12,変わり始めた関係
夏期休業開け、表向き近衛真理香はロンドンへ出発になっているが、研修が終わった真理香が本人である事は一部の人以外知るものはいない。
会長の遼太郎は、久晴と真理香の二人を会長室へ呼んで公認の仲として認めた。
冗談なのか本気なのかは分からないが、二人の兄達も遼太郎と同様に笑顔で久晴に自分達の妹である真理香を結婚相手に推し薦めてくる。
久晴と真理香の二人は、お互いの顔を見て初々しく恥ずかしがる。
それに対し、副社長である真理香の父とその母は今回の件で責任を強く感じ実娘の真理香に平謝りするしかなく親の面目丸つぶれ。
その後、真理香への恋愛や私生活に関して口を挟むことは控えるようになった。
これまでの事件に関して、戸渡家が何らかの手段を使って罪を強引に消し去ったらしい。
どうやら、口止めと慰謝料を工面すべく所有する豪邸の一つを売り払った模様。
売り払った豪邸跡地は、近々高層マンションが建造される予定。
戸渡家の家督争いは、真面目な建也の弟達二人と親族の中から選ばれるらしい。
当然、事件の元凶となった戸渡修蔵は今も飼い殺し状態は続いている。
風の噂だが、勘当された建也は身を隠すように東南アジアへと旅立ったらしい。
今回の件に関して、当主の指示に従った名目で梨乃はお咎めを受けなかったが使用人を辞めて建也の後を追い掛けるように東南アジアへ。
会社の受付嬢は、知らぬ間に別の派遣会社の若い女性二人に交代。
その後、前任の受付嬢二人がどうなったかは知る者は誰一人いない。
当然、建也に情報を漏洩した派遣会社も誰にも知られることなく消えることに。
一方、久晴は今も宣伝一課の女子達に振り回される生活を送っている。
変わったことと言えば、女子社員達の関係がこれまでとは大きく変わったこと。
その御陰で、真理香は焼き餅を焼いているのか座っている久晴の背後から抱きつき自分の所有物のように主張してくる。
何故かというと、年頃の女性が苦手な久晴に対して女子達から仕掛けるようになった。
一番目立つのは英美里で、これまで敵対していたのが仕事の相談中だというのに女を見せつけるような制服の着こなしで久晴に迫ってくるようになった。
当然、顔を赤くした久晴は目を背け英美里が注意してくる。
真理香が焼き餅を焼くと久晴が焦りだし、その様子を見て面白がる英美里だが何処か微笑ましかった表情を見せる。
どうやら、英美里の挑発的な行為は久晴に対する信頼の証だろう。
さらに、久晴が画面に向かって資料を作成中に咲良が割り込むように大型ディスプレイに突然映り込み久晴を驚かす。
優菜は、休憩中の久晴に仕事上の相談を持ち掛け楽しそうに話し掛ける。
配属当時と比べて久しくなり、真理香達との付き合い方で新たな悩みの種となった久晴であった。
それから、暑さの厳しい八月の終わりを迎えようとした頃。
向井に電話したとき、久晴の耳に新たな情報が舞い込んだ。
なんと、色々と問題を起こした阿久井が会社を辞めることになった。
どうやら、先日のお見合い騒動で自分の立場が危ういと察し逃げたと思われる。
しかも、ちゃっかりとフリー定年制度を上手く利用しての早期退職。
向井の話を聞いた久晴は、悪知恵に関しては働く人だと思うのと同時に五十代なのに後先どのようにするのか気になっていた。
(たしか、あの人って妻子持ちだった気が……)
だが、個人で決めたことだから触れないでおこうと思った久晴。
さらに、東北支社時代に散々苦しめてきた葛谷と畠田の二人が勤務先の過酷な環境に耐えきれず会社を去ることになった情報を聞きくことになる。
左遷された所を考えると、逃げたくなるのも無理はないと思った久晴。
二人も高齢により雇える会社はと心配するが、これまでの横暴なことを考えたら雇って貰える会社は何処にもないと思った久晴。
これで、今まで久晴を散々苦しめてきた性悪上司に再び会うことはなく胸を撫で下ろす久晴。
だが、会社がある限り新たな性悪な人が残っているのではと同時に思うようになると不安になる。
それでも、向井は胸を張って久晴に話してくれた。
「現在、目安箱のようなシステムを取り入れている上にワシが教育している。例え、新たな性悪な社員がいても徹底的に叩き直すから心配するな」
その一言で心配の種が消えたような気がすると同時に、黒井製作所の後輩がどのように変革をもたらすのか期待と不安の板挟みになる久晴は電話を切る。
その久晴の身に、新たな変革が訪れようとしていることを今現在の段階で知る由はなかった。
それから、八月末を迎え白河社長に突然呼ばれ黒井製作所の本社がある下の階のオフィスに向かう久晴。
重要な話以外、何も聞いていないので要件が全く分からず急遽向かうしかない。
久晴が到着すると、神妙な面持ちで白河社長が待ち構えていた。
「社長、一体どのような用件で……?」
と言って、固唾を呑んで用件を聞く久晴は不安の表情を見せる。
すると、黒井製作所の社長である白川の重い口を開く。
「簡潔に言うと、KONOEホールディングスへの転籍してもらいたい」
まさか、出向して半年にも満たないのに転籍の話が来るとは思いも寄らなかった久晴は目を丸くして驚きを隠せなかった。
白河の話に寄れば、宣伝企画部の部長から転籍の話を持ち込んできた。
出向する際、業績次第では転籍の可能性があると説明を受けた記憶を思い出すが、半年も満たないのに転籍の話が来るとは想定外。
「我々も、多田野君が戻ってくることを心から願っている。しかし、業績は回復傾向で人材の育成が進んでいる状況では希望できる部署への配属が難しいが現状だ」
と説明する白河は、黒井製作所の会社事情を久晴に話し続ける。
白河の説明では、向井の徹底的な指導により葛谷の部下だった営業マン達は更生して自立した営業活動が出来るようになった。
各支社も、出向で抜けた穴を埋めようと様々なスキルを身に着け会社も復活の兆しが出ている。
そこへ、久晴が戻れば再び頼ってしまい自分達が苦労して身に着けたスキルを忘れてしまうのではと恐れている。
一応、社員教育や人事異動などで危険な要因を排除したつもりだが絶対にブラック体質な労働が起きない保証は何処にもない。
「……ここは、親心だと思って転籍に応じて貰いたい。これは、会社のためでもあり多田野君本人のためでもある」
と白河に説明され、転籍に応じた方がいいのか正直に悩む久晴。
その時、出向期限が満期となったことをシミュレーションしてみる。
(黒井製作所へ戻れば、間違いなく配属先は東北支社……。大丈夫とは言っても、阿久井のような性悪社員が隠れている可能性は否定できない……)
それ以上に恐れているのは、フリー定年で退職した阿久井からの復讐。
警察に連行される阿久井が、久晴の顔を睨みつけているのを今でも思い出す。
一応、手を出すことは絶対にありえないが悪知恵を使って仕掛けるに違いない。
その結果、自分にとって転籍した方が安全と心の中で答えが出た久晴は、
「分かりました、白河社長……。転籍に応じます……」
と言って、申し訳なさそうに転籍に応じる。
すると、隠れていた真理香や課長の高光が突然姿を現し歓迎する。
「やっぱり、部長に相談した甲斐があったよーっ!」
と言って大喜びする高光を見て、久晴はショックで完全フリーズ状態になる。
どうやら、その様子を隠れて一部始終を静観していたようだ。
こうして、課長の高光の口から転籍の発表で出向社員からKONOEホールディングスの正社員にジョブチェンジした久晴。
さらに、真理香の手引きで庶務課に配属していた菜摘を引き抜き。
もちろん、戦力アップの名目で真理香が総務部の部長と交渉。
九月初め、久晴の転籍と菜摘の加入の歓迎会が大衆的な居酒屋で開かれた。
何故か、久晴は真理香の用事を思い出し歓迎会に遅れると幹事役の英美里に連絡。
「久晴さん、ごめんね。今度のプレゼン、都内の会社へ出向くから手が抜けなくて」
と言って謝る真理香に対して、気にする素振りもなく資料の作成に協力する久晴。
「とにかく、プレゼンの資料を早く終わらせましょう」
と言って、真理香の隣の席に座る久晴はプレゼンのCGを素早く制作する。
こうして、歓迎会に遅れること三十分くらいだろう。
久晴と真理香の二人が、歓迎会で予約していた居酒屋へやって来ると衝撃な光景を目の当たりにする。
歓迎会に参加した宣伝一課のメンバーが、酔い潰れてダウンしていたのだ。
唯一、菜摘だけは無事でお酒を飲んでいる。
「先輩、この酒とても美味しいですよー」
と言って、楽しそうに久晴に話し掛ける菜摘。
久晴は、気になって店員にオーダーを見せると度数の強いお酒を注文していた。
「今、思い出した……。加納さん、「居酒屋の大魔女」の異名を持つ超酒豪だった……」
と言って、居酒屋の惨状を見て東北支社時代の記憶が蘇り真っ青な顔になる久晴。
それは、歓迎会の席で菜摘の人並み外れた酒豪で参加した社員を次々に酔い潰して全滅させた戦慄の記憶。
真理香は、自分が遅れてきたことに命拾いをした気分となり、
「この状態じゃ、二次会なんて絶対に無理みたいね……」
と言って、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
当然、翌日は歓迎会に遅れた久晴と真理香の二人を除いて宣伝一課のメンバーは二日酔いで仕事が出来る状況でなかった。
菜摘だけは、度数の高いお酒を大量に飲んでいるにも拘わらず平然とした表情で出社し周囲を驚かせる。
その日を境に、宣伝一課では暗黙のルールで菜摘がいる場合に限り居酒屋でのパーティー開催は御法度なった。
こうして、菜摘が宣伝一課のメンバーとして加入してからの久晴は別の意味で災難が今も続いている。
それは、菜摘がドジっ子体質で様々なトラブルを引き起こす。
例えば、先輩である久晴に相談を持ち掛けようとしたとき何故か引っ掛かる物がないというのによく躓いて転ぶのだ。
その際、無意識に久晴に抱きつき豊満な胸を押しつけてくる。
突然、抱きつかれた久晴は首を痛めて野太い悲鳴を上げる。
真理香は、首を痛めた久晴に応急処置を施して病院に連れて行く。
資料の添削の際、菜摘は態とではないが手を滑らせてしまい机の上にコーヒーを零してしまい宣伝一課の面々で協力して拭き掃除をすることに。
コーヒーを零した本人である菜摘がしゃがんだとき、バランスを崩し尻餅をついてしまう。
そのとき、偶然にも久晴は菜摘のヒップアタックで後頭部を打ってしまう。
菜摘に怪我はないが、後頭部を打った久晴は気を失ってしまう。
「せっ、先輩、ゴメンナサイ! ゴメンナサイ!」
と言って、気絶した久晴に泣きながら何度も謝り続ける菜摘。
それを見た真理香は、気を失った久晴の頬を軽く叩いて意識を戻させると、
「菜摘さん、周囲を見渡した方が……。態とじゃないけど、何度も巻き込むと久晴さんが壊れてしまうから」
と言って、注意しながらも菜摘を心配する。
久晴は、東北支社時代を思い出し気にする素振りはなかった。
それ以上に、只でさえ女性が苦手だというのに菜摘のドジっ子が加われば体が壊れるのではと身の危険を感じる久晴。
「加納さん、東北支社時代はよく転んで他人を巻き込むことが多くて……」
と言って、思わず不安を漏らしてしまう久晴。
だが、真理香の不満は菜摘のドジっ子ではなく久晴に募らせていた。
そして、真理香は心に納めていた久晴への不満を爆発する。
「久晴さん、話したいことがあります」
と言って、隣の席にいる久晴を真顔で見る真理香。
久晴は、真顔の真理香を見た瞬間にどのような用件か気になり身構える。
すると、真理香は我慢していた不満を久晴にぶつける。
「なんで、久晴さんは私達を苗字で呼ぶのですか? せっかく、私が名前で呼んでいるというのに」
と言って、久晴に問い質す真理香の表情は不満に満ち溢れていた。
久晴は、怒っている真理香に怯えながらも理由を述べる。
「あっ、あのー、名前で呼ぶのって何処か馴れ馴れしいと思って……。それに、異性に対して名前で呼び合うのって何か恥ずかしい……」
すると、真理香は抑えた怒りを爆発するように自分の主張を久晴にぶつける。
「なんで、遠慮するのですか? 仲間同士だというのに苗字で呼ぶのは逆によそよそしいです、久晴さん! それに、苗字だと他の人と被る可能性があります。だから、仲間である私達に対して遠慮なく名前で呼んでください!」
なんと、真理香は宣伝一課の仲間同士に対して苗字ではなく名前で呼ぶのを久晴に強要してきたのだ。
久晴は、真理香の主張に抵抗を感じて思わず英美里達に伺い立てる。
「あのー、名前で呼ばなきゃダメ?」
すると、英美里達は揃って首を縦に振って真理香の主張を正当化する。
さらに、真理香の主張を後押しするように咲良が笑顔で主張する。
「私が『タダノッチ』ってあだ名をつけて呼ぶのは、いろんな意味で貴方を信用しているからよ。なのに、苗字で呼ぶのは私達に対して遠慮しすぎ。だから、仲間同士だから名前で呼んで。むしろ、私達にとってはウエルカムだから」
久晴は、真理香達の催促に悩みと抵抗に苛まれる。
(いくら、同僚でも女性に対して気安く名前で呼ぶなんて……。ましてや、ヲタクの陰キャ属性で異性への免疫ゼロな俺にはハードル高すぎだって……)
それでも、真理香達の視線が痛いほど感じて名前で呼んでみようと試みる。
まずは、隣にいる真理香を名前で呼んでみることにした。
ところが、女性に対して名前で呼ぼうとしたとき言葉では言い表せないブレーキが発動し喉が詰まり耳に聞こえるくらいに胸の鼓動が激しくなる。
その結果、久晴は顔が真っ赤になって気を失ってしまう。
それを見かねた琴音は、真理香達へ宥めるように注意をする。
「みんな、黙って見ていたけど貴女達の行いは明らかに逆セクハラ。男だって、色々と気遣っているのだから少しは理解してあげて」
すると、久晴が気を遣っているのを悟り反省する真理香達。
琴音は、顔が赤くなって気絶する久晴を見て、
「まるで、瞬間湯沸かし器みたい……。戸渡建也のように女性関係にだらしないのも困るけど、女性に対して奥手すぎるのも困り者ね……」
と言って、ため息交じりで久晴を介護する。
その日を境に、真理香達は気を遣っている久晴に配慮して強要するのを控えた。
久晴も、真理香達のために異性に対する苦手意識を克服するために今も修行中。
勿論、信頼する真理香達を裏切らないよう横道に逸れることなく。
真理香は、気を遣っている久晴を温かく見守りながら、
「今度の休日、何処か出掛けましょう。折角の休み、息抜きも大事だし」
と言って、ステップアップの一環としてデートに誘う。
久晴は、悩みながらも会長の遼太郎が公認していることを思い出し真理香に要望を聞いてデートプランを考えることにした。
同時に、真理香達の距離を縮めることを第一目標にする久晴であった。
九月初旬、宣伝企画部のプレゼン大会で久晴の所属する宣伝一課が採用され大はしゃぎで喜び合う真理香達。
久晴は、いつものように席に座って喜び合う真理香達を笑顔で見守りながらノートPCなどの機材を片付ける。
その一方、他の部署も宣伝一課に配属して半年の久晴を一目置くように。
そんな中、久晴自身も変わる兆しが見えてきた。
真理香は、機材を片付けている途中の久晴の所へ歩み寄る。
すると、久晴は近づいてくる真理香に、
「こ、今度は何か? まっ、真理香さん?」
とカミカミな口調で、意識的に名前で呼ぶようになった。
やはり、女性に対して奥手な久晴にとって名前で呼ぶのは勇気がいるようだ。
真理香は、初めて自分を名前で呼ぶ久晴に手を取って喜ぶ。
宣伝一課の女子達も、久晴が自分達に近寄り始めていることを実感し歓迎する。
久晴は、真理香達の笑顔に照れて顔が赤くなると同時にスタートラインに立ったような気分で転籍したことを実感するのであった。
九月を迎え、暦の上では秋だが厳しい残暑で街中を夏服で出歩く人が目立つ。
エアコンの効いた社内は、今も人が行き交い社外から依頼されたプロジェクトのプレゼン資料製作や様々な業務に奔走している。
宣伝一課も、他の部署同様に仲間同士で協力し合い他者へのプレゼン資料作成や様々な業務に奔走する日々。
そんな中、久晴は自分の仕事範囲だけではなく真理香達に協力するように。
女性に対する苦手意識は残っているが、真理香のお見合い騒動が一件落着してから配属当初と比べて顔を赤くしながらも対面して応じるようになった久晴。
真理香達も、久晴の近寄る努力をしていることを理解し女性に対する苦手意識克服のステップアップを手助けするようになった。
琴音の注意を受けてからは過度な行為を控えてはいるが、相変わらず菜摘のドジっ子には無意識に発動するようで久晴は被害を受ける。
それでも、久晴はトラブルに凹むことなく宣伝一課の雰囲気に馴染むよう業務を熟しながら絶賛修行中である。
同時に、久晴の心の中に潜む不満が積もっていることを実感していた。
ここ最近、久晴は真理香達と付き合う機会が多くなったことだ。
特に、会長公認の仲の真理香とは付き合う気が目立つようなった。
例えば、仕事の関係だけでなくショッピングに付き合ったりトレーニングに付き合ったり一緒に何処かへ出掛けたりと恋人同士のように付き合うことが多くなった。
さらに、真理香がコスプレのイベントに参加するときは同行して様々なサポート役に徹することが目立つようなった。
一応、久晴自身が楽しむ機会があるが冬コミの事件もあり気が抜けず保護者のような立場で真理香を見守っている。
真理香も、久晴に信頼を寄せ宣伝一課の女子よりコスプレイベントの同行役を指名することが多くなった。
真理香以外に、英美里も久晴をラップのスパーリングパートナーに指名。
一応、英美里はOLの他にMCバトルのラッパーの顔をもっている。
大会が迫れば、久晴を対戦相手に見立てMCバトルの練習をしている。
やはり、久晴を練習相手に指名するきっかけは真理香のお見合い騒動。
英美里が、久晴をサイファーに参加させたとき披露した即興ラップ。
初めてだというのに周囲を盛り上げた久晴の即興ラップを見て、自分が高みを目指す練習相手にピッタリと感じてスパーリングパートナーに誘うようになった英美里。
一応、ラッパー仲間とサイファーで練習することは出来るが、MCバトルの練習には大会を想定した対決が一番を英美里は実感する。
久晴は、何も分からないままMCバトルの練習相手として英美里に協力している。
久晴は、攻撃的な英美里のラップに翻弄されながらも無意識にラップで反撃する。
まさか、ラップが出来るとは思ってなく無意識と本人は主張する。
現に、ラップのスパーリングが終わって我に戻るとすっかり忘れている。
気になって久晴は、不安な表情で英美里に問い質すと、
「タダノッチの言ったことは、トランス状態だったから気にする必要じゃないって」
と言って、ケロッとした表情で何事もなかったように返答する英美里。
もしかしたら、英美里なりの気遣いなのかもしれない。
その甲斐あってか、参加するMCバトル大会で優勝候補に名が挙がるようになった英美里。
さらに、CGやCADの講習会の講師役の依頼を受けるようになった久晴。
なんと、依頼主は咲良で生徒は彼女の後輩達がメイン。
以前、和み系ギャルサーに所属していた咲良は後輩達の進路を気にしていたようで自ら講師となってパソコンの操作関係を指導していた。
だが、パソコンの操作だけでは飽きて挫折する後輩達。
そこで、パソコンで出来る可能性を知ってもらえばやる気が出ると思った咲良はCADを使った作図などの実践経験が豊富な久晴に白羽の矢を立てた。
依頼を受けた久晴は、最初は通っていた学校の後輩を集めたと思っていた。
ところが、集合場所に指定した場所へ入って女子ばかりに驚いてしまう。
「これも、女子への苦手意識克服の修行場と思って。ガンバ、タダノッチ」
と言って、口元が猫口のように笑顔を見せる咲良。
まさか、会社以外に女子に囲まれるなんて想定外の久晴。
だが、不貞腐れている女子達を見てデモンストレーションとして専門学校時代に制作したCGを上映する。
女子達は、本格的なCGを見て驚きながら久晴に質問攻め。
女子達の質問攻めに、戸惑いながらも立体的なCAD図面を作図する久晴。
すると、咲良が集めた女子達は久晴のデモンストレーションに興味を示すと同時に果たして自分にも出来るのか不安になる。
そんな、自信喪失しそうな女子達を見て、
「だっ、大丈夫ですよ。まずは、誰でも出来る基本的な物を製作しましょう」
と言って、テキストを配る久晴。
だが、緊張で手が震え自分の思うようにテキストを配ることが出来ない。
その時、咲良が女子達に言いふらしてしまう。
「みんなー、温かく見守ってあげて。彼、シャイだから女の子に囲まれて」
バラされた久晴は、耳が熱くなり顔が赤くなって訴えるような目で咲良を睨む。
だが、暴露した咲良本人は猫口の笑顔で気にすることなく様子を伺っている。
生徒側の女子達は、顔が赤くなった久晴を見て笑顔で励ましながら講習を受ける。
久晴は、生徒側の女子達に励まされて赤面状態で指導する羽目となり動揺を隠せず罪悪感に襲われる。
そこへ、咲良が猫口のような笑顔で、
「タダノッチ、こんなハーレム体験は滅多にないわよ。大丈夫、真理香ちん公認しているから心配いらないって」
と言って、赤面状態で動揺する久晴を応援する。
咲良の発言に、思わず「なっ」と一言しか言葉が出ず動揺を隠せない久晴。
「でも、咲良の後輩みんな現役JKだから手を出しちゃ犯罪だぞー」
と言って、冗談みたいな注意をする咲良に動揺する久晴。
「なっ、何てことを! こっ、これでも、理性のある大人ですよ!」
と言い返す久晴は、顔を赤くして動揺を隠せなかった。
すると、咲良の後輩達は笑って場が盛り上がる。
そんな中、久晴は咲良が一人称で自分の名を言うようになったことに気がつく。
話を聞くと、真理香に注意され一人称を「私」で言うように意識している。
だが、信頼している人だと癖が出て一人称を自分の名で思わず言ってしまうと咲良が証言していることを思い出す久晴。
そのとき、久晴は異常な緊張が抜けCGやCADの講習の指南役に徹し、自分の知る範囲だが講習を受ける女子達に時間の許す限り指導することにした。
その上、厳格な家柄育ちの優菜から真理香と共に茶道などに誘われたり自分の後輩である菜摘の相談相手になったりと宣伝一課の女子達と付き合う機会が増えた。
同時に、一人で何処かへ出掛ける機会がなきに等しく
以前、暇さえあれば秋葉原や様々なイベントが開催される場所へ一人で自由に出掛け自分なりに楽しんでいた。
ところが、真理香達が休日や終業時間などに否応なく誘ってくるので自由気ままに出掛ける余裕がない。
応じる度に募ってくる不満、遠退いてゆきそうな自分らしい趣味の世界。
久晴の不満が、真理香達が誘う度に募ってゆく。
(地獄のような職場から解放されたのはいいけど、一人になりたい……)
と思って、ため息を吐き悩み続ける久晴。
そんな中、久晴が一人で出掛けるチャンスがやって来た。
九月中頃、千葉の幕張メッセ前に朝早く並ぶ久晴は開催されるイベントに今か今かと楽しみに待ちわびる。
今日は休日だけに、入場口は一般客が長蛇の列を成している。
幕張メッセでは、東京ゲームショウが四日間開催され平日は土日の二日間は一般の人でも入場することが出来る。
久晴は、真理香達には用事があると何とか誤魔化して一人でやって来た。
(ゴメン、真理香さん……。男は、一人になりたいときがあるのだ)
と心の中で真理香に何度も謝り、会場前の長蛇の列に並ぶ久晴は強引に参加した夏コミのことを振り返った。
(夏コミの件は、お見合い騒動と重なって参加は無理と思って準備不足だったし……。それに、真理香さんに散々振り回され楽しむ余裕すらなかったからな……)
先日の夏コミは、久晴では参加すること自体想定していなかったため事前準備をしていなかった。
それに加え、コスプレ参加の真理香は冬コミの一件もあり保護者的立場で守っていたため一般参加では楽しむ余裕はなかった。
その上、同人誌即売会や企業ブースでも興味津々の真理香に散々振り回され帰宅後は異常な疲れで自室に戻った瞬間に泥のように眠ることしか出来なかった。
そのため、今回の東京ゲームショウは誰にも邪魔されず一人で楽しみたかった。
その上、秋葉原でヲタクな自分を再確認するプランが久晴の脳内で完成していた。
宣伝一課に配属してもうすぐ半年、一人っきりになれるチャンスがやって来たと同時に気になることが思うようになった久晴。
(確か、ゲームショウってコスプレ登録すれば参加できたような……。真理香さん、仕事だと言って肩落としていたし……)
と思って、気になっていた。
真理香の場合、コスプレのイベントがあれば必ずと言っていいほどスケジュールに入れて絶対に仕事などの用事は入れない完璧主義。
なのに、何故か仕事が被ってしまい先日から出張中。
しかも、真理香だけでなく英美里や咲良も出張に同行している。
「悪いけど、久晴さんは優菜と菜摘と一緒に留守番お願い……」
と言って、肩を落として出張に出掛ける真理香の後ろ姿が気になる久晴。
それでも、今日一日だけでも一人で楽しむことを心に決めた久晴。
(気にしない、絶対に気にしない。幕張メッセに入れば、俺一人のオンステージだ)
と思い、入場前の荷物チェックを済ませ会場入りする久晴。
会場に入れば、広大で無機質なコンクリートの空間に各社のブースが立ち並びゲームショウを盛り上げる。
入場すると、情報を集めるべく入り口付近のパンフレットを探し始める。
(あれっ、入り口付近にパンフレットが沢山あったはずでは?)
と思って、入り口付近のパンフレット置き場を探す久晴。
そんな中、若い女性の声が聞こえてパンフレットを差し出してきた。
「捜し物って、これですか?」
声に反応した瞬間、目を合わせないように深々と頭を下げ「ありがとうございます」と言ってパンフレットを受け取る。
「そんなに下げなくても、出来れば頭を上げて受け取って欲しいですけど」
と言われて頭を上げた瞬間、何故か青ざめショックを受ける久晴。
久晴の目の前には、真理香と宣伝一課のフルメンバー勢揃い。
真理香は、課長の高光に勝ち誇ったように、
「課長、私の言ったとおりでしょ。必ず、久晴さん来るって」
と言って、自信満々な笑顔を見せる。
よく見たら、真理香達は露出度高めなコンパニオンの制服を着ている。
但し、男性恐怖症の優菜と主任の琴音は女子社員の制服姿で裏方に回っている。
「もしかして、自社フーズのアテンド?」
と言って久晴は、青ざめた表情で真理香に問い掛ける。
「ピンポーン、大正解! よく見て、私達のコンパニオン姿」
と自慢げに言って、結構際どいコンパニオン姿を久晴に見せびらかすご機嫌な真理香はコスプレイヤーのスイッチが入り気味である。
女を見せつける着熟し方をよくする英美里は堂々として、元コギャルの咲良は着慣れている様子で平然としている。
だが、人手が足りない理由で急遽コンパニオンの制服を着ることになった菜摘は恥ずかしそうに顔が赤くなっている。
課長の高光は、久晴に手を合わせて謝って話し掛けてくる。
「手当を出すから、一般人になりすまして他社の情報を集めてくれ」
久晴はガックリと肩を落とし、休日返上で情報集めに徹するしかなかった。
その上、追い打ちを掛けるように咲良が久晴に関する情報を暴露する。
「タダノッチ、咲良の情報網を甘く見ないで。小学校の頃からイジメが嫌で休み時間は雲隠れするようにボッチになるって聞いたわよ。後輩達から」
咲良の発言で、土日の休日は絶対になくなると絶望する久晴。
真理香は、咲良の情報を聞いて何か企てるような怪しい笑顔で、
「そういう情報、耳に入ったからにはボッチにさせるのは問題よね。多田野さん、私達と付き合ってボッチ体質を治療するから覚悟して」
と言って、久晴を逃がさないと高らかに宣言する。
真理香の宣言を聞いた久晴は、ヲタクのホームグラウンドである秋葉原が遠退いていく気がしてショックを受ける。
肩を落とす久晴を見て、左腕にしっかりと抱きつく真理香は、
「久晴さん、今日はボッチにはさせないわよーっ!」
と言って、嬉しそうな笑顔を見せる。
それに対して、すっかり敗者の気分な久晴は肩を落として言い返す。
「それって、「今日は」ではなく「今日も」ですよね……?」
暗い表情の久晴を見た真理香は、冗談のような爆弾発言をする。
「やっぱり、幕張でデートの超定番と言ったらやっぱりディズニーよねー!」
ヲタクで陰キャ属性の久晴にとって、デートスポットの超定番であるディズニーというワードが強烈すぎて思わず「えーっ!」と声を出してしまいショックを受ける。
「あのー、お二方仲良いのはいいことだけど仕事してくれない?」
と言って不安な表情を見せる課長の高光に突っ込まれ、残念そうな表情でアテンドの仕事に戻る真理香は笑顔で久晴に手を振る。
久晴は、高光に頼まれて仕方なく情報集めに徹する。
当然、仕事が終われば真理香や宣伝一課の女子達と付き合う羽目になることは言うまでもなかった……。
休日明けの早朝、久晴は真理香や宣伝一課の女子達と共に出社する。
世に男達にとっては羨ましいシチュエーションだが、陰キャ属性でボッチ体質の久晴にとっては辛いシチュエーションである。
今まで何気なく出社できたのに、咲良の情報公開で一緒に出社する羽目になって自由はないと思った久晴は終始暗い表情。
それに対して、久晴と腕を組む真理香は幸せそうな表情を見せる。
久晴は、一階フロアーに入った瞬間に思い出したくない人の顔が目に入り思わずフリーズ状態。
久晴の目に入ったのは、先日フリー定年した阿久井と海外から帰ってきた葛谷と畠田が警備員の服装を着てミーティングを受ける光景。
まさか、会社を辞めた三人が揃ってビル警備員に再就職するなんて想定外。
真理香は、フリーズした久晴の視線を追っかけて三人がいることに気がつく。
危険を察した真理香は、フリーズ状態の久晴を腕組んだ状態で何事もなかったように出社する。
その間、英美里はケルベロスの異名ともいえる殺気に満ち溢れた目で三人を威圧。
英美里の殺気を感じたのか、阿久井と葛谷と畠田の三人は恐怖で体中から異様な汗を流し恐怖に震える。
もし、久晴一人であったら阿久井達三人の話し相手を強いられたに違いない。
この日ばかりは、一緒に出社する真理香達に感謝する久晴。
その後、何故かこの日を境に阿久井達三人と出会うことはなく普段通りに出退勤をすることが出来た久晴。
裏で、真理香が動いていたことを知る由もなく。
一週間後、真理香が久晴にフォトレターを見せてくる。
「梨乃さん、東南アジアで元気に頑張っているみたい」
と言って、嬉しそうな表情を見せる真理香を見てフォトレターの写真を見ることにした久晴。
しかも、真理香の事情を知って送り主の宛名の苗字は「近衛」ではなく「朝川」と書かれている。
フォトレターには、南国のエキゾチックな雰囲気のある風景をバックに建也と梨乃が腕を組んでいるツーショット写真。
勘当されたショックで御曹司の雰囲気は完全に失い酷くやつれた建也に対して、梨乃は最初に出会った特徴的な黒縁の眼鏡はなく幸せそうな笑顔で飛び抜けて明るくピースサインをしている。
フォトレターを見て久晴は、女性の順応力の高さと変貌に驚かされると同時に、
(女性って、メンタル的に強いな……。それに比べて、俺は未だに変わることなく豆腐メンタルのままだ……)
と思って、女性のメンタルに驚かされる。
その様子を見て、英美里や宣伝一課の女子達がフォトレターを見に集まる。
宣伝一課の秘密を全く知らない菜摘は、フォトレターを幸せそうに見て女子トークに自然と参加する。
いつものように、女子トークで賑やかな宣伝一課の仕事風景。
そんな中、久晴は心の中で東南アジアにいる梨乃に幸ある事を祈り普段通りの仕事をするのであった。