6,出張先で無双することになりました
真理香の尋問で観念した久晴は、阿久井とのやり取りの一部始終を自供する。
「福井にある会社から、新商品の試作に関するCAD図面の制作を依頼され……。阿久井さん、『聞けば分かる』としか言わず一方的に押しつけて……」
すると、宣伝一課のメンバーが興味津々に頭を抱える久晴のところに集まってくる。
当然、主任の琴音や課長の高光も集まってくる。
最初に、言い出したのは英美里で淡々とした塩対応な発言をする。
「そんな依頼、『仕事の依頼は上を通してください』と言って無視すればいいのに」
すると、久晴はため息を吐いて肩を落とし阿久井の問題点を話した。
「あの人、こっちの事情は完全無視して一方的に話をしてくるからやっかいなんだよ。もし、何もやってなかったら何らかの形で合法的に復讐するから……」
「面倒くさいヤツね。あたしなら、セクハラで訴えるけど」
と言って、頭を掻いて困った様子の英美里。
女子社員ならセクハラという手段で訴えは通じるかもしれないが、男子社員の久晴はパワハラで訴えても通用しそうでない相手である事を経験上熟知している。
これまでの課長時代の阿久井は、身分が低い久晴を様々な手を使って扱き使ってきた。
そのため、阿久井に対してトラウマがあり今でも縁を絶ちきりたいと思っている久晴。
その時、何を考えたのか助け船を出したのは上司の二人である。
「多田野さん、こういう話は上司である私達に任せて。開作課長、チャンスが出たわよ」
と言って、宣伝一課の課長である高光に目を向ける琴音。
すると、高光はスーツのジャケットを着直しネクタイを整える。
「そうだよ、ここは我々に任せなさい。多田野君」
と言って、自信に満ちた表情で自分の威厳が保てると思った高光。
そこで、琴音は宣伝一課のメンバーに作戦を立案する。
「多田野さんは、スマホの充電を理由に机に置いて下の階の白河社長に事情を説明して。たしか、白河社長と面識あったでしょ?」
すると、何を考えているのか分からず首を縦に振って面識があることを主張する久晴。
当然、教育係を担当する真理香も同行することに。
「朝川さんは、多田野さんのスマホから電話のやり取りをパソコンに移して白河社長のところへメール送って! 多田野さん、スマホの扱い未だ慣れていなさそうだから」
と琴音の指示を聞き、久晴のスマホを操作し自分のパソコンにデータを移す真理香。
パソコンに移した後、白河社長へことの顚末と同時にデータを送信する。
残った女子社員は、阿久井の情報と次回のプレゼンに関する情報集めのため違う部署へ移動しリサーチをするよう指示を出す琴音。
すると、女子社員全員がリサーチのために一斉に動き出す。
久晴は、何も分からぬまま琴音の指示通りに下の階にいる白河社長へ会いに行く。
当然、真理香も琴音の指示通りに久晴と同行することに。
指示され置いたスマホは、琴音と高光が代わりに受けること説明され安堵する久晴。
こうして、阿久井を懲らしめる作戦が慌ただしく決行することになる。
久晴は、真理香と共に子会社が集まる下の階へ足を運ぶ。
研修期間中に本社上下二階のルームツアーで、広大な本社の上の階と子会社が集中するフロアの下の階を見たとき大企業である事を再確認させられた記憶がある。
そんな中、港区から引っ越してきた黒井製作所へ来たとき後任の社長に就任したばかりの白河との談笑したことがある。
白河佑輔、本社勤務時代は設計部の部長で久晴の上司でもあった人物。
創業者である黒井社長の思想が同じで、厳しい営業も無難に熟し誰にも信頼があった。
その証拠に、黒井社長から次期社長は白河を指名していたくらい。
創業者の突然の訃報により、金原との次期社長争いに負けた白河はKONOEホールディングスに再就職しキャリアを積んでいた。
金原の悪事が発覚し後任の社長となったのは、定年退職した戸渡修蔵の後任の経理部長が不正を見抜き出資元のKONOEホールディングスに密告だと後から知る久晴。
僅かながら白河社長と談笑したとき、「先代の構想していた思想に一刻も早く戻さなければ」と彼の抱負を久晴の耳にしっかりと残っていた。
そんな、被害者とはいえ白河とどのような顔をすればいいのか悩む久晴は黒井製作所の本社へ向かう。
黒井製作所の本社へ到着した瞬間、迎えてくれた白河は頭を深々と下げ謝罪する。
「多田野君、この件に関して誠に申し訳なかった」
それに対して、久晴は白河の謝罪に慌てふためき、
「あっ、頭を上げてくださいっ! これは、白河さんが謝るなんてっ!」
と言って、頭を上げさせようとする。
真理香も久晴と同様に、白河を説得し頭を上げさせる。
「問題は、阿久井という男が何を企んでいることが重要だと思います。明らかにするためには、白河社長や東北にいる開作支社長の協力が」
と真理香は、説得するように話し掛ける。
すると、白河の口から本社勤務での阿久井の勤務態度について困った様子で話す。
「阿久井は、東京本社時代は会社関連の資料を誰も使ってないロッカー全てに詰め込んで隠したり、派遣の女子社員にコミュニケーションを強要したりと何かと問題が多かったそうだ」
「派遣が半年以内に辞めた原因、自分が風紀を乱したと理不尽な理由をつけ経理部の元部長の戸渡と共謀して東北支社へ……。しかも、短期間のスケジュールで引っ越しの準備があるというのに事細かい引き継ぎを強要されて……」
と久晴は、阿久井から受けた仕打ちについて補足するように話す。
事情を聞いた真理香は、阿久井という男がどのような人かハッキリと分かってきた。
さらに、大学院卒だというのに悪知恵だけは誰よりも働き、金原に引き抜かれた際は経理部課長のキャリアを手に入れた。
さらに、専攻は経理とは全く無関係だと白河は語った。
「一応、東北支社の開作さんとリモートで話をしよう」
と言って、パソコンで東北支社へアクセスする白河。
それを見た久晴は慌てふためき止めさせようとするが、真理香が何も言わず目で静止し落ち着かせる。
真理香の視線で、大人しくなる久晴はリモートの政一と話すこととなる。
「多田野君、白河さんから話を聞いた。この件に関しては、私の管理不足が招いた原因だ」
と言って謝罪する政一に、緊張した久晴は首を横に振って慌てふためく。
真理香と白河は、慌てふためく久晴を宥め話を進める。
そんな中、久晴は福井にある会社について記憶にあったことを思い出す。
「たしか、主力である映画関連の備品製作などで経営は順調だと……」
その時、白河は福井にある会社に関して何かを思い出した。
「確か、その会長が多田野君を気に入って引き抜こうとした記憶があったな」
「えっ、そんなことあったの? でも、せっかくのチャンスなのに何で断ったの?」
と真理香は、驚いた表情を見せ久晴に理由を聞く。
すると、久晴は会長の誘いを断った理由を恥ずかしそうに語った。
「実は、CGクリエイターの夢があって……。それに、入社一年目だったから他の会社に移るのは気が引けたから……」
「CGクリエイター? 自室にあるパソコンの画面見たけど、多田野さん腕ならイケるはずなのにどうして?」
と真理香は、食い入るように久晴に問い詰める。
久晴は、真顔で迫る真理香から離れようと努力しながらも家庭の事情を正直に話す。
「両親や兄は、CGクリエイターに関して否定的で……。『遊びのような趣味だけで生活できるほど世の中は甘くはない』と猛反対されて……」
久晴の事情を聞いた真理香は、怒りを露わにして自分の考えを主張する。
「夢のない家族達ね! 私なら、家を出て映画関係の会社などで自分を売り込むけど!」
久晴は、真理香の主張に圧倒されのか、それとも消極的な自分が情けなく思ったのか何も言えなくなった。
そんな、真理香の怒りを宥めたのは白河である。
「とにかく、問題は阿久井が彼に押しつけた仕事依頼について聞かないと話にならない。もしかしたら、君達にプレゼン資料の作成を頼みそうだ」
と白河の話に何を考えたのか真理香は何か閃いて、
「それなら、上司を通して依頼をお願いします! 私達、実戦経験を積むチャンスですし!」
と言って食い入るようにアピールをする。
それに対して、真理香の積極的な行動に久晴は心の奥底で羨ましく思い自分が情けなく思った。、
(自分にも、こんな積極的なところがあったら……)
その後、リサーチを済ませた宣伝一課のメンバーと合流し報告会が行われる。
次回のプレゼン会の新商品だけでなく、阿久井に関する情報を集めた女子社員は他のメンバーや上司に報告。
阿久井は、前の会社でも社内で問題を起こし窓際に追い込まれた過去があり大学院卒を理由に金原がヘッドハンティング。
しかし、仕事が多くて手が回らないを理由に他人に仕事を押しつけ自分は添削のみ。
依頼内容も本題のみで、「言えば分かる」とか「見れば分かる」とか言って依頼内容などを説明せず部下達を困らせる。
その上、久晴を東北に島流しに追い込んだのも依頼した仕事を自分の手柄にしたかった目的。
今回の件、阿久井が得意先に連絡を取って仕事を久晴に押しつけ手柄の横取りを企んでいた模様。
さらに、菜摘や他の二人も阿久井から仕事を押しつけられたことが発覚。
どうやら、久晴達の足を引っ張っれば黒井製作所に引き戻せると阿久井の思惑のようだ。
今回の一件で、阿久井に対して許せない人だと理解し怒りを露わにする宣伝一課のメンバー達。
そんな中、高光から福井にある会社に関する依頼内容が報告された。
「東北支社からの情報では、二代目の社長がアウトドアブランドの立ち上げを計画しており目玉商品になりそうなキャンプギアのCAD製作の依頼だそうだ」
「キャンプギアっ? 何それ、映画関連の備品とは全く関係ないじゃん?」
と言って咲良は、首を傾げて疑問に思った。
当然、彼女も主力の映画関連とは無関係ではと思った。
久晴は、黒井製作所時代に二代目社長と面識があり彼女達の疑問に答えるように話す。
「キャンプギアって、テントや寝袋などのキャンプ用品のことだよ。二代目の社長、アウトドア好きで家族サービスや気分転換でキャンプに出掛けることろを見掛けたことあるよ。しかも、キャンプギアが結構本格的で」
久晴の話を聞いて、何故キャンプギアの設計依頼をした理由が何となく理解した彼女達はどのようなコンセプトか気になって自然と相談し合う。
「要望では、気軽にキャンプを楽しめる焚き火台や折り畳みテーブルなどだそうだ」
と高光の説明を聞いて、真理香はネットなどで見たキャンプギアについて自分の思ったことを宣伝一課のみんなに打ち明ける。
「キャンプギアって、私達のような素人の女子目線では訳の分からないものや危険なものなどありそうなのよね。だから、素人でも安全で分かり易いのが重要になりそうだわ」
すると、久晴は普段バラバラのような彼女達の行動がまとまり始めるように見える。
「そういえば、東北支社時代の同僚で冬キャンプが趣味のヤツがいたな」
と久晴の言った瞬間、彼女達は敏感に反応した。
「まずは、キャンプが趣味の人達にリサーチをお願いっ! 多田野さん、その同僚について知っている範囲内で詳しく教えてっ!」
と真理香の発言で、彼女達が一斉に動き出す。
当然、久晴は同僚に関する情報を自分が知っている限り真理香に話す。
真剣に聞き入れる真理香に、久晴は気迫に負けないよう必死に話す。
こうして、集まった情報を元に資料を宣伝一課のメンバー一丸となって作成。
久晴も、殴り書きのような彼女達の図面を元にCADで製図をしては確認を繰り返し短期間で完成させる。
プレゼン資料は、驚くほどの短期間で完成させた。
(東北支社時代、一人でプレゼン資料を深夜遅くまで作成していたのに……。これが、彼女達の実力とチームワークなのか……?)
と久晴は、胸の内で驚いていた。
その事は、東北支社長の政一に連絡し阿久井と共に来社することが高光から発表。
来社の目的は、出向者である久晴達四人への謝罪とプレゼン資料の受け取りである。
久晴は、阿久井が来ることに出来れば会社を休んで雲隠れしたい気分。
一応、宣伝一課のメンバー全員が同席するので阿久井と一対一で会うことはない。
それでも、何かトラブルが起きるのではないかと不安な久晴であった……。
一週間後、久晴にとって憂鬱な日がやって来た。
そう、天敵である阿久井が東北支社長の政一と共に来社する日である。
一応、宣伝一課のメンバー全員も東北支社二人を出迎えてくれるが出来れば顔を合わせたくない相手なのは間違いない。
現東北支社長の政一と共に阿久井が姿を現すと、久晴は嫌気が差して自分の視界に入らないよう目を背ける。
すると、久晴の行動を気に食わなかったのか近寄って、
「おはようございます。久しぶりやというのに、相変わらずつれないな多田野君。それに、電話も出てくれへんし」
と独特な関西なまりの口調で、目を背ける久晴に説教をする。
久晴は、高光と白河から先日の指示で着信拒否して電話に出ないようにしていた。
指示に従ったのだから、阿久井の説教を受けることはない。
その代わり、宣伝一課のメンバーが阿久井を睨んで無言で引き離す。
特に、英美里の威圧は尋常では無くまさに『ケルベロス』の異名に相応しい睨みを利かせ阿久井を引き下がらせた。
「彼女達、所属部署の同僚かいな? なんか、羨ましいで」
と阿久井は、嫌な顔をする久晴の心情を踏みにじるように話し掛けてくる。
だが、真理香は久晴の気持ちを代弁したのか強烈に言い放す。
「阿久井さん、あなたは多田野さんに対して図々しく話せる状況ですか? それに、開作支社長の顔を見た方がいいのでは?」
阿久井は、政一の方へ顔を向けると鬼のような形相で睨んでいることに気がつき突然大人しくなる。
政一は、久晴に歩み寄ると深々と謝って謝罪の言葉を言い述べる。
「多田野君、この場を借りて改めて謝罪する。うちの阿久井が、今の業務とは無関係な仕事を押しつけて申し訳なかった」
すると、久晴は慌てて政一に対して頭を上げさせようと言い返す。
「そそそっ、そんなに、頭を下げなくても……。第一、あなた自身がしでかしたことではないですし……」
すると、阿久井が調子に乗って頭を下げている政一に話し掛ける。
「多田野君の言うとおりや、こんな専門学校卒の男に頭下げなくても……」
「阿久井君、多田野君に謝れっ! これは、君がやったことだろうっ!」
と政一が即反応で、調子に乗る阿久井を厳しく叱り黙らせる。
政一の怒りで、阿久井は久晴に対して嫌な顔をして深々と頭を下げる。
政一も阿久井に併せて、深々と頭を下げ謝罪する。
それでも、久晴は慌てて何を言えばいいのか分からなくなっていた。
その後、阿久井はミーティングルームで政一と白河に加え久晴の現上司である高光と面談をする。
当然、阿久井に待っているのは三人の厳しい説教の嵐。
琴音は、不安そうな久晴に声を掛ける。
「大丈夫よ、あの男にお灸を据えるだけ」
久晴は、同世代とは故ども琴音の言葉に顔を赤くして黙ってしまう。
本当に、普段からヘラヘラしている阿久井に説教が堪えるのか不安な表情の久晴。
一時間後、ミーティングルームから出てきた阿久井の表情は何処かやつれていた。
どうやら、三人の説教は身に応えたようである。
だが、久晴はやつれ気味の阿久井に対して反省しているとは思えなかった。
「ところで、先週に資料が完成していると聞いとんやけど?」
と阿久井は、やつれてはいてもプレゼン資料を貰えば何とかなると思っているようだ。
阿久井の発言に、不信感を抱いている久晴の予感は当たっていた。
琴音はプレゼン資料を差し出すと、やつれていた阿久井の表情は嘘のように回復して、
「それじゃあ、東北に帰ります」
と言って、その場を去ろうとした。
ところが、阿久井が帰ろうとしたとき待ったを掛けたのは英美里であった。
「あんた、ここでリハーサルしない? こっちの苦労、プレゼン失敗で無駄になるのイヤだから」
と言って、阿久井に楯突くように提案を持ち掛ける英美里。
英美里の提案を聞いて、「生意気な女の言うこと聞かなければならないのか」と言わんばかりに立ち去ろうとする阿久井。
だが、英美里の提案に乗ったのは東北支社長の政一である。
「確かに、彼女の提案は一理ある。阿久井さん、この会社流のリハーサルを受けてみたらどうかね?」
と言って、英美里の提案を快く受け入れた政一。
すると、英美里は宣伝企画部の人達に声を掛けリハーサルを準備する。
小規模の会議室で、英美里に声を掛けて応じた宣伝部の人達が阿久井を囲むようにプレゼンのリハーサルを行う。
阿久井は、ヘラヘラした表情は消え緊張した状態で本番を想定したリハーサルを受ける。
英美里や宣伝企画部の人達は、年齢とは関係なく阿久井のミスに容赦なく指摘する。
久晴と宣伝一課のメンバーは、阿久井のリハーサルの様子を何も言わず見守る。
久晴は、リハーサル中の阿久井の表情に生気が消えていくのが見てハッキリと分かる。
リハーサルが終わる頃には、ヘラヘラした阿久井が消し炭のように気力を失い誰が見ても立ち直れそうではなかった。
この様子を見た政一は、困った表情で首を横に振り阿久井にプレゼンは無理だと判断。
「申し訳ない、我が弟に……。嫌っ、宣伝一課課長として依頼したいのだが?」
と政一は言って、弟である高光に何かを依頼しようとする。
すると、高光は自分の兄である政一が何を頼むのか言わなくても分かっていた。
「朝川さん、多田野さん、申し訳ないが福井まで出張をお願いしたいのだが……」
と言って、久晴と真理香に目を合わせる高光。
すると、真理香は目を光らせ課長高光の依頼に快く受ける。
だが、英美里は真理香のことが心配なのか久晴の代わりに自分を行かせるように願い出ようとするが、
「大丈夫よ、無防備な女性を襲ったりする男では無いわ。それに、彼の実力をこの目で確認したいことがあるの」
と真理香は、安心させるように英美里の願い出を止める。
すると、英美里は真理香の真意を察したのか願い出を取り下げる。
まさか、真理香と二人っきりで出張へ行くなんて想定外の出来事に頭がパニックの久晴。
一応、東北支社長の政一も同席するが久晴の頭に「不安」の二文字しかない。
(普段、朝川さんの仕事ぶりを見て完璧だし……。絶対、足を引っ張るって俺っ!)
早くも自信喪失状態の久晴は、一夜を過ごすことになるのは言うまでも無かった……。
その後、プレゼン担当の真理香は自信に満ち溢れた振る舞いで説明する。
久晴はと言うと、プレゼン資料のCADをプロジェクターに展開し真理香をサポート。
「あんた、真理香の説明聞いている? CADの図面間違っている!」
と英美里が厳しく指摘され、緊張状態の中で慌てながら映像を映し直す久晴。
本番を想定したリハーサル、完璧な立ち振る舞いの真理香に対して緊張でミスを連発する久晴は表情に焦りが出ている。
「焦らず、用意した資料と照らし合わせましょう。多田野さん」
と真理香にアドバイスを送られたが、慣れないリハーサルと英美里の威圧がプレッシャーとなってミスを連発し余計焦る久晴。
休憩中も、真理香が励ましてくれたが不甲斐ない自分に苛立つ久晴。
(大丈夫かな、俺……? 朝川さん、笑顔でいるけど怒っていないかな……?)
と久晴は、心の中で弱音を吐いていた。
下手すれば、「交代すればよかったのでは?」と自分を責めるところまで追い込まれていたに違いない。
それでも、緊張と焦りとプレッシャーに心の中で弱音を吐きながらもプレゼンのリハーサルを続ける久晴。
もしかしたら、自分の実力を認めて貰えるチャンスでは心の中で希望を抱いてたかもしれない……。
こうして、出張当日を迎え新幹線を乗り継いで目的地の福井へ向かう久晴。
隣の席には、真理香がパソコンを開きプレゼン資料に目を通す。
久晴も同様に、出張用のノートパソコンを開いてプレゼンで使用するCAD図面に誤りが無いか何度も見直す。
結局、リハーサルはミスを克服することは出来ずナーバスになっている久晴。
「多田野さん、リハーサルがダメでも本番で出来れば何も問題ないわよ」
と真理香が言って励ますが、のし掛かるプレッシャーに気が重くなる久晴。
(大丈夫かな、俺っ……? もし、本番でミスしたら……?)
と心の中で、不安が募り顔を曇らせ出来れば時間が止まることを祈っていた。
それでも、久晴と真理香を乗せた新幹線は無情にも乗り継ぎ地点である金沢まで向かうのであった……。
政一とは金沢で合流し、福井に到着したのは正午を過ぎ。
その後、目的地の会社に到着すると出迎えてくれたのは創業者の会長や二代目社長。
久晴と真理香の二人は、工場を見学することになる。
そこで、気になったのは鳴門のような無数のアルミパイプ。
しかも、その長さが三メートル以上もあり驚いた真理香は二代目社長に話し掛ける。
「あれ、一体何ですか?」
すると、二代目社長は突然の質問に、
「これ、会長の発明品。信じられないと思うが、井戸水で工場を冷房する装置だよ」
と言って、自分も疑っていた。
まさか、井戸水で工場内の冷房していると聞いて新鮮な驚きを発見する真理香。
何かを思い出したのか、久晴は真理香に新たな情報を伝える
「創業者の会長、発明が趣味で工場の冷房装置の設計を手掛けた人だよ」
「それ、早く言ってよ。まさか、こんなものがあるなんて予想していなかったから」
と言って、久晴に注意する真理香も工場のシステムに驚く。
一応、十年ほど前に工場を見学したのだが何度見ても驚いてしまう久晴。
工場内にも、新たな発明品を発見すると久晴は改めて会長の凄さを思い知らされる。
そんな中、真理香は先日に話したことを思い出し久晴に質問した。
「多田野さん、もしかしてこの会社に引き抜きたいといった人ってっ?」
「大正解。当時は社長で、依頼されたCADの清書を見て気に入られて……」
と久晴は、隠すのは無駄だと悟り真理香の質問に素直に答えた。
当然、真理香は自分の考えを押しつけるように久晴を説教する。
「勿体ない! 多田野さん、チャンスと思って引き抜きに応じれば出世したのに!」
真理香の説教に、久晴は場を考慮することなく必死に反論する。
「朝川さん、前にも話したけど……。その時は、入社したばかりで……」
これを皮切りに、久晴と真理香は口論に発展してしまう。
その口論を止めたのは、居合わせた政一である。
「二人とも、話は別の場所でお願いしたいのだが」
注意された久晴と真理香の二人は、政一に謝って必要以上に話すことは無くなった。
その後は、場を考慮して質問以外は話すことのない久晴と真理香の二人。
真理香の異様な大人しさに、久晴は警戒するように間合いを開ける。
(朝川さん、まだ怒っているのかな……)
と無表情の真理香を見て、心の中で気にしている久晴。
工場見学が終わると、プレゼンの会場である会議室で名刺交換。
出向者の久晴は、名刺は無くプレゼンの準備をする。
その間、政一と真理香は依頼主である二代目社長や会長と名刺交換する。
「確か、阿久井さんがプレゼンに来る予定の筈ですけど……」
と二代目社長が、気になって政一に問い掛ける。
「阿久井は、こちらの諸事情で東北支社に残っています。その代わりですが、親会社の宣伝企画部から二名がプレゼンを担当します」
と言って、政一が事情を説明し真理香を紹介する。
真理香は、依頼主である二人に名刺を渡して自己紹介する。
依頼主側の二人は、まさか女性が来るなんて少し驚いていた。
「あの、準備している男の人は……?」
と二代目社長が、気になって真理香に問い掛けると、
「彼は、プレゼンの助手で来ました。プレゼンで、質問がありましたら私が答えます」
と返答し、自分の名刺を渡す真理香。
その間、真理香に怯えながらも出張用のノートPCやプロジャクターを起動して準備が整ったことを目で合図を送る久晴。
その時、コーヒーを差し出す女性が姿を現す。
「多田野さん、あの女性は誰っ?」
と真理香は、誰にも聞こえないよう耳打ちで久晴に質問してきた。
「あの人、二代目社長の奥さんだよ。彼女、コーヒーに拘りがあって……」
と耳打ちで返答し、見覚えがある事を伝える久晴。
「経理の弟が、会議室に来るのでしばらくお待ちください」
と二代目社長が話すと、確認する時間があることに気がつく久晴と真理香。
少しの間、ノートPCの画面を見ながら二人で順番をチェックする。
そこへ、真理香からほのかに香る香水が久晴の頭を無意識に刺激する。
(落ち着け、とにかく落ち着け、俺……!)
と久晴は、心の中で何度も叫び自制心を働かせようとする。
その時、何を思ったのか差し出したコーヒーを一気に飲んで気を紛らわせようとする。
当然、差し出したばかりのコーヒーは熱く口内の薄皮が捲れそうになり慌てる。
それでも、久晴は噴き零すのを堪えノートPCは無傷。
「だっ、大丈夫っ? ほらぁ、熱いと分かっているのに」
と真理香が、母親のように心配そうな表情で久晴を様子を見る。
久晴が真理香の声に反応して振り向くと、口周りにコーヒーがくっ付きコントに出てきそうな泥棒みたいになっていた。
それを見て、真理香と政一は必死に笑いを堪え注意する。
久晴は、最初は不思議そうで笑いを堪える二人を見ていたが、口周りに気がついて慌てておしぼりで口周りを拭く。
久晴の行動で、耐えきれず思わず笑ってしまう真理香と政一。
久晴も、恥ずかしいところを見られて苦笑いしたが何故か緊張状態から解放された。
これで、プレゼンのサポート頑張れる気がする久晴は気分を切り替え始める直前までチェックを繰り返した。
三十分後、経理担当の弟が会議室に姿を現しプレゼンが始まる。
その際、経理担当の弟が久晴の顔を見て首を傾げていたが気にすること無くプレゼンが始まり席に座ると静かになる。
壇上に立つ真理香が、依頼主側の四人に一礼をして自己紹介する。
「では、早速プレゼンを始めたいと思います。今回のテーマとして、素人でも分かり易くて扱いやすいキャンプギアの試作予定図を用意しました」
と真理香の声で、久晴はノートPCを操作しプロジェクターに3Dで製作したCADを映し出す。
(この会社、本格的なのを使っているから映りがいいんだよな……)
と思いながらも、真理香をサポートする久晴。
リハーサルとは違い、緊張が解れたのかミスすること無く試作品の3D映像を順番通りに映し出す久晴。
壇上に立つ真理香は、落ち着いてサポートする久晴に安堵し紹介に力を入れる。
その結果、予定より早くプレゼンが終了し余裕が出来た。
「皆様、質問などありましたら挙手をお願いします」
と真理香は、余裕の顔で質問に応じる姿勢を見せる。
完璧な真理香のプレゼンに、質問はないと思い心の中で安堵する久晴。
ところが、二代目社長の口から全く想定していない無茶振りが出た。
「焚き火台のCADを見たけど、土台の部分をもう少し細くしてもいいのでは?」
「一応、焚き火台については当社で検討して……」
と言って、二代目社長の無茶振りに説明して納得させようとする真理香。
それでも、二代目社長は自分の主張を貫き無茶振りな要望を押しつける。
「それに、火の調整をし易いよう五徳を追加すれば文句の言い様がないけど」
それでも真理香は必死になって説明するが、自分の主張を曲げない二代目社長。
流石に、このままではまずいと思ったのかマウスを動かし簡易的に作図をする久晴。
それを見て、目で止めようとする真理香。
だが、政一は何かに気がつき首を横に振って、
「CAD担当が、修正を致しますのでしばしお待ちをお願いします」
と言って、久晴の行動を援護。
真理香は固唾を呑んで、久晴の行動を見守ることしか出来ない。
製図は数分ほどで修正が終わり、プロジェクターに映し出す久晴。
修正した図面を見て、イメージ通りなのか納得する二代目社長。
だが、久晴はアニメーションで分かり易く映し出しデメリットを説明する。
それを見て、自分の主張に問題点ある事に気がつく二代目社長。
久晴は、図面に関して補足するように説明した。
「要望通りで作成すると、焚き火の熱による変形で再度組み付け出来ない恐れもある上に劣化が早まり想定内の対応年数には達しない恐れがあります。それに、五徳をセットだと明らかに予算オーバーで販売は出来ません」
専門的な久晴の指摘に、二代目社長はショックで反論することが出来ず肩を落とす。
二代目社長の奥さんは、肩を落とす二代目社長に説得させる。
「あなた、『餅は餅屋に限る』のことわざがあるでしょう。それに、組み立てが難しいと女の立場の私として使いにくいわ」
奥さんの意見を聞いて、シュンと大人しくなる二代目社長。
奥さんが、女の立場を代弁して説得してくれたのが身に応えたに違いない。
「五徳に関しては、売れ行きを見てからオプションとして提供すればどうでしょうか? それに、クラファンで予算を集める手もあります」
と言って久晴が提案を持ち込むと、調子に乗って二代目社長が納得する。
その提案を聞いて、ホッと一息吐いて安堵する久晴。
そんな中、経理担当の弟が何かを思い出し二代目社長達に話し掛ける。
「思い出したっ! 彼っ、十年ほど前に商品の製図を担当した多田野さんだっ!」
すると、二代目社長や会長が騒ぎ出し前髪が変わった久晴に話し掛ける。
それに対して、コンプレックスの目付きが気になり隠そうと顔を背けようとする久晴。
「気にしなくても大丈夫よ。多田野さん、キリッとした目で格好いいわよ」
と二代目社長の奥さんが煽てるように話し出すと、イメチェンした久晴を見て褒める二代目社長達。
久晴は、顔を赤くして言葉が出なくなった。
「彼っ、恥ずかしがり屋だもんで……。それに、出向を機に気分転換をさせたくて」
と説明して、笑って場を誤魔化そうとする真理香。
すると、緊張したプレゼンが一気に明るくなり契約が面白く締結。
その様子に安堵する久晴だが、作り笑いの真理香を見て一抹の不安を予知していた。
その日の夜、ビジネスホテルで一泊する久晴は疲れたのか雪崩れ込むようにベッドの上に倒れる。
出来れば、このまま眠りに就きたい気分だった。
そこへ、ドアからノック音が聞こえてくる。
最初は、ホテルマンだと思いドアを開けると真顔の真理香が出てきた。
しかも、先日入ってきたTシャツとショートパンツの部屋着姿。
久晴は拒もうとドアを閉めようとするが、真顔の真理香が手で閉めるのを阻止する。
「反省会、始めるわよ……。座って、多田野さん……」
と言って、久晴の部屋に強引に入ってくる真顔の真理香。
久晴は、思わずカーペット床の広いところへ正座する。
真理香は、黙ったままカーペット床の広いところへゆっくりと歩き久晴の目線に合わせるよう正座をする。
久晴は、恐怖で顔が引き攣り固唾を呑むことしか出来ない。
二人がカーペット床の上で正座すると、真理香は重い口を開く。
「まず、私の許可なくパソコンの操作をしましたよね。本来、プレゼン中はパソコンでの編集作業は禁止の筈です」
と真理香は、真顔で久晴を説教する。
それに対して、久晴は困っている真理香を助けようとした行為である事を主張しようと話そうとする。
だが、真理香は言い出しそうな久晴に対して目で制止して、
「多田野さん、言い訳は聞きたくありませんっ!」
と一喝して、喋る隙を与えようとしない。
真理香の威圧で、母親の説教に反論できない子供のように不満な表情で黙ることしか出来ない久晴。
「今後、指示のない勝手な行動を慎んでください。分かりました、多田野さん」
と言って、厳しく叱る母親のように久晴を説教する。
最初は反論しようとする久晴だが、真理香の威圧に勝てるわけがなく、
「はい、分かりました……」
と言って、大人しく従うしかなかった。
久晴の一言で、何故か真理香は笑顔に戻り自分の反省点と評価することを言い出す。
「今回、相手の想定外の提案が来ることを推測できなかったことは反省すべきね。でも、あなたの手助けがなかったらプレゼン失敗していた可能性があったことは事実……」
まさか、自分の反省点を正直に話すなんて思いもしなかった久晴は驚いた表情で黙ってしまう。
そのとき、真理香が必要以上に久晴に迫り、
「社内のプレゼン大会、あのアニメーションなどを使えないかしらっ?」
と要望され、一瞬思考が止まってしまった久晴。
緊張して、言いにくそうな表情を見せながらも、
「あのCAD、シミュレーションとして自分で動かしたりアニメーションを使ったりと機械系のだから問題ないよ。まず、要求する目的と内容がハッキリすれば……」
と言って、真理香の要望に応じる久晴。
すると、真理香は喜んで思わず久晴を抱きついてしまう。
抱きついてくる真理香に、困った様子の久晴はどのように対処すればいいのか分からず思考回路が完全にフリーズしてしまった。
フリーズした久晴を見て、真理香はクスッと笑って、
「まだ、女の子の接し方に慣れていない。これは、要トレーニングね」
と言って、ウインクをして小悪魔のような笑みを浮かべる。
これ以上は無理だと判断した久晴は、カーペット床から立ち上がろうとするが足が痺れて思わずカーペットの床に転んでしまう。
その様子に、真理香は思わず笑い恥ずかしいはずなのに久晴も吊られて笑った。
その後、真理香は自分の部屋に戻ると再びベッドの上で横になる久晴。
普段、年頃の美人な女性に抱きつかれたら誰でもドキドキして眠れなくなる。
だが、この日ばかりは不思議とぐっすり眠れた久晴であった。
翌朝、電車を乗り継ぎ帰社の途に就く三人。
その時、阿久井の企みと今後どうなるのか政一から聞き出す久晴と真理香の二人。
政一の話では、自分の思い通りになる部下が配属させようと思い自分の所持している会社用のガラケーを使って久晴達四人に無茶な仕事を押しつけていたようだ。
そして、手柄を阿久井の手柄にすれば出世のチャンスがやってくる。
さらに、足を引っ張り続ければ出向期間前に誰かが戻ってくると思ったらしい。
そのためには、自分の知っている会社にアポを取って仕事の依頼を聞き出していたと事務員の女子達から証言を聞き出した。
阿久井の最大の誤算は、久晴達四人の会社用携帯が古いガラケーから最新型のスマホへ機種変更により通話を録音機能が企みの発覚に繋がったのは間違いない。
今回の一件で、阿久井は主任から降格処分に加え会社用のガラケーを没収。
現在、教育係の向井が葛谷の部下と一緒に再教育を受けていると政一から話を聞くと、
「……てっことは、休日は禅寺修行を阿久井は受けているとっ?」
と久晴は、気になって政一に質問する。
「その通りだ。向井のおやっさん、徹底的に阿久井を扱いているから君達に理不尽な仕事を押しつける暇はないはずだよ」
と政一の返事に、向井の性格を知っている久晴は阿久井が亡くなってはいないのに心の奥底で合掌して冥福を祈った。
その後、乗り継いで帰社すると出張レポートを真理香と共に作成し高光に提出。
今回の出張で、思わぬ収穫を得た真理香と自分の実力を認めてくれた久晴は満足して社宅寮へ帰宅するのであった。
一ヶ月後、プレゼン大会で久晴は一課のメンバーとして参加。
真理香の完璧なプレゼンをサポートするように、CADのアニメーションなどの様々な機能を駆使して立体的で動きのある映像をプロジェクターで映し出す久晴。
他のプレゼンに対しても、英美里をサポートする形で専門的な観点から問題点を指摘。
久晴の立体的で動きのある映像と、真理香の完璧で分かり易いプレゼンが効果的で付け入る隙を与えることは全くなかった。
「今回のプレゼン大会、宣伝一課に新商品の宣伝を依頼いたします」
と部長の一言で、異常に喜び合う宣伝一課のメンバー。
ここ最近、負け続きで連敗中と聞いていた久晴は手助けできて一安心。
その時、課長である高光が宣伝部長と談笑する姿が目に入ったが、彼女達の喜び合う姿を遠くから見て報われたと思い疲れは何処かへ飛んだ。
しかし、後に訪問客の来社が原因で彼女達との関係に亀裂が生じることを知る由もない久晴であった……。