ただ抱き合っただけだ
セシルはまだ城に引きこもっていた時、建前として外国語を学んでいた。和の国に関しては、実際に留学、貿易でやりとりしていた者もおり、なんとか会話が成立するまでに仕上げられた。だが、他の言葉においては、教える側自体が最低限の簡単な表現しか分かっていないカタコトだったこともあり、ほぼ自己流で学んでいた。
リズはセシルから見てもかなり言葉の吸収が早い。しかも、間違えることを極端に恥ずかしがるため、完璧さを常に目指している。船の旅では、ロザード国と交易のある国を通ってきているはずだ。親子の言葉からどこの国から来たか分かるかもしれない。
リズは、セシルの手を借り馬車を降りると、幼い女の子とその母親らしき女性に近づく。
「〜〜〜〜〜〜〜〜」
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
リズに必死に訴えかける女性と何やら話している。セシルの方へ慌てて戻ってくると
「どうやらあの女性が仕えるご主人が乗っている馬車が倒れ、助けを求めにきたようです」
「っ!? なんだって、すぐに助けを……」
「なぁっ!? おまっ!! 今普通に喋って!? いや、それよりなんであいつらの言葉が分か……えぇ!?」
シチは、喋れないと思っていたリズが流暢に、しかも見慣れない異国者と会話をしていることに衝撃を受ける。
「今はそのような場合では……すぐに救援を手配しなければ、兄さん!!」
「…………」
シチは、今まで分からないと思って言いたい放題だった内容を彼女がどこまで理解し、セシルやカラ侯爵夫人に告げ口するか、そればかりが頭をよぎる。もしリズが話せば、プライドの高い妻に離縁を言い渡す大義名分を与えてしまうのだ。それは王位継承争いでセシルに弱点を握られたも同然となる。
「ああああああっ!! おおおおまえええ!!」
「っ!?」
「兄さん!! 何を!?」
半狂乱でリズの腕をつかもうとするシチに、セシルはその手をつかむと、両腕を抑えるように抱きかかえる。
「落ち着いてくださいっ……下手をすれば戦になるところですよ!? 衛兵っ、何をしている!! 領主の保護をしているっ、すぐに応援の手配とあちらの救護に班を分けて動くんだ」
目の前の光景に固まっていた衛兵たちは、慌てて動く。彼らが支えるのはシチだ。どのような理由があろうと領主に危害を与える相手は捕らえなければならない。だが、急に大声を出し、走り出した領主を彼は保護したと言った。ならばすることは1つだ。衛兵隊長はすぐにセシルの指示通りに部下たちを動かす。
「領主様をこちらへ、セシル様はどうぞ奥様の元へ」
隊長と思われる男がすっかり気の抜けてしまったシチを預かる。
「あぁ、助かるよ。彼女たちのことも頼む」
ムチを打たれかけ、言葉の分からない状況で震える彼女たちにリズは助けを向かわせていること、保護することを伝える。
「……セシル様、ありがとうございます。大丈夫ですか?」
「あぁ、大丈夫だ。リズは怪我はないか?」
「はい、大丈夫です……あの……お義兄さんは……」
「兄弟で抱き合っただけだ。何も問題はないよ、それより彼女たちの言葉が話せるのか?」
「船でよく話していたナダヤタ国の方と同じ言葉でしたので、カタコトですけどね」
「ナダヤタ国だと!?」
ナダヤタ国は、ロザード国が最も取引している主要国だ。もし事情を聞かずに事故の対応が遅れ、助けを求めに来た彼女たちを鞭打ちしたとなれば、それこそ大きな問題となるところだった。セシルも当然その言葉は嗜んでいたが、彼女たちの言葉は全く聞き覚えのないものだった。
「彼女たちの使っていた言葉は地方の言葉です。女性や子どもはそちらの方が話しやすいようなので……船では下働きの女性の方と話してましたから。普段貿易などの公的なやりとりでは公用語を使っているのだと思います。なので、私はそちらの方があまり把握していないのですが……」
「……話したいことはたくさんあるが、もう少し通訳を頼めないだろうか? 彼女たちも動揺していて、普段話している言語の方が落ち着くだろうから」
「それは、もちろんかまいませんわ」
リズの少し舌足らずな返事に、セシルはふっと笑う。
「本当に頑張ってくれたのだな。でも、君が上手に話せなくても、僕の妻になってくれたことに感謝している」
「……私もです」
リズの頬に手をふれる。このまま愛しいという気持ちをこの場でさらけ出せたらどんなに良いだろうと思うが、幼い子どもからの熱い視線に気づく。
「…………」
「…………」




