16,年末ダブルデート
久晴と真理香がロンドンへ出発後、本社の人事部に一本の電話が鳴る。
事務員の一人が電話に応対すると、自分の上司である人事部長を呼び出す。
「部長、親戚と名乗る若い男性から電話が入っていますが?」
と言って、不安そうな表情で伺う事務員。
すると、姿を現したのはスーツが様になっている五十代後半の男性。
男性は電話に代わると、自分の甥だとわかり談笑した後に用件を聞く。
「ところで、このワシに何の用だ? もしかして、また会社の斡旋ではないだろうな?」
すると、甥の若い男が頼み込むように話しかけてきた。
「もう一回、もう一回だけ僕にチャンスを……。お願い、叔父さん!」
「この前、紹介した会社は? たしか、待遇や給料面など何の問題もないはずでは?」
「社長と揉めてしまって……。だから、頼むから助けてくれ!」
困り果てた男性が、一端話を聞くことにした。
すると、驚くようなことを言い出す甥の若い男。
「できれば、叔父さんの勤めている会社に入りたい」
「ちょっと待て、この会社が転職サイトで最高評価とは言ってもワシの権限では無理だぞ。それに、中途採用ですら試験は難しいと聞いている」
と言って、何とかして諦めさせようとする男性。
それでも、甥の若い男性は食い下がることはなく男性に懇願する。
男性は、甥の若い男性の懇願に負ける形で受け入れる。
「それと、もう一つお願いが……。実は、友人二人も同じ会社に……」
と言って、更なる要求をしてきた甥の若い男。
すると、男性は溜息交じりで返答して電話を切った。
「今回だけ、今回だけだぞ。これで最後だと思いなさい」
男性は、頭を抱えて自分の席に戻る。
事務員の一人が、男性の優れない様子を見て水を差しだす。
「……すまない、身内の話だ……。今はそっとしてくれ……」
と言って、差し出してくれた水を飲んで一息つける人事部長。
これが、久晴にとって新たな災いの火の粉になることを今は知る由もなかった……。
ロンドンでの事件が解決した久晴と真理香は日本に帰国したばかり。
暦の上では十二月、師走の名にふさわしく誰もが慌ただしい毎日。
久晴と真理香が戻った宣伝一課は、当然のように師走のような慌ただしさ。
「みんな、机の上の書類やプリントなどはサッサと片付けて! 綺麗な状態で、年始を迎えましょう」
と言って人道指揮を執る琴音は、既に机の上は片づけて姑モード発動。
課長である高光でさえ、姑モードの琴音には勝てず机の書類関係に目を通す。
SE担当の咲良は、備品の機材を専用の道具で清掃をしている。
しかも、マスクやエプロンなど完全防備状態で事細かく清掃している。
もし、誰かが声を掛けようものなら八つ当たりすること間違いない。
その一方、英美里と優奈と菜摘の三人は分担して書類を板目紙や紐などでファイリングして書庫室に運んでいた。
優奈はファイリングを担当、菜摘はファイリングした書類の梱包及び箱詰めした段ボール箱の記入、三人の中では力のある英美里は台車を使って梱包した段ボール箱の運搬。
重そうな段ボール箱を見た瞬間、久晴は席を外し英美里の手伝おうとする。
ところが、英美里が加勢しようとする久晴を席に戻して、
「タダノッチ、今のアンタは旅費精算が最優先。それに、あたし力があるから」
と言って、全力で加勢を拒んだ。
当然、旅費精算中の真理香も菜摘の意見に同意した上で、
「久晴さん、サッサと旅費精算を終わらせるわよ。ロンドンから帰ったとはいえ、二週間のブランクがあるから足手まといになるだけ。ここは、みんなの好意に甘えましょう」
と言って、席を離れる久晴を説得する。
久晴は、罪悪感を抱き席に戻ると旅費精算を再開する。
そんな中、真理香のスマホから一本の電話が鳴り響いた。
気になって電話に出ると、声の主は影武者の真理香だった。
「真理香様、私です。先日の件は、なにかとご迷惑を掛けて申しわげございませんでした」
すると、旅費精算を中断して電話で会話をする二人の真理香。
女の長い電話に、久晴は少しイライラして待っていることしかできない。
「たしか、ロンドン支社はクリスマスから冬季休業だったわね。日本に戻ってくる?」
「はい、休業くらいは両親のところへ。将介も、一緒に冬休みを利用して帰国します」
まるで、二人の真理香の会話は声が似ているため木霊の掛け合いみたいに聞こえる。
そんな中、本物の真理香は影武者の真理香を誘い出す。
「今度、原宿の何処かで会わない? 色々、聞きたいことがあるの」
すると、影武者の真理香は少し間を開けて快諾する。
「わかりました、真理香様。将介も誘ってみます」
電話が終わると、真理香の目の前には不機嫌の久晴。
「真理香さん、旅費精算が最優先と言っていましたよね……。たしか……」
と言う久晴は、しっぽを踏まれた飼い猫みたいな不機嫌。
それを見た真理香は、笑顔で誤り久晴を宥めようとする。
「ゴメンゴメン、女の子の会話って何かと長いから。旅費精算、早く終わらせましょう」
旅費精算をする中、ロンドンにいる真理香達が戻ってくると知り間違いなく同行させられると確信する久晴であった。
それから、クリスマスが終わったばかりの渋谷は相変わらず若者達が街中を行き交い活気に満ち溢れている。
そんな中、本物の真理香に誘われて同行する久晴はハチ公前で誰かを待ち合わせ。
(強制連行と言った方がいい気がするけど……。なんか、真理香さん達とは世代が違う上にヲタクの俺にとって渋谷は場違いのような気がして絶対に落ち着かない……)
と心の中で訴える久晴は、居辛いのかソワソワした気持ちで顔色が悪い。
それに対して、本物の真理香は堂々とした態度でスマホを見ている。
その姿を見て、世代の違いや感覚の違いを改めて痛感する久晴。
そんな中、影武者の真理香と将介がハチ公前に姿を現したのは約三十分後。
「真理香様、久晴さん、遅れてしまって申し訳ありません」
と言って、誤ってくる影武者の真理香は相変わらず礼儀正しい。
やはり、見間違いを防ぐためなのか影武者の真理香の髪は黒に染め戻している。
「大丈夫、時間内だから気にすることないわ」
と言い返す本物の真理香は、笑顔で影武者の真理香を歓迎する。
当然、影武者の真理香の隣には将介もいる。
将介はと言うと、何処か不貞腐れた表情で「他の用事がある」と言いたそうな目で訴えてくる。
だが、二人の真理香は将介の視線を気にする素振りは全くなく会話を楽しんでいる。
まるで、仲良しの双子姉妹が楽しく世間話をしているようにも見える。
「ここで立ち話は誰かに聞かれると困るから移動しましょう。先日、行きつけの喫茶店に予約入れましたから」
と言って本物の真理香が提案すると、影武者の真理香は二つ返事で移動をする。
男性陣の久晴と将介は、二人の真理香達と同行するしかなかった。
その際、顔色の悪い久晴を見た将介は気になって話しかける。
「どうしたっすか? 多田野のおっさん、顔色悪いっすよ?」
「苦手なだけだ、渋谷の雰囲気に……」
とボソッと即答する久晴は、フラフラな足取りで同行するのが精一杯の状態。
不憫に思った将介は、同情する形で久晴に話し掛ける。
「分かる、その気持ち……。渋谷の雰囲気は苦手っすから、俺も」
こうして、移動すること十数分くらいが経過しただろうか。
到着した場所は、レトロ感満載で木の温もりがある喫茶店。
久晴は、気になって周囲を見渡し何処か来たような記憶があった。
「もしかして、去年来た隠れ家的な喫茶店? 真理香さん?」
「大正解、去年来た場所よ。よく覚えていたわね、久晴さん」
と即答する本物の真理香は、覚えていたことが嬉しくなったのか笑顔を見せる。
それに対して、初めて来た影武者の真理香と将介はレトロな雰囲気のある店内を見渡し過去にタイムスリップしたような錯覚を覚える。
入店したばかりの四人は、グループ室のテーブルを囲んで語り合う。
話は、久晴と本物の真理香がロンドンを去った後についてである。
「私達がロンドンを去ってから気になっていたけど……。社員寮の地下室、当初は地下は存在しないと言われたけど?」
と聞き出そうとする本物の真理香は、移動中に談笑していた笑顔は何処かに消えて真剣な眼差しを見せる。
久晴も、本物の真理香と同様に建物に関して気になっていたことがあり質問する。
「予め、建築は専門外と言っておく。最初入ったとき、耐震強度に関して気になっていたけど……」
すると、影武者の真理香はタブレットを取り出し地下室の写真を見せて話し出す。
「どうやら、建物を購入する際にリチャードが耐震強度に問題を感じて隠したようです。まさか、私を拘束するために利用するとは……」
話す最中、詰まるところがあり忘れることの出来ない記憶であることは間違いない。
(現に、リチャードに書置きを強要されたのなら尚更だろう)
と思う久晴は、再び影武者の真理香の話に耳を傾ける。
「あの建物は歴史的価値があり、現在は専門家を呼んで調査中。結果次第、コンクリートで埋め立てるか食糧庫として再利用するかは検討するとのことです」
当然、生活面で気になるが「普段の生活なら支障はない」と影武者の真理香の返答で少しだけ安堵する久晴と本物の真理香。
話は変わり、久晴は将介に紛失したボールペンの真相について質問する。
「その件は、使用人が犯人でした。俺がトイレに行くときボールペンだけテーブルに残っちゃって、使用人が落し物と思ってリチャードに届けたことが後でわかりました」
やはり、目が聞く使用人の勘違いに加え慌て者の将介が確認していなかったのが原因のようだと察する久晴。
当然、自分の非を認めた上で今後の対策も話す将介。
「今は、一度確認してから退席するようにしています」
やはり、前日の原因を教訓に徹底しているようだと感じる久晴。
だが、久晴は将介が今所持している旧型のガラケーをどうするのか気になって質問する。
「ところで、雛田君が今持っているガラケーは? たしか、4Gですら対応していないと聞いたことが?」
すると、本物の真理香は久晴の話に乗っかる形で将介に話しかける。
「そうね、前みたいに手紙などの文通だと悪用される可能性があるから、機種変更した方が真理香のためにもなるわね」
やはり、将介も久晴と真理香の意見には同感しており今後のことを話す。
「愛着がありますけど、今後のことを考え年明けにも機種変更を決めました。モバイルWi-Fiも、知り合いに聞いて現地でレンタルするところっす」
さらに、影武者の真理香も先日の経験を教訓に個人用のスマホかタブレットを購入することを話す。
すると、本物の真理香が影武者の真理香と将介に何かを思い出させるように話し掛ける。
「みんな、私が帰国する前に約束したけど覚えている?」
その時、久晴は気まずい顔で影武者の真理香と将介が思い出さないことを必死に祈る。
(最悪、思い出したとしても「都合が悪い」と言って断りますように……)
と心の中では神に祈るような気持ちで断ることを願った。
しかし、久晴の思いは脆くも崩れ去る。
「仕方ありません。約束ですし、将介も「絶対に行きたい」と言っていたので」
と言って、本物の真理香の誘いを二つ返事で受け入れる。
将介も同様に、冬コミに一緒に行くことを約束してしまう。
そんな中、久晴は必死になって本物の真理香を含めた三人に提案を持ち掛ける。
「いくら、初めてでも真理香さんのペースではハードすぎるのでは……。そうだ、初日は初心者向きに色々回って二日目は真理香さんの好きなプランで?」
すると、本物の真理香は久晴の意見に一理あると納得して、
「そうね、私の好きなイベントは二日目になるから初日は久晴さんにプラン任せるわ」
と言って、受け入れる形で了承した。
さらに、本物の真理香は行くと決まると後先を考えていたのか、
「それと、泊まる場所も抑えておくから」
と言い残し、会計を済ませ今日は解散となった。
解散後、展開は想定していた久晴は冬コミ初日のプランを任され頭を痛める。
それ以上に、東京に戻ってきたというのに家族と会う機会がないことを気づき説得できるのか心配になって来た。
その夜、久晴は自分の母親に電話を掛けた。
当然、正月恒例となっている家族総出の正月会に参加できないことを報告する。
もちろん、仕事で接待が急に組まれたことを不参加理由に訴える
すると、電話の向こうから母親らしき女性の声が聞こえる。
「仕事なら仕方ないわね。もし、彼女だったら私に紹介しなさい」
「かっ、彼女だなんて……。俺、女に奥手だって母さん分かっているだろう」
と言って焦りを見せる久晴だが、「冗談よ、冗談」と言って笑う母親。
どうやら、納得してくれたようだ。
電話が終わると、初日のプランをどのようにするか作戦を立てる久晴。
コミケ常連とは故、二日間の参加は初めて経験。
出来るだけ、多くのイベントや雰囲気を味わうようにネットでイベントを調べている最中に嫌なことが脳裏に浮かび、
(また、真理香さんの保護者代わりをするのかな……)
と思いながら、時間の許す限りプランを練る久晴であった。
12月30日、冬コミ初日を迎えた朝早くから長蛇の列に並ぶ久晴。
前日、本物の真理香がビックサイト近くのビジネスホテルを予約していた。
しかも、都会にしては格安で一人部屋にしては十分に広く多くの人達は意外と知らない穴場のビジネスホテル。
泊まったおかげで、最前列とはいかないが前列を抑えることが出来た。
その後、後から来た本物の真理香達三人と合流し開始早々に入場する久晴は緊張する。
(去年はトラブルがあったけど一人で気ままな自由があった。だが、今回は案内役だから緊張する……)
と思う久晴は、スマホにメモしたイベントをチェックする。
もし、予定していたイベントが中止になったらと思うと楽しみよりも心配の方が勝り余計に緊張する。
その時、心配性の久晴を見て本物の真理香が優しく励ましてきた。
「イベントが中止になったら後の楽しみが増えるだけ。大丈夫、久晴さんの私達と一緒に楽しむことを考えて」
その一言で吹っ切れたのか、久晴は自分も楽しむ気分で会場を案内することに徹した。
昼休み、久晴は将介の手を借りて屋台で昼食を購入し二人の真理香が待っているテーブル席に合流すると買ってきた弁当を並べ昼食会。
種類の違う弁当を見た将介は、購入時に屋台の看板を思い出し、
「まさか、有名店が屋台を出すなんて思いもしなかった」
と感想を言って、驚きを隠せなかった。
「ここ最近、宣伝のために出店を出しているところもあるよ。もちろん、同人誌の東館にも飲食店もある上に伝統的な出店もある。これは、ゲームショウでも同じかな」
と言って補足する久晴は、コミケ常連者の知識力を自然と披露する。
すると、本物の真理香が気になっていたことを久晴に質問してくる。
「そういえば、ライブ会場で紅白出演経験のあるベテランの演歌歌手が出演したけど……。新作アニメの主題歌を歌うわけでもないのに何故コミケに?」
「おそらく、紅白復帰を狙って出演したと思うよ。現に、去年も出ていたから」
と返答して久晴が説明すると、今度は影武者の真理香が入場した感想を言ってきた。
「私、同人誌の即売会だけかと最初思ったけど、出版社主催のイベントや新作アニメの発表会などがあるなんて思ってもいませんでした」
その一言で、案内した甲斐があったと安堵した久晴はコミケの規模を説明する。
「当初は同人誌の即売会だけだったけど、注目が集まるにつれて宣伝の場として企業ブースが出来たり、新たな表現の場としてコスプレイベントが出来たりして規模が大きくなった。もちろん、規模が大ききなった要因として海外から注目されているのもあるけど」
話を聞いた三人は、久晴がドン引きレベルのコミケ通だと再確認。
そんな中、久晴から話題を変えてくる。
「ところで、ロンドンの件を蒸し返すかもしれないけど……。2P真理香さんが、書置きを作成するとき何を考えていたのか? 現に、字が震えていたように見えたけど」
すると、本物の真理香も思い出し久晴と同意見で影武者の真理香に耳を傾ける。
注目された影武者の真理香は、当時のことを思い出し心境を話し出す。
「もしかしたら、この手紙をリチャードに利用されるのではと思ったのが一つ。もう一つは、会社側の都合が悪いことを書かされるのでは思うと手が震えて……。なんとか、助けを呼ぼうとベランダの花瓶を落として……」
話を聞いた久晴は、影武者の真理香の手が震えているのに気が付き思い出したくない記憶だと察知する。
その上で、本物の真理香のお株を奪うように提案を持ち掛ける久晴。
「嫌なこと思い出させて申し訳ない! でも、今は楽しい場だから今は忘れて。そうだ、午後から自由行動っていうのはどうかなあ?」
すると、大賛成の影武者の真理香と将介の二人。
それに対して、本物の真理香は自由行動には賛同しているが不満そうな顔で久晴を睨んでくる。
「久晴さん、私の専売特許を奪わないで……」
睨まれた久晴は、「はい」としか返事が出来ず蛇に睨まれた蛙のようになっていた。
その後、会話をしながら昼食会を楽しむ四人。
最早、ロンドン出張の嫌な記憶は消えていることを安堵する久晴であった。
その後、午後は二手に分かれて自由行動となった四人。
久晴と本物の真理香は、何故か事務局に訪れる。
本物の真理香は、事務局で受付を済ませてニコニコしている。
その笑顔を見た久晴は、戦々恐々の面持ちで確認するように質問してみる。
「あっ、あの……、真理香さん何の手続きをしたの?」
すると、本物の真理香はウキウキ気分で「ナイショ」としか言わず久晴を連れ回す。
連れ回される久晴は、ウキウキ気分の本物の真理香を見て何の手続きをしたのか想像が出来たのか「明日は大変なことになる」と言い聞かせる久晴。
唯一の救いは、ネットで事前予約をした同人誌のダウンロード販売で予約をしたのが唯一の救いだった。
冬コミ初日が終了した頃には、日が暮れようとして空は赤く染まり夜を迎えようとしている最中。
その頃、四人はホテルに戻って今日の疲れを癒やしていた。
初参加の影武者の真理香と将介は、いろんな発見を見つけた新たな刺激を受けていた。
本物の真理香も、新たな刺激を貰って大満足の様子。
それに対して、久晴はと言うと本物の真理香に散々振り回され疲労困憊の状態。
「明日は、私プレゼンだから楽しみにしてね」
と言って笑顔の本物の真理香を見た久晴は、何か企んでいるとしか思えなかった。
その後、それぞれの部屋に戻って今日の疲れを癒す。
当然、散々振り回された久晴は何もする気力もなく泥のように就寝するしかなかった。
翌朝、冬コミ二日目を迎えチェックアウトを済ませた久晴は荷物を駅のコインロッカーに預け昨日と同様に閉鎖中の東京ビックサイトに足を運ぶ。
そのとき、二人の真理香が車輪付きの大きなトランクケースを引っ張って姿を現す。
見た瞬間、これから何が起きるのか想像が出来た久晴。
それに対して、何も分からない将介は隣にいる久晴に文句を言ってきた。
「いくら、真理香姉やお嬢さん(本物の真理香のこと)に聞いても「ナイショ」としか言わない! 一体、あのトランクは何が入って?」
すると、久晴は想像が出来たのか遠い目をして将介に話し出す。
「あれは、違う世界に行くためのトランクだよ……。ごめん、それ以外に答えることが出来ない……」
謎めいたことしか言わない久晴に首を傾げる将介は、二人の真理香が引っ張っているトランクケースが気になって仕方なかった。
入場すると本物の真理香が、久晴と将介の二人にテーブル席に案内して、
「二人は、席で待っていてね。私達、今から準備するから」
と言い残し、影武者の真理香と共にその場を去る。
残された、久晴と将介の二人は本物の真理香に言われるまま待つことしかできなかった。
これから、何が始まるのか分からぬまま……。
久晴はウキウキ気分の本物の真理香と顔を赤くする影武者の真理香の表情を見て、何が起きるのか想像が出来たのか遠い目で見ることしかできなかった……。
三十分以上が経過したのだろうか、二人の真理香がコートを着た姿で久晴と将介の待つテーブル席に戻って来た。
三十分以上待たされたのか、不貞腐れた将介を見て宥めて機嫌を直そうと必死な影武者の真理香。
本物の真理香は、遠い目で見ている久晴に話しかける。
「ゴメン。悪いけど、このトランク預かって」
久晴は、遠い目をした状態で何も言わず本物の真理香から渡された小さなトランクケースを預かることしかできなかった。
それから、午後を迎え本物の真理香が久晴に預けた小さなトランクケースを受け取り影武者の真理香と共に一度はその場を離れる。
再び待ち惚けされる久晴と将介は、これからどれだけ待たされるのか不安になる。
だが、五分程度で戻って来た二人の真理香。
その姿を見た瞬間、予感が的中した久晴はフリーズ状態で固まってしまう。
それに対して、将介は興奮状態で二人の真理香を見る。
なんと、二人の真理香は某アニメのコスプレ姿で姿を現した。
本物の真理香は、魔法使いの少女風のコスプレで竹箒を手にしている。
影武者の真理香は、スカートの丈が少し短く大きなリボンの巫女風のコスプレで祓串を手にしている。
「真理香さん、薄々と分かっていますが……。もしかして、真理香さんのプレゼントはコスプレ撮影会のこと?」
と言って不安そうな久晴は、コスプレをした本物の真理香に恐る恐る問い掛ける。
「大正解、トランクには私達の小道具が入っていたの。この箒も、分割できるような仕掛けが施しているのよ」
と言って本物の真理香は、今手にしている竹箒を実際に分割して見せる。
同時に、本物の真理香が久晴と将介にコスプレネームを発表する。
「言い忘れたけど、今の私は『北欧まりん』で隣が双子の妹『南欧かりん』よ」
発表を聞いて久晴は、本物の真理香だけコスプレ参加すると思っていたが影武者の真理香を巻き込むとは想定外。
(しかも、コスプレ参加するにあたりコスプレネームも考えていたことは……。しかも、設定まで用意しているとは……)
と思って、改めて本物の真理香の行動力に脱帽の二文字以外に何も思い浮かばない久晴。
当然、久晴と将介は午後のコスプレ撮影会に参加する二人の真理香のサポート役。
そんな中、将介は気になっていたことを久晴に質問してくる。
「多田野さん、俺達二人がなんで見守る必要が?」
「去年、コスプレ撮影会で事件があって俺は巻き込まれた……。これが、真理香さんと出会うきっかけになったけど……。その日を境に、俺が付き添いをするようになった……」
と言い返し、去年を振り返る久晴の目は何処か遠くを見ていた。
そんな中、コスプレ撮影会の開始を告げるアナウンスが流れる。
すると、将介がケンカ腰になり撮影するヲタクに殴りかかろうと暴れる。
久晴は、暴れる将介を羽交い絞めにして、
「頼む、今は耐えてくれ……。最早、コスプレの二人は違う世界から来た人達だ」
と言って必死に制止するが、半ば諦めムードで見守ることしかできない。
久晴と将介の目の前には、本格的なカメラを手にしたヲタク達に取り囲まれた二人の真理香が撮影に臨んでいる。
本物の真理香は、読者モデルの経験もありノリノリに撮影に応じている。
それに対して、影武者の真理香は顔を赤くして動揺しながらも撮影に臨む。
やはり、初めての体験に普段クールな影武者の真理香も恥ずかしさで頭の中はパニックになっているのも無理はない。
本物の真理香は、コスプレ撮影会に初参加の影武者の真理香をリードする形で撮影に応じ場を盛り上げる。
すると、最初は動揺していた影武者の真理香は調子に乗って来たのかヲタク達の注文に笑顔で応じるようになった。
心配する久晴と将介を他所に、コスプレ撮影会は終了のアナウンスが流れるまで撮影に臨む二人の真理香であった。
こうして、冬コミが終了し私服に着替えた二人の真理香は久晴と将介が待つ駅前に姿を現す。
すると、将介が影武者の真理香に絶対離さない勢いで抱きしめる。
「コラっ、大勢のいる人前で抱きつかないで」
と言って、困った顔をしながらも将介の頭を撫でて落ち着かせる影武者の真理香。
背の低い将介が背の高い影武者の真理香に抱きつく姿は、お姉ちゃん大好きな弟のようにも見え微笑ましいものがある。
その姿に、本物の真理香は羨ましいのか久晴の腕を組んで、
「撮影の時、焼餅を焼いた? 久晴さん?」
と言って、笑顔で意地悪く問い掛けてきた。
久晴は顔を赤くしながらも、「別に」と言わんばかりに知らん振りして顔を背ける。
その久晴の態度にムッとしながらも気持ちを切り替える本物の真理香は、
「それじゃあ、二次会は秋葉原へ行きましょう。楽しいところ、抑えておいたから」
と言って三人に提案を持ち掛ける。
秋葉原の言葉を聞いた瞬間、久晴の脳裏に絶対行きたい場所があった。
「駅の隣にあるレトロ家電が置いているところが……。それに改築したラジオ会館……。ここ最近、ディープなところ久しぶりに生きたい気分が……」
と呟いて妄想を膨らます久晴に、影武者の真理香と将介はドン引きして真っ青になる。
だが、妄想中の久晴に本物の真理香が腕を引っ張って正気に戻させると、
「久晴さん、ディープなところに行ったらトラウマになるって……。私の言うところは、もっと楽しい場所よ」
と言ってタクシー乗り場に強引に連れて行く。
影武者の真理香と将介も、後をついて行くようにタクシー乗り場に向かうのであった。
こうして、秋葉原に到着した頃には日はすっかり沈み夜を迎えたばかり。
年末の秋葉原は、歩行者天国の道路は多くの人が行き交い活気に満ち溢れている。
そんな中、久晴は顔面蒼白のドン引き状態。
本物の真理香が案内したところは、若い女性達がメイド服姿で出迎えてくれる有名なメイド喫茶。
将介は、焼餅を焼いた影武者の真理香への仕返しなのかは定かではないが興奮のあまり羽目を外して楽しんでいる。
本物の真理香も、将介と同様に場の雰囲気を楽しんでいる。
影武者の真理香は、羽目を外す将介と場の空気に馴染む本物の真理香に困ってばかりで楽しむ余裕がない。
それ以上に、久晴は場の空気に馴染めずフリーズ状態で終始固まってしまう。
「久晴さん、私達以外の女性達と仕事で付き合うことがあるでしょう。これば、修行の場だと思って付き合いなさい」
と言って、フリーズ状態の久晴を強引に付き合わせる本物の真理香。
それを聞いた影武者の真理香は何かに気づき、
「確か、ロンドンでは平気そうだったのに……。もしかして、多田野さんって大勢の女性に囲まれるのが得意ではないのでは……?」
と言って本物の真理香に気になって聞いてみた。
すると、本物の真理香はフリーズ状態の久晴の腕に抱きついて、
「昔と比べたらマシになったかな。転入当初は、顔真っ赤になって倒れることが……。免疫はついた方だけど、見知らぬ女性には抵抗があるみたい」
と返答して振り返り、一緒に楽しもうと久晴を誘う。
そのことを聞いて、久晴が苦手なことを堪えて助けてくれたことに心から感謝する影武者の真理香。
こうして、メイド喫茶での二次会が終了となり神田明神に二年参りに向かう四人。
メイド喫茶から解放された久晴は、水を得た魚のように立ち直り道案内をする。
去年同様、神田明神鳥居前は出店に群がる人々で賑わいを見せる。
鳥居をくぐれば、参拝客の人だかりで埋め尽くそうとしている。
久晴は本物の真理香の手を繋いで、離れ離れにならないよう人込みをかき分け本殿へと向かう。
将介も影武者の真理香の手を繋いで、久晴の後をついて行くのに必死。
本殿に辿り着くと、賽銭にお金を入れて祈りをささげる久晴。
(どうか、平穏な生活が送れますように……)
そんな中、宗教の違う本物の真理香はキリスト教のお祈りのように本殿に参拝する。
「真理香様、ここは日本の神社なのに……」
と言って、困った顔をする影武者の真理香。
久晴や将介も、困った顔をして本物の真理香に注意をする。
だが、祈りを間違えた気にする素振りもなく舌を出して反省する。
そんなお茶目な本物の真理香を見て、宗教は違えども祈りを捧げることは一緒だと思う久晴は何故か微笑ましく思うようになった。
参拝を終え、くじを引くことになった四人は発覚の箱を振って出た番号を巫女に使えくじを買う。
将介は凶を引き内容を読まずに気に括り付ければ、影武者の真理香は平を引いて複雑な表情を見せる。
そんな中、久晴は引き当てたくじを見て驚きのあまりに大声を出してしまう。
「まっ、また大大吉?」
なんと、去年と同様に大大吉を引き当てた久晴。
しかも、本物の真理香も大大吉のくじを引き当てる。
当然、大大吉のくじを財布に閉まってお守り代わりにする久晴。
(まさか、去年と同様の大大吉を引き当てるなんて……。絶対、何か起きないよね……)
と思って、恨めしそうに見る将介の視線が背中に痛く感じる久晴。
その後、鳥居を抜けると出店を楽しんで神田明神を後にするのであった。
こうして、本物の真理香が予め抑えておいたネカフェで夜を明かすことになった四人。
ネカフェにしてかなり変わり種で、全てが個室で入浴施設や多種取り揃えたドリンクバーなど設備が充実している。
しかも、日本庭園を彷彿させる中庭が高級感を演出している。
さらに、去年泊まったネカフェと同等の金額で泊まれることを知り、今まで様々なネカフェに泊まった経験が久晴のイメージを大きく覆す。
(まさか、自分の知らない間にネカフェが進化している? それも、一年の間に?)
と思う久晴は、一日中動き回って疲れているにも拘らずネカフェの施設を見回って驚愕するばかり。
やはり、本物の真理香が正真正銘のお嬢様で情報網が凄いことを改めて痛感する久晴。
そんな中、影武者の真理香と将介は冬コミのイベントなどで一日中歩き回って疲れたのか個室に入って深い眠りに入った。
久晴も、個室に入って一日の疲れを癒そうとする。
ところが、本物の真理香に捕まってしまい反省会と称して夜を明かすまで語り合う。
本物の真理香は、コスプレ撮影会で撮影してもらった写真の手持ちのタブレットにスクリーンショットで久晴に見せびらかし自慢話を始める。
久晴は、自慢話ばかりする本物の真理香の聞き手に徹し共感していることを言って上機嫌にさせることしか精一杯だったた……。
正月を迎え、久晴は影武者の真理香と将介のリクエストに応え大型家電量販店に案内。
「ここなら、気になったスマホやパソコンなどが取り揃っているはずだよ」
と言って、自分が来ている大型家電量販店を自慢する久晴。
久晴の言う通り、大型家電量販店の一階には各社のスマホやパソコンなどが取り揃っており来場客が品定めをしている。
正月だけあって、大型家電量販店の入り口には大小様々の福袋が目玉として用意され特別感を演出している。
品揃えの豊富さに満足している影武者の真理香と将介の二人は、各通信キャリアのスマホやタブレットなどを品定め。
特に、気になったスマホは店員を呼んで説明を聞いてから慎重に選んでいる。
将介が折り畳みスマホに興味を示せば、自分の意見を言って注意をする影武者の真理香。
その姿は、まるで仲のいい姉弟を彷彿させる。
その姿に安堵した久晴は、専門書などが取りそろっている階に移動しようと思った。
ところが、興味本位に火が点いた本物の真理香が久晴の腕を組んで、
「久晴さん、久晴さん、この家電量販店のことについて色々教えて!」
と言ってデートを楽しむようなウキウキ気分で連れ回す。
想定外の本物の真理香の行動力に為す術なく、本物の真理香につきっきりで相手をする久晴は疲労困憊。
それでも、本物の真理香の質問攻めに丁寧に対応する久晴。
その姿は、家電量販店常連客と言うよりも知識の豊富な店員と見間違えるレベル。
店員も、久晴の情報力に脱帽して近寄ることができなかった。
こうして、目的だったスマホの機種更新を終えた影武者の真理香と将介は大満足で帰宅したのは正午を回っていた。
久晴と本物の真理香は、タクシーで社員寮に戻る最中。
本物の真理香は、二日間の冬コミ参加と正月の家電量販店巡りに大興奮。
「来年、二人で楽しみましょうね!」
と言って、興奮を抑えきれることのできない本物の真理香が久晴に約束を持ち掛ける。
それに対して、大晦日から寝ずに本物の真理香に付き合った久晴はというと、睡魔に勝つことできず寝落ちしてしまった。
寝落ちした久晴を見て最初はムッとした表情を見せるが、三日間付き合ったと思うと疲れるのは無理もないと思い膝枕をさせて頭を撫でる本物の真理香は笑顔で感謝する。
「……三日間、付き合ってくれたありがとう。久晴さん……」
寝落ちした久晴は、不思議な初夢を見ることになる。
なんと、女神が久晴に膝枕をして寝かしつける夢である。
最初は誰の顔か分からず、純白の衣装を着飾った若くて美しい女性のシルエットしか見えない状態。
顔が近づいてくると輪郭がハッキリして、見覚えのある顔が見える。
「まっ、真理香さん?」
と言って目を覚まし、起き上がって周囲を見渡す久晴。
慌てふためく久晴を見て、クスッと笑う本物の真理香。
今年も、本物の真理香や宣伝一課のメンバーに振り回されることを想像ができる久晴であった。