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4,ゾンビ治療開始!

 二月末日の昼下がり、出向により東京へ戻ってきた久晴は背伸びをしてリラックス。

 地元に近く土地勘のある久晴は、落ち着いたらいち早く秋葉原へ行きたい気分。

 それに対して、東京に来たばかりの同僚三人は終始パニック状態。

 特に、地元から出たことが一度もない菜摘は東京駅の構内から出ていないのに外国に来たようなカルチャーショックの洗礼を受けたように終始驚くばかり。

「私、実を言うと修学旅行のチャンスがあったのですが他県へ出掛けたことは一度も……。実家が果物農家で、母から「修学旅行に行きなさい」と言われても申し訳なく思って……」

 と言って、複雑な駅構内に驚くばかりの菜摘。

 菜摘の話を聞いて、彼女の親孝行ぶりを改めて実感する久晴。

「言っとくけど、俺から離れると迷子になるぞ」

 と言って、何処へ行けばいいのか分かる久晴は乗り継ぎの山手線へ向かう。

 どうやら、会社のアクセス路線をネットで調査済みで土地勘のある久晴は至って冷静。

 引率する久晴の姿は、修学旅行の担任教師にも見える。

 だが、両手でつり革を握る久晴の姿を見て不思議になる同僚三人。

「対策だよ。これ、俺が何時もやっている痴漢えん罪対策」

 と久晴が言った瞬間、納得した表情で空いている席に座る同僚三人。

 それから、新橋に着くと工事中の状態に驚く同僚三人だが、

「改装中だから、今以上に変わると思うよ。現に、公園レイアウト変わっているから」

 と久晴の言葉に「まだ変わるの」と言わんばかりに驚くばかり。

 特に、りんかい線の無人電車に乗った菜摘の驚きは尋常ではなかった。

 久晴は、パニック状態の菜摘に何とかして宥める。

 そんな中、阿久井に慰留された日のことを思い出す久晴。

 それは、出向の辞令が出た久晴達四人に必死になって引き留めようとする阿久井。

 当然、出向が決まった四人は阿久井の引き留めに応じることはない。

 特に、阿久井に散々振り回させた久晴は異常なほどの冷淡で、

「あなたと一緒に仕事をするくらいなら、転勤した方がまだマシです」

 と言って阿久井の引き留めには完全拒否。

 もし、慰留に応じても何のメリットもないと想像できたからだ。

 向井は、何度も慰留を懇願する阿久井を見つけては持ち場へ強行連行し出向することが出来た。

 今は、悪縁を断ち切れたことに一安心しているが、

(阿久井のことだ……。なんか、変な手を使って引き戻そうとするのでは……)

 と心の中で、不吉な予感が脳裏をよぎる久晴。

 そんな、希望と驚きと不安に入り交じった出向先への道中は終着点のKONOEホールディングスの本社がある豊洲駅へと走る電車であった……。




 午後三時前、KONOEホールディングスの本社オフィスビルがある豊洲駅に到着した久晴達四人。

 オフィスビルを見た瞬間、規模の大きさに驚愕する四人。

「まさか、これほどの規模だなんて……」

 と言って、土地勘のある久晴ですら規模の大きさに驚く。

 なんと、KONOEホールディングスの本社であるオフィスビルは空を見上げたら雲を突き抜けそうな程の高層ビル。

「ひょっとして、このビル自体がKONOEホールディングス本社っ?」

 と言って、菜摘が真顔で久晴に質問してきた。

「まっ、まさか……。おそらく、この高層ビルは賃貸の複合オフィスビルだと思う」

 と久晴は、驚きながらも推測して答えが騒然とするばかりで落ち着く様子がない。

 そんな、騒然とする久晴達四人にガラケーからメールの着信音が聞こえる。

 メールの着信音を聞き、ガラケーを開いて届いたDMの内容を見る。

「えっ、『豊洲シティービル一階ラウンジに集合』ってこれ誰からのDMっ?」

 と久晴は、誰が監視しているのだろうか思わず周囲を見渡し探し出す。

 だが、高層ビルは鏡面張りで誰がのぞいているのか分からない。

 同僚三人は、謎のメールでパニックになり周囲を見渡し誰が監視しているのか必死になって探すだけで、何をすればいいのか分からず怯えていた。

 当然、ガラケーからビルの中に入るよう催促のメールが入る。

「とりあえず、ビルの中へ入ろう。ここで、犯人捜ししても始まらない」

 と言って、メールの指示に従いオフィスビルの玄関口に向かう久晴。

 同僚三人も、久晴の後を追うようにオフィスビルの玄関口へと向かう。

 雲を突き抜けそうな程の高層ビル、送信者の分からないメール、謎が謎を呼ぶ状況の中で久晴達四人は恐る恐るオフィスビルの玄関へと入った。

 まるで、危険な洞窟に慎重に侵入する探検隊のように……。


 オフィスビルの中へ入ると、近未来的な内装に驚きを隠せない久晴達四人。

「まるで、映画のセットのようだ……」

 と第一印象を口に出す久晴は、見上げる内装に目を丸くして驚く。

 オフィスビルの内装は、異常な広さと見上げたら首を痛めそうなくらいに高さのあるエントランスホールに加えSF映画のような広大なコンクリートジャングル。

 そこで働く人々は、コンクリートジャングルのような通路を行き交いしている。

「いくら、出向先が大企業でも従業員がこんなにいるわけでは……」

 と久晴は菜摘の質問を思い出すが、近未来的なビルの内装に目を疑うことしか出来ない。

 そんな中、久晴の疑問に答えるように背後から女性の声が聞こえる。

「その通り、このビルは様々な企業が入居する複合オフィスビル。一階から五階までが商業施設で、ビル自体が一つの街になっています」

 女性の声に思わず振り向く久晴は、モデルのような四人の女性が横並びで立っていた。

 まるで、先日夢に出た四人の天使と重なって見える。

 そんな中、見覚えがある女性が中にいたので思わず問い掛けてしまう。

「あっ、あのおっ、確か年末で会いました……?」

 すると、話し掛けようとする久晴を引き裂くように、

「あなたは誰ですか? 私は、朝川あさかわ真理香まりか。あなたとは、ここで初めて会いますけど」

 と淡々とした自己紹介し、久晴の問い掛けに完全に否定する真理香と名乗る女性。

 それでも、会った記憶がある久晴は真理香の容姿を確認する。

 長身でモデル体型、金髪ブロンドの長い髪、細身の眼鏡を掛けているが大人と少女の中間の顔立ちは間違いなく年末で偶然に会ったコスプレイヤー北欧まりんだと思った久晴。

 だが、真理香は「初めて会います」と言わんばかりに睨み久晴を威圧する。

 真理香の威圧に押され、深く追求することが出来ない久晴。

 真理香は、久晴が黙ったのを確認すると集まったことについて話し出す。

「では、この後の予定を発表します。本来なら、今から貴方達を社員寮へ案内したいところですが」

 と真理香は、不安な表情の久晴達四人を見て身形を厳しく指摘するような主張する。

「貴方達は、ブラックな環境で過酷な労働を強いられたゾンビ。社畜ゾンビですっ! だから、その姿で社員寮に案内するわけにはいきませんっ!」

「しゃ……、社畜ゾンビっ? なっ、なんか嫌な予感が……」

 と言って久晴は、何かを企んでいる真理香に身を固めて戦々恐々と警戒する。

 同僚三人も、久晴と同様に不安そうな顔で真理香達四人を警戒。

 真理香は、不安そうな久晴達四人の空気を壊すように強要してきた。

「ゾンビ治療の一環として、今から貴方達にはイメチェンして貰います!」

 金原政権下の時代、激務に追われる日々でプライベートすら与えられない久晴達四人に今すぐイメチェンしろと言われても無理難題な話。

 当然、困った顔をしながら首を何度も横に振って無理だとアピールする久晴達四人。

 まるで、自分で首を痛めるくらいに。

 それを察したのか、真理香は笑顔で久晴達に話し掛ける。

「皆さん、心配しないでください。私達は、貴方達のイメチェンをサポートするために来ました」

「いっ、イメチェンのサポートっ?」

 と言って、自信満々の真理香を見て不吉な予感を感じる久晴。

 まるで、警戒心で体を縮こめる猫のように。

「では、ゾンビ治療開始です!」

 と真理香の宣言で、三人の美女達は同僚三人を分担して連れ出して行く。

 玄関フロアーに残されたのは、警戒する久晴と自信満々な真理香の二人のみ。

「では、用事がありますので……」

 と言って、何とかしてその場から逃げようとする久晴。

 だが、真理香は逃げようとする久晴の手首を両手でガッシリと掴んで阻止し、

「多田野さん、あなたもです。早速、行きましょうっ!」

 と言って、何処かへ強制連行する。

 久晴は、華奢なのに力強く連行する真理香に抵抗することが出来ず連行されるだけだった。

 最初に連行された場所は、何処かおしゃれな雰囲気のある床屋。

 いや、床屋にしてはおしゃれ過ぎるような気がした久晴。

 現に、店のスタッフ自体が清楚で品があり若々しく見える。

「ここは、私が通うヘアサロン。分かりやすく言うと、美容院ね」

 と真理香が、不安そうな久晴に床屋ではないことを伝える。

 それを聞いた久晴は、「美容院は若い女性が行くところ」だと固定概念があり脱走を試みる。

 しかし、真理香が逃がそうとせずヘッドセットする席に久晴を強引に座らせる。

 強引に座らせた久晴は、抵抗する暇がなく為すがままの状態。

「では、彼の散髪とセットお願いします」

 と言って、スタッフに指示を出す真理香は慣れている様子。

 それに対して、改造手術をされるような気分で緊張全開の久晴。

「では、少しおでこが見えるくらいカット致しましょうか?」

「そうね、アップパンクなネオ七三でスッキリさせちゃって」

 と真理香とスタッフの話し合いを聞いて、コンプレックスのキツい目付きを世に晒されることを嫌がり必至に抵抗する久晴。

 だが、スタッフは久晴の抵抗を無視するように手際よくシャンプーやヘアカットをする。

 真理香は、変わりゆく久晴の髪型に目を輝かせて期待する。

 まるで、我が息子が格好良く変身する様を楽しみにする母親のように。

 それに対して、強制的に髪型を変えられる久晴の脳裏には絶望の二文字のみ。

 ヘアカットして小一時間後、久晴の髪型は真理香の要望通りの髪型へと変身。

 久晴の変身に、「思った通り」と言わんばかりに大満足する真理香。

 それに対し、スタッフから「お似合いですよ」と声掛けられても終始肩を落とす久晴は、

「出来れば、この目付きを人前に晒されたくなかった……」

 と言って相当ショックを受けてしまい、美容院が新たなトラウマとなってしまった。

 こうして、会計を済ませ美容院を後にする久晴と真理香の二人。

「まだ、用事があるので……」

 と言って、嫌な予感しかしない久晴は逃げようと試みる。

 当然、真理香は背中の襟を掴んで逃走を阻止し、

「まだ、終わっていないっ! 髪型の次は、スーツと私服っ!」

 と言って、別の場所へ久晴を容赦なく連行する真理香。

 何とかして逃げ出したい久晴は、「大事な用事が」と何度も訴えて振り切ろうとする。

 だが、真理香は久晴の心を見抜いたように、

「どうせ、秋葉原へ逃げ込むでしょう! 今後のスケジュールでは、社員寮しかありませんので観念してくださいっ!」

 と言って、有無も言わせず強制連行する。

 図星の久晴は、抵抗することなく連行されるしかなかった。

「大丈夫、スーツは支給内で納めますし私服もリーズナブルで済ませますので」

 と言って、笑顔で久晴を連行する真理香。

 こうして、真理香プロデュースの荒療治とも言えるゾンビ治療は久晴達四人の意思を完全に無視するように実行される。

 久晴は、荒療治とも言えるゾンビ治療を受けることしか出来なかった。

 先日見た夢が、正夢であることを実感するように……。


 こうして、時刻が夕方を迎え社員寮に案内された久晴達四人。

 同僚三人は、久晴の髪型を見て驚きの余り同僚の間で騒ぎ出す。

 当然、久晴も同僚三人の変わりように驚くことしか出来ない。

 特に、田舎娘のイメージが強い菜摘の変身ぶりには驚愕の二文字しか思い浮かばない。

 久晴は、大人の女性らしくなった菜摘を見て反射的に後退りをしてしまう。

「私です、加納ですっ! 多田野さん、警戒する猫みたいに怯えないでくださいっ!」

 と言って必至に説得する菜摘だが、久晴の警戒心は解くことはなかった。

 そんな、騒ぎ出す久晴達四人に真理香が自室のカードキーを手渡し、

「荷物は、入室する部屋に運んでいます。明日は、日曜日ですので旅の疲れを癒やしてください」

 と笑顔で言って、何もなかったように別れた。

 仕方なく、残された久晴達四人はカードキーの番号を見て荷物を運ばれた自室へ向かう事しかできない。

 自室に向かう途中、ラウンジの光景を見て目を疑う久晴達四人。

 一階のラウンジは、商業施設のフードコーナーを彷彿させる設備が整っている。

 売店のようなキッチン施設、無料のドリンクバー、広々としてゆとりのある座席と座席の数に圧倒されるばかり。

 さらに、一階には生活に必要な共同のランドリーと男女別々の共同浴場に加え、フィットネス施設や映画館などの娯楽施設が整っている。

 その上、社員寮の中に二十四時間営業ではないがコンビニもある。

「これって、ホテル? いや、街が一階に凝縮しているっ?」

 と言って、目をパチパチして疑う久晴。

 何せ、ボロアパートを買い取った東北支社の社宅寮とは比べものにならない充実した設備に驚くばかりで言葉に言い表すことが出来ない。

 そこへ、ガラケーからメールの着信音が聞こえる。

 ガラケーには、「一階の施設は自由に使ってください」と着信メールが入っている。

 おそらく、送信者は真理香に違いないと確信する久晴。

「じゃあ、高層ビル前のメールも朝川さんが……?」

 と菜摘が、不安そうな顔で久晴に問い掛ける。

 すると、久晴は静に頷いて間違いないと菜摘に返答する。

 その時、社宅寮の寮長か管理人と思われる中年の女性が姿を現し、

「今度、出向してきた人達だね。では、貴方達の部屋を案内するから」

 と言って、久晴達四人を手招きする。

 久晴達四人は、考える暇無く中年の女性の案内について行くしか出来なかった。

 こうして、久晴は自室に入ると自分の手で段ボールに梱包した荷物が既に入荷。

 自室を見渡すと、広々としておりテレビや冷蔵庫の最低限の電化製品、ベッドや机などの家具が既に設置済み。

 至れり尽くせりの設備に、改めて会社の規模の大きさを実感する久晴。

「さて、荷物を開梱しなければ……」

 と言って、届いた荷物を開梱する久晴。

 ところが、自分の私服が一着も無くなっているに気がつく。

 一応、私物のパソコンやコミケで購入したメカ関係の資料集関係、生活に必要な下着やタオルなどはしっかり残っている。

 それなのに、何故かスーツと私服だけが完全に消えている。

「あれっ、引っ越しのとき段ボールに入れたはずなのに……」

 と思わず言って、何度も段ボールの中をかき分けるように探す久晴。

 だが、段ボールに入れたスーツや私服は無くなっている。

 もしかしたら、運送屋の発送遅れで届いていないのだろうか?

 それとも、誰かの悪戯で何処かに隠しているのだろうか?

 悩む久晴は、机の上に置かれている書き置きを発見し目を通す。

「えっと、『貧乏臭いので処分しました! 真理香』って徹底的だな……」

 と言って、真理香が前日届いた荷物の中からスーツと私服だけ処分したことに気がつく久晴。

 同時に、スーツと私服を購入したのも処分した分の穴埋めであることが分かってきた。

 さらに、書き置きの手紙を裏返すと「せっかくの新生活、古いのを着続けると運も落ちますよ!」と書かれている。

「なるほど、彼女なりの計らいというのか……」

 と言って、ベッドにゆっくりと腰を下ろし財布から二年参りに引いた大大吉のおみくじを取り出し推測する久晴。

 年末にあったコスプレイヤー北欧まりんと、今日会ったばかりの朝川真理香、記憶を合わせる度に同一としか思えない。

「絶対……、同一人物の筈だよな……。それなのに、何故……?」

 と言って、ため息を吐きながら思いに耽る久晴。

 悩めば悩むほど、久晴の思考は混乱するだけだった。

 こうして、夜を迎え誰もが寝静まる頃。

 久晴はというと、ベッドに横になっているのだが眠ることが出来ない。

 口封じをされたのだが、絶対に北欧まりんが朝川真理香と同一人物ではと思うだけで謎が深まり眠ることが出来ない。

 謎が謎を呼ぶ北欧まりんの正体、悩み続けたまま朝を迎える久晴だった……。


 翌朝、眠ることが出来なかった久晴は目に隈が出来ていた。

 当然、同僚三人は久晴のやつれきった顔を見て驚いてしまう。

「チョット、悩んでいたことがあって……。それに、寝床が変わると寝られなくて……」

 と言って、苦笑いをして場を誤魔化す久晴。

 それに対して、菜摘の顔色は健康そのもので場の空気を読まず天然ボケで、

「そうですか? 私、ぐっすりと寝られましたけど?」

 と菜摘が言った瞬間、周囲は思わず吹き出してしまう。

 それに対して久晴はというと、心に悩みが残ったまま何処か吹っ切れる様子が無く笑って誤魔化すことしか出来なかった。

 当然、日曜日だというのに出掛ける気分ではなく、私物のパソコンの立ち上げや自室のレイアウトに費やす。

 北欧まりんと朝川真理香の関係、彼女の書き置きの意味、謎が謎を呼び頭の中は頭の中はモヤモヤするだけの久晴だった……。




 翌日、出向先への出勤初日を迎え先日購入したスーツで出社する久晴。

 東北支社時代の癖が抜けず、始業時刻より一時間ほど早く出社。

 同じように、同僚三人も久晴同様に一時間早く出社していた。

 これには、後から出社した人事部の部長も流石に驚き、

「皆さん、もう少し遅れて出社しても大丈夫ですよ」

 と言って、慌てふためいていた。

 東北支社時代は、始業一時間前に出社するのは当たり前で朝礼に顔を出さなければ遅刻同然の扱いを受ける恐怖の日々。

 まさか、いち早く出社して困らせるなんて思いもしなかった久晴達四人。

「東北支社では、朝礼に遅れた者は公開処刑でしたよ」

 と言って、不安そうな表情を見せる菜摘。

 それに対して、フレックスタイムを導入していることを思い出し、

「黒井製作所とは違い、各々の都合に合わせて時差出勤が認められている筈だ」

 と言って久晴は、会社の雇用形態が違うことを伝える。

 同僚三人は、出向元の雇用形態が標準と入社当時から思っていた。

 だが、勤め先が変わっただけで否定されショックを受けるとは思いにも寄らなかった。

 それに対して、久晴は「時代は変化しているから自分達も変わらなければ」とみんなに言い聞かせ冷静さを保つ。

 だが、内心は驚くことばかりで改めて会社が違うことを実感する。

 そんな、驚きと連続の出勤初日であった……。


 始業時刻、人事部に集まった久晴達四人は部長に自己紹介して挨拶する。

 久晴は、緊張した面持ちで自分の名と出向前の所属を人事部の人達に伝える。

 周りを見渡すと、新入社員と思われる若者や他社から出向と思われる人達、そして他の部署から転勤してきた人達を合わせて五十人ほどいると思われる。

 こうして、自己紹介が終わる頃には一時間ほど過ぎていた。

 自己紹介が終わると、出向者に対して予想できない人事部長から指示を出す。

「では、最初に出向者の皆様は会社用の携帯を預かります」

「えっ、会社用の携帯? どうして?」

 人事部長の指示を聞いて、久晴はビックリして反射的に質問してきた。

「ここの会社は、業務連絡やエマージェシコールなどは全てスマホで行います」

 と言って、久晴の質問に即答するように説明する人事部長。

 仕方なく、久晴達四人は使い古した会社用のガラケーを人事部長に提出する。

「ずっ、随分……、年代物のガラケーですね……」

 と言って、四・五年前のガラケーを受け取って苦笑いする人事部長。

 まさか、古いガラケーを受け取るとは思いにもよらなかったに違いない。

 金原政権下の黒井製作所では、スマホが所持できるのは本社と営業マンのみで他は安価で中古のガラケーか製造部の平社員は最悪支給されない。

「機種更新して、新しいのを支給いたしますので心配しないでください」

 と言って、久晴達四人のガラケーを預かる人事部長。

 当然、ガラケーに登録済みの電話台帳などは引き継ぐと説明され安心する久晴達。

 その後、社員証を作成するための写真撮影が行われる。

 人事部からの説明では、社員証明だけでなく出退勤時の打刻やセキュリティーなどに使用されると聞いた久晴。

(どうやら、ここの会社の社員証はICカード……?)

 と心の中で、憶測する久晴は自分の番が来るまで冷静に待つことにした。

 久晴の写真撮影が終わる頃には、後三十分ほどで正午を迎えようとしている。

 その間、先に撮影が終わった菜摘の服装が女子社員の制服へと変わっていた。

 制服姿の菜摘を見た久晴は、一瞬ドキッとして改めて女性であることに実感する。

「あっ、あの……、似合いますか……?」

 と菜摘から問われると、久晴は耳を赤く染めて返答する。

「にっ、似合うよ……。全然、変じゃない」

 と久晴の返答に、ホッと安堵する菜摘。

 だが、二人の会話は恥ずかしがり屋の子供同士の会話みたいで何処となくぎこちない。

 写真撮影が終わった後、昼食会を挟んで広大な上下二階のルームツアー。

 さらには、会社に慣れるためのレクリエーションなど終わる頃には夕方を迎える。

 久晴達四人は、人事部に預けた携帯を返却される。

 人事部長の言われた通りに、古いガラケーから最新のスマホへ機種変更されていた。

 機種変更され受け取ったスマホを見て、どう扱えばいいのか分からずパニックで壊れたら弁償されるのでないかと不安と恐怖が入り交じっていた。

 久晴は、個人用のスマホを所持しているが機能を十分使えるレベルでは無かった。

 人事部長から「例え、壊れていても費用は会社側で負担します」と説明されたが、家電量販店に寄って壊れないようスマホケースなどを購入してから帰宅するのは後の話。

 二日目以降は、大会議室での会社の歴史や業務に関する研修が行われる。

 研修は、人事部の部長や従業員が講師になって研修を行う。

 その光景は、まるで大学の授業風景を彷彿する。

 その中に、出向者である久晴達四人が静かに研修を受けている。

 そこで、法令の研修を受け今までの労働が違法である事を思い知らされる同僚三人。

「当たり前だ! あんな、ブラックな労働が合法なんてあるわけがない」

 と小言で、違法である事を薄々気付いていると伝える久晴。

 金原政権下での本社業務時代、上司と阿久井に対して毎日口論を繰り広げる日々を送っていた。

 その結果、風紀を乱した理由で東北支社へ島流しを受け理不尽で悪夢のような労働を強いられたことを思い出しイライラが込み上げる久晴が表に出ないよう必死に押し殺す。

 その後、講習を受ける久晴は社風の違いや企業ルールなどを学び雇用形態の違いを改めて知ることになる。

 日を追うことに、研修者が少なくなっていることに気がつく。

 人事部の部長から、「新入社員の従業員は、工場や支社での研修により移動となっています」と説明され知らない間に移動していることを初めて知る。

 ここで、社員証とカード型の保険証を受け取り社名が記載を見て、

(改めて、ここで働くことになるのか……)

 と思い、別会社の社員として働く事をヒシヒシと実感する久晴。

 まだ、従業員として実際働いていないが働いている実感が何故か沸いてくる。

 そんな、研修中の休憩で人事異動の張り紙を見て前東北支社長の葛谷と営業支援係の主任だった畠田の二人が南米ブラジル支社へ転勤の辞令が目に入る。

「ブラジルって、リオのカーニバルで有名なところだろう? 一体、何処が治安の悪いと?」

 と言い出した同僚の言葉に、他の二人の同僚も不思議と疑問に思い首を傾げる。

 そんな中、「ブラジル」と言う言葉に何かを思い出した久晴は、

「ブラジルって、世界有数の治安の悪さだって聞いた事が……。たしか、支社がある場所はスラム街の近くだったような……」

 と言って、恐怖で顔が青ざめる。

 久晴の話を聞いた同僚三人は、治安の悪い海外へ左遷することを思い出し震える。

 そして、死んでもいないのに葛谷と畠田に合掌して冥福を祈る久晴達四人であった。

 こうして、一週間の研修期間を必死になって受講する久晴。

 この先、どうなるかは分からないが配属先で困らないように……。


 こうして、一週間の研修期間を終えた久晴達四人は配属先の発表に緊張している。

 本社部門で働く従業員は、久晴達四人を含めると男女併せて十名弱。

 その顔ぶれは、年輩もいれば新卒の若者まで様々である。

 そんな中、人事部長がA5サイズの辞令を手に配属先を発表する。

 最初に発表されたのは、久晴達四人の中では最年少の菜摘である。

「加納菜摘さんは、経理部庶務課に配属して貰います」

 と言って、菜摘に辞令を手渡す人事部長。

 辞令を受け取った菜摘は、「庶務課って何ですか?」と言わんばかりに疑問に思う。

 それに対して、人事部長がどのような業務なのか分かりやすく説明する。

「庶務課は、主に雑務関係や経理部のサポートをする業務です」

 すると、菜摘は納得したのか笑顔で人事部長に話し掛ける。

「分かりやすく言えば、営業支援係の業務と同じ事をすればいいのですね!」

 だが、人事部長が困惑な表情で菜摘を見ている。

 そんな状況を見かねた久晴は、菜摘の言っていることに補足するように説明する。

「営業支援係は、営業関係のプレゼン資料を作成するだけで庶務は違うぞ」

「庶務って、何が違うと?」

「例えば、データ入力や電話対応と備品の管理などがメインだから営業関係の仕事はほぼゼロだ」

 久晴の説明で営業とは関係ないと理解した菜摘を見て、安堵の表情で胸を撫で下ろす人事部長は久晴に感謝し辞令を発表に戻る。

 久晴の同僚だった二人は、それぞれの部署へ配属の辞令を受け取る。

 東北支社では、苦楽を共に横暴で理不尽な押しつけに耐える日々。

 出向してから離れ離れになるが、同僚三人の健闘を祈る久晴。

 そして、久晴の辞令を受け取る番がやって来た。

 緊張の面持ちで発表を待つが、

「多田野久晴君だったね。たしか、CGやCAD関係の資格があったね?」

 と人事部長が、久晴に確認するように質問してきた。

 久晴は、人事部長の質問に疑問に思ったが「はい」と返事して資格がある事を認める。

「実は、設計課に配属して欲しかったが……」

 と人事部長が、何処か言いにくそうな表情を見せ話を続ける。

「君の履歴書を見て来て欲しい部署がいて……、そこへ配属になるのだが……」

「はあ……、その部署って何処ですか?」

 と言って、不安の表情を見せる久晴。

 すると、深呼吸をして意を決し辞令を発表する人事部長。

「多田野久晴君、君の配属先は宣伝企画部の宣伝一課に配属して貰う」

 人事部長の発表に、辞令を受け取った従業員が何故か騒ぎ出す。

 部分的に、「美人が多くて羨ましい」とか、「あそこの部署ってケルベロスが」とか、「居辛くて他の部署へ異動願いを出して転勤した」などヒソヒソ話が久晴の耳に入る。

(ケルベロス……? 異動願い……? どんな、危険な部署だろう……?)

 と心の中で不安が募る久晴だが、「東北支社で受けた仕打ちより最悪な職場は存在しない」と自分に言い聞かせ辞令を受け取る。

 こうして、辞令を受け取った久晴達四人はそれぞれの部署へ向かう。

 当然、広大な本社フロアーは迷路みたいに入り組んでおり、いきなり部署へ迎えと言われても迷子になるのは誰が見ても明らか。

「ご心配なく。案内役として、所属部署の代表が来ていますので」

 と言って、案内役として所属部署の代表を紹介する人事部長。

 久晴の案内役は、見た目は清楚で礼儀正しい三十代後半と思われる女性。

「あなたが、多田野さんですね。私は、宣伝一課の主任を務めます難波なんば琴音ことねと申します」

 とフルネームで自己紹介され、緊張して慌てふためく久晴。

 まさか、ドラマに出てきそうな主役級の女優みたいな美人が来るなんて思いも寄らなかった。

 難波を見た瞬間、周囲の男性は目を奪われザワザワと騒ぎ始める。

 当然、同僚の二人は久晴に「幸せ者」と言わんばかりにちょっかいを出し、菜摘は嫉妬の目で久晴を睨み付ける。

 だが、女性が苦手な久晴にとっては退避対象でしかなく危険を察知して反射的に後退り。

「襲ったりはしませんよ。多田野さん、猫みたいに警戒しないで」

 と言って、久晴にニッコリと笑顔を見せ安心させようとする。

 久晴は、琴音と少し間合いを取って後について行く。

 案内された場所は、何故かミーティングルームと思われる個室。

 そこには、黒縁の眼鏡を掛けた現在東北支社長である政一と面影が似ている男性が待ち構えるように座って待っていた。

 久晴は、緊張で不安そうな表情で対面する形で席に座る。

「君が、多田野久晴君だね。イメチェン、大成功で安心したよ」

 と男性が笑顔で話し掛けられ、思わず下を向くようにコンプレックスを言い出す久晴。

「でも、目付きが……。小さい頃から、コンプレックスで……」

 すると、眼鏡の男性と琴音が和ませようと久晴を煽てる。

「全然、全然気にならないよ。寧ろ、そっちの方が男前だと思うくらいだよ」

「そうよ。男だから、それくらいが丁度いいくらいよ。だから、自分に自信を持って」

 それでも、緊張しているのか目の焦点が合わない久晴。

「そうだ、自己紹介が遅れた。私が、宣伝一課の課長の開作かいさく高光たかみつだ」

 久晴は、「開作」という苗字を聞いて何かを思い出す心の中で自問する。

(あれっ、同じ苗字の人が東京にもいるのか?)

 すると、高光が笑顔を見せ久晴に事情を話す。

「実を言うと、現東北支社長の弟なんだよ」

 すると、久晴は政一の弟に早くも会うなんて思いもよらず驚きの余りに突然立ち上がってしまう。

 それを見た琴音は、手で着席の合図を送って久晴を落ち着かせる。

 久晴は、驚いた表情を見せながらも政一の言ったことを思い出し、

「もし会ったら、『宜しく』っと伝えてくれって……」

 と言い伝えると、和やかに「ありがとう」と言わんばかりに笑顔を見せる高光。

 そんな中、久晴は扉の後ろ側から視線を感じ振り向くと少し扉が開き目のような何かが見えた。

 見た瞬間、ホラーのような不気味さがあり少し青ざめる。

 少し開いている扉に気がついた琴音は、すぐ立ち上がって扉から顔を出して、

「コラッ、今週末にプレゼン大会が控えてるでしょう! あなた達、サッサと自分の持ち場に戻りなさい!」

 と言って、悪戯好きな我が子を叱る母親のように追っ払う。

 すると、「きゃーっ!」という若い女性達の声とバタバタと足音が久晴の耳に聞こえる。

「ごめんなさい。うちの課の人間、あなたが配属されると聞くと興味津々で」

 と言って、困った様子で久晴に謝り席に戻る琴音。

 それに対して、自分が動物園に新たに入ってくる人気者の動物のような気分で苦笑いをする久晴。

 同時に、この先自分がどうなるのか先行き不安が募っていた。


 こうして、ミーティングルームで課長の高光と主任の琴音と交えての業務内容と研修期間について説明を受ける久晴。

 説明を聞くと、入社当時で配属された設計課の仕事と変わらないと安堵した表情を見せる久晴。

 だが、不安要素はいくつかあった。

 東北支社時代、支給されたパソコンは上司のお下がりか低スペックの激安ノートPC。

 それに関しては、CAD関係の資格を考慮して最適な物を支給されると高光から説明を聞いて問題はなさそうだと安堵する久晴。

 寧ろ、問題なのは覗いて人は何者達なのか気になっていた。

 だが、深く考えるのは止めてメモ用紙に研修期間の内容を記録する久晴だった。

 ミーティングは三十分ほどで終わり、新たな職場である宣伝一課へ案内される久晴。

 どのような職場か、どのような人達なのかは知る由はなく……。




 こうして、宣伝一課へやって来た久晴は課長高光に紹介される。

 まさか、新たな職場の同僚が久晴の苦手意識が非常に強い若い女性。

 しかも、一人ではなく課長である高光以外は全員女子に顔が引き攣る久晴。

 どうやら、覗いていたのは彼女達だと確信する久晴。

 そんな中、同じ部署の女子の一人が「多田野だからタダノッチでいい?」とあだ名を早くも付けてくるフレンドリーな曲者がいる。

 久晴の脳内は、女性だらけの職場でパニックになったのか緊張状態が絶賛マックス。

「そんなにフリーズしなくても大丈夫よ。みんな、こう見えても親切で優しいから」

 と言って、緊張を解そうとする琴音。

 そんな中、見覚えのある人が一人いた。

 そう、コスプレイヤー北欧まりんと瓜二つな真理香である。

 一応、細い眼鏡を掛けてはいるが同一人物としか思えず、

(間違いない! 絶対、大晦日で会ったはずだよな……)

 と心の中で疑問に思う久晴は、首を傾げることしか出来ない。

 そんな、久晴の中に秘める疑惑を感じたまま新たな職場での新生活がスタートの火蓋を切ろうとしていたのであった……。

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