僕にできることはあるか? この力を、彼らを救うために使いたい。僕の力で、この病を治せるのか?」


 バルトルは、僕の翡翠の瞳を真っ直ぐに見つめ、力強く頷いた。


《ああ、テオドール。今こそ、お主の『聖なる癒やしの力』を使う時だ。ただし、穢れは頑固だ。心の奥底に潜り込んでいる。単に力を注ぎ込むだけでは、完全には浄化できぬ。お主の心が、彼らの魂に届くよう、真摯に向き合うのだ。彼らの苦痛を受け入れ、その魂の闇を光で満たすのだ》


 僕は、倒れている村人の一人に、ゆっくりと近づいた。

 彼の肌は熱く、荒い呼吸を繰り返している。

 僕は、震える手をその村人の額にそっと置いた。

 皮膚の感触が、僕の指に伝わる。


 掌から、あの淡い光が放たれる。

 光は、村人の額から全身へと広がり、その体を包み込んでいく。

 村人は、一瞬だけ身を震わせたが、やがてその表情が、わずかに和らいだ。

 苦痛に歪んでいた顔が、少しだけ穏やかになる。


 僕の意識は、村人の内側へと深く潜り込んでいくような感覚に襲われた。

 村人の魂が、黒い淀んだ靄に覆われているのが見えた。

 それが「穢れ」なのだろう。

 穢れは、村人の喜びや希望といったポジティブな感情を吸い取り、代わりに絶望や苦痛を植え付けている。

 まるで、魂の栄養分を吸い取る寄生虫のようだ。


 僕は、心を落ち着かせ、バルトルが教えてくれた「心の平静」を保つよう努めた。

 集中力を高め、僕の聖なる光を、その穢れの靄へと、ゆっくりと、しかし確実に注ぎ込んでいった。

 光は、闇を溶かすように、穢れを少しずつ浄化していく。

 黒い靄が、僕の光に触れるたびに、音もなく霧散していく。


 穢れが浄化されるにつれて、村人の顔色が、わずかに改善されていく。

 土気色だった肌に、微かな血色が戻り始めた。

 苦痛のうめき声が、穏やかな寝息へと変わった。

 しかし、完全に浄化することはできなかった。

 穢れは、しぶとく村人の魂の奥底にへばりついている。

 まるで、樹木の根のように、深く張り巡らされている。


 僕は、大量の汗をかきながら、一度手を離した。

 全身から力が抜けるような疲労感に襲われる。

 バルトルが、僕の肩に飛び乗ってきた。


《よくやった、テオドール。穢れは、お主の光を恐れている。しかし、完全に払うには、さらに深い部分から引き剥がす必要がある。これは、お主の力が未熟なだけではない。穢れが、この世界の生命に深く根差しているからだ。この村に蔓延る穢れは、まだ始まったばかりのようだ》


 バルトルの言葉に、僕は村人たちを見つめた。

 彼らはまだ、完全に回復したわけではない。

 それでも、僕の癒やしは、確実に彼らの苦痛を和らげた。

 僕は、もう一度、彼らを癒やすために手を伸ばそうとした。


 その時、村の奥から、複数の足音が聞こえてきた。

 僕たちは、慌てて身を隠した。

 現れたのは、剣と槍を持った、数人の村の自警団らしき男たちだった。

 彼らの顔にも、病の影が差し込んでいる。

 疲弊しきった顔色と、不安げな表情が読み取れる。


「一体、何が起こっているんだ……!?」


 自警団の一人が、僕が癒やした村人を見て、驚きの声を上げた。

 彼らは、僕が癒やした村人が、他の病に倒れている村人よりも明らかに顔色が良いことに気づいたようだ。

 彼らの目には、信じられないものを見るかのような光が宿っていた。


「こ、これは、奇跡だ……」


 別の男が、震える声で呟いた。

 彼らは、僕の存在に気づかないまま、倒れている村人の周りに集まっていた。

 彼らの間で、かすかなざわめきが起こる。

 希望の光が、彼らの暗い表情に差したように見えた。


 僕は、バルトルに顔を向けた。


「バルトル、僕たちどうする? このまま出て行って、また恐れられるかな……」


 僕の不安に、バルトルは首を振った。


《彼らは、お主の光を求めるだろう。穢れに苦しむ者は、真の癒やしを欲している。お主の力を恐れるよりも、その恩恵を求める者が、必ず現れる。お主は、彼らにとっての希望なのだ》


 バルトルの言葉に、僕は意を決した。

 この村の人々を、完全に救うために。

 そして、僕の力が、この世界の希望となりうることを証明するために。

 たとえ、一時的に恐れられたとしても、僕にできることがあるならやるべきだ。


 僕は隠れていた物陰から、ゆっくりと姿を現した。

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