10,暴君を懲らしめろ!
「最後に、真理香の身に何かあったら承知しないと忠告しておく」
と言い残し、ライブハウスを去ろうとする遼太朗。
言葉を失う戸渡修蔵の目の前には、ボディーガードとして雇った数人の屈強な大男が床に倒れ意識を失っている。
まさか、自分より老齢である遼太郎一人で数人の大男達を簡単に投げ飛ばす想定外の修蔵。
遼太朗は、帝王学と自己鍛錬の名目で合気道を取り入れ師範級の腕前を持っている。
そのため、大男をいとも簡単に投げ飛ばすことが出来たのだ。
しかも、遼太郎に疲れた様子は全くなく涼しい顔でスーツの乱れを直す。
そこへ、遼太郎が信頼を寄せている秘書二人がやってくる。
秘書二人は、床に倒れ込む大男数人を見て遼太郎の強さを再確認。
「真理香が心配だ。急いで、ホテルに向かうぞ」
と言って、秘書達と共にライブハウスを後にする遼太郎。
もちろん、呆然と立ち尽くす修蔵を残して……。
一方、高級ホテルのロビーではヤクザのような集団が支配人と揉み合っている。
ヤクザのような集団の一人の男が、支配人に誰かを訪ねている。
「今すぐ、ロビーに戸渡建也を呼んでくれないか?」
どうやら、男はヤクザのような集団のリーダー格のようだ。
「失礼致しますが、お客様とはどのような関係で……?」
と支配人が、強面の集団に怯えながらもリーダー格の男に話し掛ける。
「アイツの御陰で、先に予約していた会場が急に使えなくなってしまってな。その落とし前を付けたくて、ここへ呼んでくれと言っている」
一体、どういうことか支配人は分からず顔が引き攣るしかない。
そこへ、ホテルマンの姿の久晴とウエイトレス姿の英美里が駆け下りてくる。
「どうした、エミリィ! なんか、血相を変えているようだが?」
とリーダー格の男が、全力疾走の英美里に話し掛ける。
「大変、貸し切りのプライベートプールで強姦がっ!」
と言い残し、全力疾走で去って行く英美里。
支配人は気になって、久晴を腕を強引に掴んで引き留めると事情を聞こうとする。
久晴は、息を切らせながらも支配人に簡潔に急ぐ理由を伝える。
「ハアハア……っ。 お客様の戸渡建也様が、女性客に乱暴を働こうとしています!」
話を聞いた支配人は、驚きの余りに久晴から事情を聞き出そうとする。
ところが、侵入するヤクザのような集団を制止が精一杯で引き留めることは出来ない。
久晴は、隙を突いて支配人の制止を振り切り事件現場のプライベートプールに向かう。
「支配人、すいませんっ! 詳しくは、事件が解決したら説明しますっ!」
と言い残し、支配人を置き去りにする形で英美里の後を追う久晴であった。
久晴は、英美里に追い着くと事件現場のプライベートプールに向かって走り出す。
(頼む! 間に合え、とにかく間に合ってくれっ!)
と久晴は、心の中で祈り続けながら必死に走る。
ホテルマンの制服が乱れようが、自分の足がどうなろうが真理香の一大事を何とかして救い出したい一心で全力で走る久晴。
英美里も同様に、裸足で服装が乱れているにも拘わらず必死に走る。
もしも、真理香が乱暴された後ならと思い血相変えて走り続ける。
間に合え、とにかく間に合えと祈るような思いで……。
必死に走る中、脳裏をかすめる最悪の事態が久晴を襲う。
(もしも、間に合わなくて朝川さんが乱暴されていたら……。もしも、朝川さんが立ち直れなくなるような心の傷を負ったら……)
その考えは、英美里も同様に考えていた。
(あたしにとって、真理香は姉妹のような間柄。絶対っ、絶対に助け出さなければ……)
必死に走っているのだが、距離が遠く感じるのは気のせいだろうか?
もしかしたら、必死に走ったのって高校生以来かもしれない。
それでも、真理香を救出しようと必死になって走る久晴と英美里であった。
その頃、プライベートプールでは他人が見たら恋人同士の楽しい追いかけっこのように見えるが、実際は悪質なストーカーから逃げ回っている最悪な状況。
真理香は、利用できる椅子やテーブルなどのディスプレイを障害物にして何とか間合いを取っている。
だが、逃げる手立てを失い壁に追い詰められ恐怖で顔が強張る真理香。
真理香の目に映るのは、ホラー映画に出てくる怪人と化した不敵な笑みの建也。
(もう、ダメ……! 誰か、誰か……!)
と真理香は、パニックで心の中で叫んでしまう。
身の危険や恐怖を感じたとき人は言葉を失うと言うが、まさに襲われる真理香は最悪な状況に追い込まれていた。
それに対して、ジリジリと追い詰める建也の目は獲物を追い詰める飢えた猛獣。
自分の勝利を勝ち誇ったように、獰猛な野獣のように追い詰める建也。
そんな中、建也が追い詰めた真理香に手を伸ばそうとしたとき、誰かが肩を掴まれ思わず後ろを振り向く建也に驚く人が目に入る。
なんと、建也の肩を掴んで制止したのは息を切らせている久晴だった。
「お客様、周りに誤解や迷惑をお掛けしますのでご遠慮願います」
と言って、走ってきているにも拘わらずハッキリとした口調で建也を制止する久晴。
普通であれば、全速力で走り続けていれば声が出なくなる状態。
やはり、緊張状態が久晴をそうさせていることは間違いない。
その後ろには、建也に鋭い目で怒りを露わにする英美里。
無意識に英美里は、我が子を守る母親のように真理香の手を取って自分を盾にする。
なんとか、真理香のピンチに間に合った。
久晴と真理香に助けられた真理香は、自分の肩を強く抱きしめ生まれたばかりの子鹿のように今でも震えている。
思わぬ計算外に、唆して雇った阿久井がしくじったことに気付く建也は、
「あのハゲ親父、全然役に立っていないじゃねーかっ!」
と怒りを露わにして、今にも誰かを殴ろうと拳を握っている。
「今は、迷惑客と訴えて正規のホテルマンに連行中。もちろん、証拠を出したからアンタが雇った助っ人のハゲたおっさんはこれから警察のお世話になっているからご心配なく」
と言って、阿久井のことを話す英美里は自慢げな顔をしていた。
まさか、英美里は自分の腕っ節で阿久井を大人しくさせたのはここでは言えない話。
一応、阿久井が久晴を襲ったことへの制止行為として押し通すに違いない。
「今度は、こっちが貴方に質問したいことがあります。戸渡建也」
と言って、目付きの悪い久晴は鋭い目を利かせて戸渡建也に問い詰める久晴。
それに対して、追い詰められているというのに余裕を見せる建也はあざ笑うように、
「そんなに、怖い顔して何が聞きたいというのかい? そうか、あんたは目付きが悪いから仕方ないか」
と言って、惚けるように久晴を挑発する。
それでも、建也の挑発に屈することなく久晴は容赦なく問い詰める。
「戸渡さんは、慶応ボーイと名乗っていましたが卒業リストには名前が記載されていません。これは、貴方が慶応大学を中退したか入学していないと解釈しますが?」
と久晴は、建也の学歴偽証を主張する。
それに対して、建也は余裕の顔を見せあっさりと認める。
「僕は、慶応大学を卒業したとは一言も言っていない。一応、大学に入学したことも中退したことも事実だが辞めた理由は環境に馴染めなかっただけだよ」
建也の返答を予想していた久晴は、慶応大学を中退した事実を新聞の記事を見せ追求する新聞記者のように問い詰める。
「では、中退した理由が泥酔した後輩の女子大生を仲間に襲わせたのでは?」
今度は、新聞記事の証拠があるから認めるのは間違いないと確信する久晴。
ところが、建也は新聞記事の名前の未記入を指摘し論破。
「この記事には、逮捕されたのは十九歳の大学生と記載されている。僕が、直接やった証拠はどこにもない。いくら冗談でも、名誉毀損もいいところだ」
確かに、新聞記事には十九歳の未成年の大学生と記載され建也本人である確証はどこにもない上に過去の記事では終わった話と片付けられる可能性があった。
だが、今度は建也本人の現状を久晴は突きつける。
「では、現在の貴方は六人の女性と交友関係を持っていると聞いています。その中には、若い使用人と一夜を共にしたと証言を聞いていますが」
だが、建也は鼻で笑って余裕を見せると、
「それは、聞いただけで証拠にも何もなっていない。だと言うのであれば、その証言している女性達と是非会ってみたい」
と言って、徹底的に論破し問い詰める久晴をはね除ける。
まさか、これだけ問い詰めているというのに余裕ではね除けるなんて想定もしていなかった久晴は悔しそうに建也を睨み付けることしか出来ない。
英美里も久晴と同様に、拳を握って建也を睨み付けている。
もし、英美里が建也を殴ったら都合良く訴えられ逆に立場が危うくなる。
緊迫した状況の中、両陣営共に睨みを利かせて牽制し合うことが出来ず時間だけが無駄に流れて行く。
同じ頃、誰かが遠くでその様子を眺めている者達がいる。
その中の一人である琴音が、集められた女性達に話し掛けてくる。
「皆様、戸渡さんが言ったこと間違いないですか?」
すると、集まった女性達が怒りを露わにして関係あると主張。
当然、事件現場であるプライベートプールへ向かう人達。
久晴と英美里の知らない間で逆転劇が待ち受けていることを知る由もなかった……。
数十分後、久晴と英美里は怯える真理香を守る盾になり建也に睨みを利かせている。
それに対して、RPGのラスボスのような不敵な笑みを浮かべ余裕を見せる建也は、
「君達二人は、バイトの途中では? もし、ここで油を売っていると分かれば支配人や他のホテルマンに迷惑するのでは」
と言って、邪魔な久晴と英美里の二人を立ち退かせるように働きかける。
それでも、久晴と英美里の二人は立ち退こうとはしない。
建也は、内線用の電話機に手を伸ばし他のスタッフを呼ぼうとしていた。
悔しがる久晴と英美里に、建也に抗う手段は残っていなかった。
その時、誰か女性の声が遠くから聞こえてくる。
「あっ、あのー、多田野さんっ? これ、どういう状況ですかっ?」
久晴は、声の方に顔を向けると水着姿の菜摘がいた。
さらに、宣伝一課の女子メンバー全員と東北の同僚二人もいるのに驚く。
なんと、クジ運最強の菜摘は近所の福引きで特賞の超高級ホテル十名様の一泊二日宿泊券を当て宿泊に来ていた。
ちなみに、同僚二人は女性と楽しく遊べるという理由で格安プランでの自腹出費。
琴音も自腹だが、主人がホテルの支配人だったので半額で泊まりに来ている。
十名様は、当然の如く女子メンバーと招待客に使用した。
「多田野さん、こういう理屈っぽい相手には確実な証拠を用意することが重要よ」
と琴音は、笑顔で久晴に注意する。
琴音の注意で、証拠不足で苦しめられたことで思い知らされた久晴。
だが、徹底的に論破する建也に対抗する手立てがどこにあるのか不安な久晴。
そんな中、琴音は建也の論破に反論するように質問を仕掛ける。
「大学中退の件は、理由はともかく概ね自分が認めたから良しとして……。戸渡さんは、『証言する女性達と是非会いたい』と言ってましたよね?」
「確かに、言いましたね。でも、そう簡単に全員集まるわけがないでしょう」
と建也は断言し、余裕な態度が崩れることはない。
ところが、琴音が招待客を呼んだ瞬間に余裕な態度が一瞬で崩れ狼狽える建也。
なんと、建也と関係がある女性達が突然姿を現し怒りを露わにして建也に詰め寄る。
当然、その中に使用人の梨乃や当時の女子大生も加わっていた。
被害者である女子大生は、建也本人の謝罪もなく金で揉み消されたことに怒りを露わにして必要以上に詰め寄っている。
他にも、詰め寄る女性達の中には耳を疑いそうでショッキングな事実を聞かされ久晴を含む男性陣ですらドン引きして白い目で建也を見ることしか出来ない。
(ちなみに、問題になるレベルのショッキングな内容で書き表すことが出来ない)
さらに、使用人の梨乃から涙混じりの悲痛な主張には久晴の心が痛む。
「建也様、私は他の女性に乱暴させたくなくて一夜を共に……。それなのに……、それなのに、真理香様攻略の名目で他の女性に手を出すなんて……」
いくら使用人の立場とは故、健気に添い遂げる梨乃の心を踏みにじる建也の不貞行為や強姦まがいの暴行に許すことの出来ない久晴。
当然、居合わせた女性達や男性達も久晴と同様に建也を許すことは出来ない。
最早、建也に反論の余地はなくホテルのスタッフや警察を呼ぶだけと思った久晴。
ところが、追い詰められた建也は何を考えたのか誰かが片付け忘れたデッキブラシを掴んで怒りに任せて勢いよく振り回し集まる女性達を払い除ける。
突然の行動に女性達は大きな悲鳴を上げて逃げ回り、男性達は突然の騒動にどのように対処すればいいのか狼狽える。
「誰にも、真理香さんを渡さないっ! こうなれば、傷を負わせて奪うだけだーっ!」
と建也は叫び、目玉が何処のような謎理論を展開して真理香に襲いかかる。
ターゲットにされた真理香は、状況判断が出来ず他の女性達同様に逃げ回る。
しかし、真理香は他の女性達と引き離され孤立され再び壁際まで追い詰められた。
その瞬間、久晴は体が無意識に真理香のところへ駆け寄る。
建也が真理香にデッキブラシを振り下ろした瞬間、久晴が真理香の盾になって自分の背中で受け止めた。
デッキブラシは、長いこと使って老朽化したのか柄が真っ二つに折れて半分になる。
その時、真理香は去年の冬コミの事件と今の久晴が重なって見える。
盾となって身代わりとなった久晴は、痛みでうずくまり地ベタに倒れ込む。
建也は、半分に折れたデッキブラシを捨て握り拳で真理香に殴り掛かる。
その時、真理香は冷静になり殴り掛かる建也の腕をタイミング良く掴んで当て身投げの容量でいとも簡単に投げ飛ばした。
その瞬間、英美里と男性二人が倒れる建也を押さえ込み身動きを奪う。
真理香は、自分を庇って痛みに顔を歪める久晴のところへ歩み寄り目線を合わせるように座り込み話し掛ける。
「多田野さん、目を瞑って……」
すると、久晴は顔を歪ませながらも起き上がり疑問に思って真理香に問い掛ける。
「えっ、何で……? 俺っ、何か悪いことでも……?」
ところが、真理香は顔を赤くして、
「いいから、目を瞑りなさいっ!」
と叫んで、怒った表情で久晴を睨み付ける。
久晴は、怒号のような真理香の命令に思わず目を瞑りビンタが来るのを覚悟する久晴。
幼い頃、ワガママを言って親からビンタされたことは何度かある。
でも、助けたのにビンタされるなんて納得がいかない久晴は、
(何で……? 何も、悪いことしていないのに……。こんなの、あんまりだよーっ!)
と心の中で、今にも泣きそうなくらい叫んでいた。
ところが、久晴の頬にはビンタの痛みではなく何か温かく柔らかいものが吸い付くように当たっている。
気になって目を開けると、真理香が抱きつき自分の左頬にキスしているではないか。
自分の記憶の中では、初めて年頃の女の子から頬にキスである。
さらに、真理香は嬉しさの余り久晴の顔を自分の胸に両手で抱き寄せる。
まるで、大切なぬいぐるみを手放さないよう両手で抱き締める幼い女の子のように。
頬にキスされただけでなく、自分が記憶した中では経験したことのない谷間の柔らかさに、熱中症でもないのに違う意味で意識が朦朧となり顔全体が赤くなる久晴。
「真理香さん、何で僕より一回り年取っているオッサンに……? しかも、変態で汚らしいヲタク臭いオッサンだぞーっ!」
と怒鳴って、強烈にショックを受ける建也は真理香を問い詰める。
すると、真理香は久晴をハグしたまま怒った表情で建也を睨み付け、
「どうせ、貴方は女遊びで夢中だったでしょ! この人は、どんな状況でも私達のために一生懸命になって頑張ってくれる。こんなの、ご褒美として安いくらいよっ!」
とキツく言い返し、あっかんべーして怒りを露わにする。
建也は、真理香の発言に強烈なショックを受け嘘のように抵抗しなくなる。
それに対し、突然の頬にキスとご褒美ハグで完全に思考回路が止まった久晴は抱き締める真理香の腕の中で意識が薄れる。
「アイツ、女性に対して免疫ほぼゼロなのに……。羨ましすぎる、多田野のヤツ……」
「……しかも、大会社のご令嬢……」
と元同僚である二人の男性の口から、悔しさの余り久晴の弱点を思わず暴露する。
女子メンバーは、気になって菜摘から東北支社時代の久晴について聞き出す。
「そういえば、私と会話するとき何時も離れた間合いで……」
と言いながら、前職の東北支社での久晴について思い出す菜摘。
菜摘の証言で、隠していた久晴が女性に対して苦手であることが公となってしまった。
まさかの暴露に、真理香は久晴を抱いたまま心の中で何度も謝る。
久晴は、真理香の腕の中で完全に気を失った……。
こうして、ホテルマン達が姿を現したのは建也を取り押さえて十分過ぎ。
建也は、英美里と男性二人の手によって折り畳み椅子に縛り付けられ身動きが取れず、口には暴言を吐かないようガムテープで口止めされている。
その一方、久晴は未だに意識が戻っていない。
まさか、久晴の気絶が真理香のご褒美が原因とはやって来たホテルマンは知らない。
それでも、真理香を守って背中に怪我を負っているのは紛れない事実。
気絶した久晴は、心配する真理香と共に医務室に連れて行かれる。
当然、英美里や居合わせた人達は警察が来るまで残ることに。
これで、建也に逃げ道はなく警察に連行されるのは時間の問題。
その事は、気を失っている久晴の耳に届くことはなく医務室へ連れて行かれる。
ホテルマン二人と、心配する真理香と共に……。
久晴が意識を取り戻したのは、医務室のベッドの上。
真理香は、ベッドから起き上がった久晴に思わず強く抱きつく。
「もう、私を心配させて……。本当に、心配してんだからっ!」
と真理香は、今にも泣きそうな声で久晴に訴えた。
ところが、久晴は背中から痛みが再発し苦悶の表情で真理香に訴える。
「痛っ、痛いって……。ゴメン、少し離れて……」
真理香は、久晴が怪我を負っていることに気がつきゆっくり離れる。
久晴は、建也から暴行を受けた上に真理香にハグされ気を失い後のことを知らない。
そこで、真理香は久晴が気を失った後のことを話してくれた。
真理香が建也を当て身で投げ飛ばしたこと、英美里や元同僚の男性二人が建也を取り押さえたこと、元同僚や菜摘の証言で久晴の女性が苦手である事が公になったことを知る。
「まさか、加納さんや元同僚から暴露されるとは……。薄々、気付かれてるとは故……」
と言って、頭を抱え連休明けのことで恐怖に震える久晴。
真理香は、冬コミの件を含め二度も久晴に助けられ嬉しそうに労う。
「本当なら、夏コミで楽しんでいたのに……。ありがとう、多田野さん」
その一言で、苦労が報われたと安堵する久晴。
だが、プライベートプールでされたことを思い出し真理香に聞き出そうとする久晴。
ところが、真理香は久晴に迫って念を押すように真顔で話し掛けてくる。
「貴方は、何も覚えてない。貴方は、デッキブラシで強く叩かれ気を失っただけ」
真理香の念の籠もった威圧に、身の危険を感じ聞かないことにした久晴。
だが、今一番気になることがありベッドから起き上がると英美里や宣伝一課のメンバーがいるプライベートプールへ向かおうとする。
当然、デッキブラシで叩かれた背中の痛みが未だに引いていない。
本当なら無茶させないよう制止して安静させたいが、心配する久晴の心境を考慮し起き上がるのをサポートする真理香。
久晴と真理香の共通する心配は、建也が警察に連行されているかプライベートプールに残っているのか。
心配事を胸に、医務室を後にする二人であった……。
事件現場であるプライベートプールに戻ると、宣伝一課のメンバーと他の人達に囲まれるように建也がパイプ椅子に拘束された状態で鎮座している。
しかも、建也の口にはガムテープで塞がれ喋ることが出来ない。
いくら藻掻いても、ぐるぐる巻きにきつく縛ったロープが建也を逃がそうとしない。
今の建也は、某サイコホラー映画の拘束されたサイコパスな精神科医を彷彿させる。
その異様な姿に、久晴と真理香の二人は驚きの余りに目を丸くして言葉を失う。
「コイツを拘束したというのに、支配人が来るのが遅くて……」
と言って不満そうな英美里を見て、言わなくても状況が把握できた。
そこへ、ロビーで見掛けたヤクザのような出で立ちの人達が姿を現す。
「あの、他のお客に迷惑をお掛けしますので勝手に乗り込まないで下さいっ!」
と支配人が説得するが、我慢が出来ず無理やり乗り込んできたヤクザのような集団。
ヤクザのような集団を見て、居合わせた人達全員が戦々恐々としている。
ところが、英美里だけは知り合いらしく平然とした表情で挨拶する。
乗り込んだリーダー格の男も、英美里に久しく話し掛ける。
「コイツが、戸渡建也のようだな。何だ、人質みたいに縛り上げて?」
英美里は、頷いて建也で間違いないとリーダー格の男に教える。
その時、気になって英美里に細々と話し掛ける。
「一体、この人達とどのような関係が……?」
すると、英美里は怖がることなく平然とした表情で返答する。
「この人達、あたしと同じMCバトルのラッパー達。そして、話し掛けた男が大会を運営する主催者」
なんと、ヤクザのような出で立ちの人達はMCバトルのラッパー。
よく見ると、見た目ではラッパーと思えないごく普通の人や現役高校生と思われる制服を着た人達も中に混じっている。
そして、英美里に久しく話し掛けるリーダー格の男が大会運営を担う主催者。
何故、ラッパー達と戸渡建也との因縁があるのか久晴だけでなく居合わせている人達は気になって仕方なかった。
その答えは、主催者の口から知ることになる。
「本来なら、予約したライブハウスでMCバトルを開催する予定だったが。コイツが、強引に割り込んで予定が潰れてしまってな。そこで、その落とし前を付けに来たんだ」
主催者の説明で、支配人が思い出し深々と謝る。
「まさか、そのようなことが……。そのライブハウスは当方が運営しており、このような不手際が原因でご迷惑おかけ致し大変申し訳ございません」
「支配人、頭を上げて下さい。悪いのは、全てコイツなので」
と言って、建也に睨みを利かせながらも支配人の頭を上げさせ懐の広さを見せる主催者。
だが、切羽詰まって走っていたことが気になり英美里に事情を聞く。
「ところで、『プールで強姦が』と言っていたが、一体どういうことだ?」
と主催者は気になって、支配人と共に詳しく事情を聞き出そうとする。
すると、これまでの出来事を説明する英美里。
当然、被害者の一人である久晴も英美里と同様に事情を支配人や主催者に話す。
建也が仲違いを利用して本命の真理香を狙っていたこと、建也に想いを寄せている使用人の梨乃の心を踏みにじって他の女性に手を出していたこと。
そして、建也が既成事実を作ろうと強引にデートに誘った真理香を襲ったこと。
幸いにも、真理香の抵抗と久晴と英美里の制止により事件は未遂に終わった。
これを聞いて、支配人は警察を呼ぶ必要があると察しフロントに戻ることに。
「多田野さん、西堂さん、引き続き迷惑客の監視をお願いします」
と支配人は指示を出すと、自分の妻である琴音と少しだが談笑して後にする。
その際、琴音は嬉しそうに夫の支配人と談笑する姿は微笑ましく見える久晴。
残されたのは、課長を除いた宣伝一課のメンバーと東北支社時代の同僚三人に加え、建也と関係を持った女性達とラッパー集団。
もちろん、事件の首謀者である建也は拘束された状態でパイプ椅子に鎮座している。
その時、何を考えていたのか主催者の男が居合わせた者達に提案を持ち掛けた。
「折角、集まって何もしないのは面白味がねーな。ここは、元凶のコイツに制裁しようじゃねーか。当然、腕っ節でなくラッパー流の鉄拳制裁でだ」
すると、主催者の趣旨を受け取った英美里が何かを企んでいる不敵な笑みを浮かべ、
「それ、いいっすねー! ここは、怖がらせた人達へのお詫びを兼ねたサイファーで」
と言って、今にもやる気満々の様子を見せる。
主催者は、ラッパー集団の中にいる機材を持った数人の人達に指示を出す。
「DJ、急いで準備してくれっ! ここで、サイファーを始めるぞーっ!」
と主催者の指示で、機材を持った数人の人が丸形のテーブルを利用して準備する。
その様子を見て、何をやるのか分からない久晴は英美里に聞いてみた。
「西堂さん、一体何を始めようと……?」
すると、英美里はやる気に満ち溢れた笑みを浮かべて返答する。
「今から、ここでサイファーを始める。もちろん、暴力ではない鉄拳制裁」
その答えは、一体何が行われるのかハッキリと分からず頭の中がモヤモヤ状態の久晴。
そもそも、サイファー自体が何なのか全然分かっていない。
唯一、分かることは暴力ではない鉄拳制裁の一言だけ。
「どうやら、黙って見た方がいいわね。ラッパー流の鉄拳制裁を」
と真理香は、疑問に思う久晴とは対照的に何が始まるのか理解しているようだ。
すると、ラッパー達は拘束された建也を中心に円陣を組んで取り囲む。
もちろん、その円陣には英美里も加わっていた。
DJの準備が出来ると、主催者は久晴や居合わせた人達をオーディエンスにして場を盛り上げる。
「制裁サイファー、はーじまるぞーっ!」
と主催者の一言で、DJの一人が設置した機材を使って音楽を鳴らす。
すると、英美里が先陣を切って建也に近づきラップを披露する。
どうやら、サイファーとは輪になって即興でラップを披露するようだ。
流石ラッパーである英美里は、音楽のリズムに乗せて即興でラップを披露する。
もちろん、日頃の鬱憤を晴らすように言葉による建也への鉄拳制裁。
英美里の番が終わると、他のラッパーが次から次へと即興ラップを披露。
中には、問題になりそうな卑猥な表現やショッキングな暴言など下手すれば精神的に再起不能になりそうな即興ラップを披露する者もいる。
最初は必死に藻掻き続け抵抗する建也だが、強烈な即興ラップによる精神的なダメージの蓄積がジワジワと募り抵抗する気力を削られる。
特に、後から出てきた強面の男が登場したときは恐怖で顔色が悪くなる建也を見て何も言わなくても恐怖が伝わってくる。
だが、女性陣の大半が建也への怒りを晴らすように盛り上がっている。
そんな中、何を考えたのか英美里が久晴の手を引っ張りラッパーの輪の中に入れる。
久晴は、強引に連れ出す英美里に遠慮するように抵抗する。
「タダノッチ、このエセイケメンに言いたいことあるでしょ? 折角だから、懐に仕舞い込むより思い切って言っちゃった方が楽になるって」
と英美里は、嫌がる久晴に即興ラップを強引に誘い出す。
突然、久晴の番がやって来て無茶振りの即興ラップに何をやればいいのか分からない。
ただ言えることは、嫌がる真理香に強引な手を使って求愛を迫ったこと、恋愛対象としていない女性達に心の痛みを与えたこと。
そして、久晴自身や他の男性達を見下したこと。
久晴は、無意識に音楽に乗せて建也に怒りを込めた即興ラップを披露する。
当然、久晴はラップするのは初めての体験。
その時、盛り上がる人々の声が久晴の心に火を付け意識が何処かへ飛び後のことは何一つ覚えていなかった……。
一時間以上経過し、制裁サイファーが終わった頃には建也の精神は完全に崩壊したのか抵抗する気力を失い灰と化していた。
我を取り戻した久晴は、廃人のような建也の姿を見て何処か罪悪感に襲われる。
そんな久晴に、真理香やオーディエンスの女性達やラッパー達が賞賛してくる。
「あんた、始めにしては結構やるじゃん! 今度、ラップのスパーリングやってみない?」
と英美里が、社内での威圧的な態度とは違い久晴に戯れるように久晴を褒めてくる。
久晴は、賞賛する人達に心が救われた気がした。
そんな中、支配人と共に警察の方が姿を現し建也を逮捕する。
一応、一部始終の会話を記録したICレコーダーや防犯カメラの映像が十分の証拠となり建也の逮捕に繋がった。
サイファーの件は、警察からは厳重注意のみで不問に。
不問にしたのは、警察へ説明責任と説得した主催者のカリスマ性がなせる業。
当然、支配人もサービスの一環として誤魔化したのも不問の要因に繋がっている。
建也を連行した後、支配人と主催者との交渉するように談笑してラッパー達と共にプライベートプール去って行った。
女性達も、各々で施設やアクティビティを楽しもうと解散するように去って行く。
残されたのは、課長を除いた宣伝一課のメンバーと東北支社時代の同僚三人と使用人の梨乃だけ。
サイファーが終わって、少しばかり静寂な雰囲気を取り戻していた。
そんな中、ホテルマンの一日バイトの久晴と英美里は早く戻らないとスタッフに怒られると察し慌て出す。
「それじゃ、バイトに戻りますので! 皆さんは、この後楽しんで下さい!」
と言い残し、英美里を引き連れバイトに戻る久晴。
そこへ、遼太郎が二人の秘書を引き連れプライベートプールに姿を現す。
「かっ、会長、バイトに戻りますので失礼しますっ!」
と言って、久晴はプライベートプールを後にしようとするが、遼太郎は何も言わず久晴の肩を掴んで引き留める。
その後、遼太郎は居合わせた人達に事情を一言も聞き逃さないよう耳を傾ける。
今回の一件は、建也が本命の真理香をデートに誘い既成事実を作ろうと策略を仕組んだこと、久晴が濡れ衣を着せられ誤解されたこと。
そして、久晴の濡れ衣が原因で宣伝一課のチームワークが分断されたこと。
全てを聞いた遼太郎は、居合わせた宣伝一課のメンバーや社員に頭を下げ労を労う。
「皆さん、休日にも拘わらず真理香のために動いていただき心から感謝する」
その一言で、今までの苦労が報われた気がした居合わせた社員達。
特に、濡れ衣を着せられ誤解を自力で解こうと苦労した久晴は報われた気がした。
そんな中、久晴と英美里のスマホからスタッフの呼び出しの連絡が入り戻ろうとする。
遼太郎は、久晴と英美里にこの後の予定を聞き出す。
久晴はバイト終了後は社員寮へ帰宅する予定で、英美里はバイト終了後にMCバトルのラッパーと合流し大会の参加予定と遼太郎に伝える。
「折角、来たのだから今日泊まりなさい。お礼として、ワシがホテル代を出そう」
と言って、ホテルの宿泊を提案する遼太郎。
しかも、会長のポケットマネーで宿泊できると聞いて耳を疑うほど驚く久晴。
当然、遼太郎の好意に最初は恐縮して必死に遠慮する。
そこへ、真理香や琴音は遠慮する久晴を受け入れさせようと説得に入る。
「会長からの好意だし、ここは遠慮せず甘えた方がいいわよ。大丈夫、下着などはコンビニで揃えられるから気にする必要はないわよ」
と琴音は、未だに遠慮している久晴の耳元で囁くように説得する。
琴音の説得が悪魔の囁きのように聞こえ、遠慮し続けている久晴の心は揺らぎ始める。
真理香は、心が揺らいでいる久晴に追い打ちを掛けるように耳元で囁く。
「御祖父様がいいって言っているから、甘えた方が私にとって都合がいいのよね。だって、私って狙われやすいタイプだから」
その言葉で、今回のことや冬コミのことを思い出すと不安が脳裏を駆け巡る久晴。
(一応は、建也がいなくなったけど……。もしも、誰かに襲われたら……)
真理香と琴音の囁きに負けたのか、それとも脳裏に駆け巡る不安に押し潰されたのか、
「申し訳ありません、会長……。お言葉に甘えます……」
と久晴は、罪悪感を感じながらも遼太郎の好意に甘えることにした。
それに対して、英美里は悪びれることなく遼太郎の好意に甘える。
久晴は、彼女の堂々な態度に爪の垢を煎じて飲みたいくらいに度胸が欲しいと思った。
そんな中、一日バイトの途中である久晴と英美里の二人は真理香や他の仲間が遊んでいるのを尻目にプライベートプールを後にバイトに戻った。
こうして、英美里と共に職場に戻った久晴はフロント内のスタッフルームで支配人から遼太郎と同じ事情を話す羽目に……。
話し終えると、疲れ切った表情でフロントに戻る久晴。
フロントでは、警察に連行される建也と阿久井の姿が見える。
先程の制裁で抵抗する気力を失い素直な子供のように大人しく連行される建也とは対照的に、必死に悪足掻きをして自分は被害者だと主張し抵抗する阿久井。
だが、久晴が提出したICレコーダーの録音が決め手となり確実に警察行き。
英美里の暴力的な制止は、阿久井の迷惑行為に対する救助行為が成立し不問。
当然、今回の一件で建也と阿久井の二人は出禁をなったことは言うまでもなかった。
そこへ、真理香や会社の同僚達が姿を現し警察に連行される二人を見送る。
その時、衝撃的な暴露を琴音の口から傷口に塩を塗るような衝撃発言をする。
「戸渡さんは慶応ボーイと言っているけど、真理香お嬢様は正真正銘イギリスに留学してケンブリッジ大学を卒業しているわよ。しかも、トップクラスで」
なんと、真理香はイギリスの名門大学をトップクラスで卒業した才女と聞いて目を丸くする久晴は英美里に確認する。
すると、何も言わず首を縦に振って紛れもなく本当である事を主張する英美里。
(……なるほど、頭の回転が速いはずだ……)
と久晴は、心の中で驚きながらも納得する。
真理香は、琴音の暴露発言に怒った表情で注意する。
「もう、琴音さーんっ! その事は、誰にも言わない約束だったのにーっ!」
建也は、琴音の発言が余程ショックのようでガックリと肩を落とす。
いくら外見的に磨いても、真理香は手の届かない女性だと悟ったに違いない。
こうして、去って行くパトカーを見て全てが終わったことを実感する久晴。
唯一の心配は、建也を心から思っている使用人である梨乃の複雑な表情。
だが、全ては建也が蒔いた種を自分に言い聞かせバイトに戻る久晴であった……。
こうして、午後四時を迎え一日のみのバイトが終了。
支配人からバイト代を貰い、ホテル仕事から解放される久晴と英美里の二人。
この後、遼太郎の好意で高級ホテルに一泊することになった。
英美里は、宿泊する高級ホテル内でMCバトルに参加すべくラッパー集団と合流。
久晴は、下着などの簡易的なお泊まりセットを購入することに。
幸いにも、近くにコンビニがある事と高級ホテルの売店が充実しているので下着などの最低限のアメニティーを取り揃えることが出来そうだ。
簡易的なお泊まりセットが揃う頃には、日が沈み夜を迎えようとしている。
そんな中、会社用のスマホからDMの着信音が聞こえる。
久晴は、スマホを取り出しDMを開くと顔色が突然青ざめる。
「業務命令、話があるから今すぐプライベートプールに来なさい! もし、来なかったら一生口を利きません! 真理香」
その時、昼間の疲れが吹っ飛んだようにプライベートプールに向かう久晴。
一応、事件は解決はしているが再び真理香に危険なことが起きないことを祈って……。