第94話 ありのままの姿
相手の単純さを目の当たりにし、無駄に相手の心情を推し量ろうとしたのが馬鹿みたいだと過去の行いを悔やんでしまいそうなった時、リオがレミの方へ視線を泳がせて何かに気付く。
「お嬢様、レミ様のお料理を取って差し上げては?」
「え?」
「あ。お気遣いなく」
一度は目を丸くしたクリスティーナだが、レミの手元を見てすぐに従者の言葉の意図を理解する。
いつの間にか彼の皿の上は空になっており、彼はクリスティーナの近くに盛られている料理をよそおうとしているところであった。
わざわざクリスティーナへ声を掛けたのは彼とのコミュニケーションの機会を設ける為のリオなりの気遣いだろう。
「私の方が近いもの。問題ないわ」
「……そっか。ならお願いしようかな」
先程気を利かせて料理を盛って貰ったこともある。
その礼も兼ねて今度は自分がと彼から取り皿を受け取るものの、そこでクリスティーナの手ははたと止まる。
(こういう場合、どのように乗せるのが正解なのかしら)
クリスティーナへ差し迫った問題。それは料理の盛り付け方がわからないというものだ。
彼女はその身分の高さ故に自らが料理を取り分けると言った経験がなかった。
大抵は傍にいたリオが全て行ってくれていたし、普段の料理は複数人用に大皿に盛られたものではなく個々の為に用意されたフルコースだった。
当たり前と言えば当たり前なのだが、完璧な見栄えで用意された料理たちと自分達で取り分けるスタイルの料理では皿に盛られる量や見た目も随分と違う。
どの程度の量を乗せるのが普通であるのか、複数の惣菜を同じ皿に取り分けるとなると全く異なる味付けの物が混ざってしまうのではないか等次々と浮かぶ疑問。
それを解消すべく周囲の取り皿の様子を観察するものの、どれもこれも盛り付け方に共通点は見られず。量や盛り方の参考にはならない。
つまりは個々の好きに盛ればいい。それが答えなのだろう。
何の参考も得られなかったが、あまりにも常軌を逸した盛り方でなければ許されるはずだ。
そう考えたクリスティーナはまず手始めにレミが取ろうとしていた肉料理をいくつか取り皿へと移動させる。
「他には?」
「えっと……あ、じゃあそっちのも」
次にレミが指したのはサラダだ。
クリスティーナは了承したと小さく頷いてからサラダを取り分けることを試みる。
しかしそこで自分を待ち構える問題に気付いた。
(……取り辛いわ)
纏めて装おうとしてみるものの、その途中で形が崩れてしまう野菜たち。
何度か試してみたものの、結果は変わらず。
結局クリスティーナは一度に纏めて取り分けることは諦め、少しずつサラダを移すことにした。
しかし今度は皿に乗せられた野菜が上手く盛り付けられず、崩れ落ちてしまう。
形を整えた傍から転がるように崩れるサラダに苦戦し、思わず眉根を寄せたところで隣から笑いを吹き出す気配があった。
「失礼」
主人から顔を背け、肩を震わせているのは言い出しっぺのリオである。
更にその隣では彼と同様に肩を震わせているエリアスの姿まである。どうやら彼もまた、クリスティーナの様子を途中から窺っていたようだ。
不敬な護衛二人の様子を目の当たりにし、クリスティーナの眉間の皺は更に深く刻まれる。
主人を笑い者にする二人へと腹立たしさを募らせたクリスティーナは手始めに隣の従者の足を勢い良く踏みつけた。
「い゛っ……」
短い悲鳴と共に、笑いとは別の理由で肩を震わせることになった従者。
彼は爪先の痛みに呻きながら精一杯の不服を申し立てた。
「お行儀が悪いですよ、お嬢様……」
「何のことかしら」
平然と白を切るクリスティーナはリオの隣で自分は無関係であると言いたげに背筋を伸ばすエリアスの姿をも目敏くとらえる。
自分と同様に笑っていたリオが制裁を受けたのを見て危機感を覚えたのだろう。
しかし今更取り繕ったとて遅い。
「貴方達の首が明日まで繋がっているといいわね」
「ひぇ……っ」
クリスティーナは冷ややかにエリアスを睨みつけながら物騒な発言をする。
勿論冗談の類だが、少なくともクリスティーナが気を悪くしたことは伝わっただろう。今まで積み重ねてきた悪評の効果も相まってか、その言葉の威力は想像以上であったようだ。エリアスは青ざめたまま硬直した。
護衛二人への制裁を終えたことで漸くクリスティーナの気は済んだ。
一連の流れと物騒な空気を誤魔化すように咳払いを一つしてから何事もなかったかのように彼女はレミへと皿を差し出す。
「ごめんなさい、上手く出来なかったわ」
「い、いや……」
目を白黒とさせながら向かいに座る三人を順に見やるレミ。
彼は目の前に出された皿を受け取りながらも、その体勢を持続させたまま暫しの間呆けてしまう。
数秒程互いに見つめ合うような時間が発生したことで、自身の物騒な言動を不快に思われでもしたのだろうかとクリスティーナは勘繰ってしまう。
しかしそれも束の間。彼の口元が緩んだかと思えばそこから笑い声が溢れた。
「ふっ……ふふっ、はははっ!」
今度はクリスティーナが目を丸くする番だった。
おかしそうに腹を抱えて笑う青年の考えが読めずに瞬きを繰り返していると、レミが謝罪の意思を示すように片手を挙げた。しかし尚もその笑いが止まることはない。
「すまっ、すまない」
「……貴方まで私のことを馬鹿にするのかしら」
盛り付け一つ上手くいかなかっただけどこうも笑われるものだろうか。
不満げな言葉を漏らせばレミは溢れそうになった涙を指先で掬いながら首を横に振った。
「違うんだ。ただ……なんて言えばいいんだろ。想像してたよりもずっと、きみが普通だったから」
「不審がられるような振る舞いをしたつもりはないのだけれど」
「きみが何かしたという訳じゃないよ。ただぼく自身の問題と……。あとはほら、きみ達の魔力量は凄まじかったからどうしても身構えてしまっていたのもあって」
レミ自身の問題であるという部分は彼と関わりの浅いクリスティーナが理由を察するのは不可能だ。しかしクリスティーナやリオの魔力量が強大故にその人となりも常人とは異なるのではないかと一線引いてしまったという主張については納得のできるものであった。
どんなことであれ、常識の範囲からかけ離れた才を持つ者が遠い存在であるように感じることはクリスティーナにも経験があった。
彼らには見えている世界が違うのではという憶測や相手が自分を見る時の視線を気にして身構えてしまったりという経験。
それらのクリスティーナの記憶は全て兄であるセシルや姉であるアリシアが絡んでいる時のものだ。
(もしかしたら……)
人と違うものを持っていようと自分は大した者ではない。その精神は未熟であり出来ることに限界があることをクリスティーナは自覚していた。
ふと一つの考えと共に、家族の姿を思い浮かべる。
(お兄様やお姉様も、似たような思いを抱いたことがあったのかしら)
自分が彼らと同じ立場に立ってふと至る考え。
今となっては確かめる術もないが、もしいつか再開を果たしたのならば彼らを見る目も変わるかもしれないとクリスティーナは頭の片隅で思った。
「年相応な一面が見れて、いい意味で拍子抜けしたんだろうな。気を悪くしたなら謝るよ」
「……構わないわ」
クリスティーナは自身が感情表現を不得意としており、それ故に誤解されやすいことを理解している。
だからこそ誤解されることに慣れていたしそれを自ら解こうとすることも諦めていた。
故にレミの弁明は気分を害すものではなかった。
それどころか、彼の言葉はクリスティーナの常人と変わらない本質を認めてくれているような気がして、心が軽くなるような心地すらあったのだ。
だからクリスティーナは彼の謝罪に対しその必要はないと首を横に振ったのだった。