第97話 再会の約束
「レミも来れればよかったんだけどねぇ。忙しいみたいで。昨日はありがとうって伝えてくれって言ってたよ。あと気を付けてとも」
「そう」
外を歩く人々がぽつりぽつりと現れ始めた道を四人は進む。
名前が出たことで、クリスティーナの脳裏を昨晩のレミの姿が過る。
穏やかな口調と柔らかな微笑。時折見せる、普段の落ち着いた雰囲気とはまた違った無邪気な笑い。
明るい表情の彼を思い出していると、どうしてもそれと対比させるように対極的な姿がちらつく。
真夜中に涙を流し、苦しそうに喘ぎ、小さく身体を折る姿。
「……彼のことだけど」
「レミがどうかした?」
口を開いたものの、どう話題を切り出したものかとクリスティーナは言い淀む。
真夜中の彼の様子を思い出すと、どうしても不安な気持ちが掻き立てられる。そしてどうしてだか、その時のことを見ないふりしてはならないような気がしていた。
「……きちんと見ていてあげて。彼が気掛かりだというのなら」
「それはどういう……」
ノアが目を丸くしながら詳細を問おうとする。しかしクリスティーナはそれ以上語ることが出来ない。
彼についてクリスティーナが時折感じた『何か』には不確定な要素が大きすぎる。憶測だけでものを語るのは余計な不安を煽るだけにしかならないし、何よりこれ以上を語ればクリスティーナの正体まで仄めかすことになりかねない。
複雑な感情を抱きながら口を閉ざすクリスティーナの様子を見たノアは投げかけた問いを途中で途切れさせた。
「……わかったよ」
クリスティーナ達が気まずさを覚えない様にという計らいだろう。
静かに頷いたノアはすぐに真面目な雰囲気を誤魔化すように明るい声音で他愛もない話を始めた。
「そうだ、クリス」
そうして話を弾ませながらグロワール西部へ向かう道中、ノアはふと思い出したように懐から小包を取り出した。
彼が見せたのは迷宮『エシェル』でクリスティーナが預けていた大量の魔晶石だ。
袋の隙間から顔を覗かせるそれらはいくつかが黒ずんでいるものの、半数以上は未だ美しい輝きを保っていた。
「これ、ありがとう。お陰で随分と楽をさせて貰えたよ」
クリスティーナの作った魔晶石は一つ一つがとても価値のあるものだ。そして危険の付き纏う旅路で役立つ代物でもある。
故に忘れないうちに返しておこうと考えたノアはそれをクリスティーナへと差し出した。
しかし彼女は目を丸くし、ゆっくりと瞬きをするだけで受け取ろうとはしない。
どうかしたのかと首を傾げれば、クリスティーナは興味なさげに顔を逸らしてしまった。
「残りもあげるわ」
「……えっ!?」
「元々そのつもりで渡したんだもの」
「い、いや、君ねぇ……。優れた品質の魔晶石がこれだけあれば有事の際に必ず役立つんだよ。持って行った方がいいに決まっている」
「必要ないわ」
説得を試みようとも短く切り捨てられてしまう。
一ヶ月程の付き合いでしかないが、クリスティーナが一度頑なな態度を取りだせばその決定を覆すのが難しいという事は理解している。故にノアはどうすれば彼女を頷かせることが出来るのかと困り果ててしまった。
そんな相手の様子を横目で捉えていたクリスティーナは、数秒程無言を貫いた後に口を開いた。
「それが人の役に立てる代物だというのなら、貴方の学びへ役立たせればいいわ」
一度に使える魔力量の上限が増加すれば、魔法の研究も大きく捗る。
消費可能な魔力量が増えれば纏まった時間に魔法を何度も使いまわすことが出来る。
高品質な魔晶石を多く所持するという事はつまり、魔法の研究が捗る要因になり得るという事でもある。
彼は言った。自身が水属性の魔法しか使えないことによって、納得のいかない評価を受けたことがあると。
いつか水属性の魔法しか使えない自分自身を好きだと言えるようになりたいと。
その結果を得る為に必要なこと。それはきっと彼自身が更に自身の魔法の腕を磨くことしかない。
偏見を振り切り、誰が見ても文句をつける事の出来ない境地を目指すことが彼の目標の一番の近道となるはずだ。
そして魔力量の問題は彼の進むべき道を阻む障害となる。
だからこそ、高品質な魔晶石を彼が持つことでその障害のいくつかを取り除くことに繋がるはずだとクリスティーナは考えていた。
「いつか伝えてくれるのでしょう?」
自分のことが好きだと満足そうに口にするノアの姿。
それをクリスティーナは見たいのだ。
直接的な言葉は使わない。
けれどそれでも、傍らに立つ青年が言いたいことを察することが出来る程に聡いことをクリスティーナは知っている。
ノアは静かに目を見開き、クリスティーナの姿をその瞳一杯に捉える。
そして込み上げる感情を堪えるように深々と息を吐いた。
「……わかったよ。なら君の言葉に甘えて、これは貰っておこう」
「ええ」
元より魔晶石を作る為の素材はノアが用意した物なのだ。
それに加えて無償でクリスティーナ達へ付き合ってくれた彼の報酬としては不十分だろうが、それでも多少の礼としては機能するだろう。
ノアは再び小包を懐へしまい込んでから、目先に広がる街並みに目を細めた。
都会特有の所狭しと建物が立ち並ぶ様は数メートル先で終わりを告げている。
その先は首都の中心部から外れるようで、店はまばらに配置される程度。今まで通り過ぎた街並みより閑散とした印象を受ける光景が広がっていた。
「この先を進めばグロワールを抜ける。一先ずは徒歩で移動しつつ、グロワールから地方へ戻る商人の馬車を見かけたら同行を申し出てみるといい。上手くいけば時間短縮になるはずだ」
「本当に色々とお世話になりました」
「ありがとな」
「いいんだよ。俺が好きでやってることなんだから」
リオとエリアスの礼にノアが首を横に振る。
「リヴィも、もうそろそろ来るんじゃないかな」
友人の姿を探して辺りを見回しながらノアが言う。
結局ノアの予想通り、クリスティーナ達と目的地が被っていたというオリヴィエ。彼の姿を思い浮かべながらクリスティーナは一つの疑問を口にした。
「彼はどんな人物なの」
オーケアヌス魔法学院を休学しているノア達の友人であり、神の賜物。クリスティーナ達はオリヴィエのことをその程度しか知らない。
故に抱いた疑問を問いかけてみたのだが、それに対するノアの反応は肩を竦めるというものであった。
「ごめんよ。生憎、俺の口から語れることは少ないんだ。実際に接してみればわかるとしか言えない」
「そう」
語れることが少ない。それは言葉通りそれ以上語る程のことがないとも取れるし、込み入った事情から話すことの出来ることが少ないとも取れる。
だがクリスティーナは彼のこのやや遠回しな言葉選びは意味があっての選択なのではないかと感じた。恐らくは本人の口からでしか語られるべきでない何かがあるのだろう。
「ただ、そうだな。君と少し似ているかもしれない」
「私が短慮だとでも?」
「そういう意味じゃなくって……!」
顎に手を当てて考えたノアの発言にクリスティーナは眉根を寄せる。
予想外の方向へ履き違えた相手の解釈を慌てて否定しながらノアは首を横に振った。
「ほら、君もリヴィも発言に際して物怖じするタイプではないだろう。多少言葉が強くなろうともそれが正しいと思えば自身の選択を歪めることなく言語化する。だからきっと誤解されやすい」
そういうところが似ているのだと彼は告げる。
当事者であるクリスティーナとにはあまりピンと来ない話であったが、一方でリオはどこか納得したように頷いている。どうやらノアの指摘は的外れという訳ではないらしい。
「まあ確かに、君と違ってリヴィは馬鹿だ。だけどね――」
ふわりと風が四人の横をすり抜ける。
ノアは自身のローブを風にはためかせながら整った唇を動かした。
そこから紡がれた言葉、そしてローブの下で彼が浮かべた表情にクリスティーナは目を丸くした。
風が止んだ時、ノアは一度だけ優しい微笑みをクリスティーナへ向ける。
緩く下げられる目尻と細められた瞳に目を奪われながらも彼の発言の意図を掘り下げようとクリスティーナは口を開く。
しかし彼女の問いが言葉になるよりも先に地を踏みしめる音が一つ、クリスティーナの背後で鳴った。
「来たね」
音の鳴る方へと先に振り向いたノアの視線を辿るように、クリスティーナもまた振り返る。
彼女の後ろに立っていたのは薄汚れたローブに身を包んだ人影。
それは四人の姿を捉えると被っていたフードを雑に振り解いた。