第八章プロローグ 聖国の聖女
大聖堂の中心にある礼拝堂。
千人は入るであろう大規模なその空間にある女神像の前に一人の少女が膝をつく。
白を基調とした生地に金と銀の刺繍をあしらった、彼女の修道女服。
彼女の服はこの大聖堂を行き交う他の修道女とは大きく異なっていた。
レース調のベールを頭に被り、顔を隠す彼女はその背丈から齢十――どれだけ高く見積もっても十五には至らない事がわかる。
その後方には神職の者や礼拝にやって来た一般市民、そして大きな怪我を抱えた者でひしめき合っている。
人々は像に祈りを捧げる少女に見惚れ、敬愛の眼差しを向ける。
やがて少女は恭しく下げていた頭を持ち上げ、ゆっくりと立ち上がる。
そして大勢の方へ振り返った彼女は穏やかに微笑んだ。
「おはようございます、皆さま。本日も皆さまに神のご加護がありますように」
女神像まで続く道を進み、人々のもとへ近づく少女はその中に紛れ、血を流す男性へ歩み寄る。
魔物に襲われたのか、顔にいくつもの爪痕を刻んだ男は最低限の応急処置だけを受けた状態で床に横たわっていた。
少女は彼の手を掬い上げると、自身の両手で包み込む。
「ど、どうか主人を……っ、主人をお救いください!」
傍についていた女性が涙を目に溜めながら懇願する。
少女は静かに頷きだけを返し、男に触れたまま祈祷の姿勢を取る。
するとかろうじて意識のあった男がハッと息を呑む。
みるみるうちに塞がる傷。その様子に人々は感嘆の息を漏らした。
やがて男の傷は完全に姿を消し、元から健康だったかのように綺麗な肌だけが残った。
「痛む場所はありませんか?」
「は……はい」
「ありがとうございます……っ、本当にありがとうございます――聖女様!」
「いいえ。全ては日々神へ尽くしているお二人の信仰心があったからこそ。……わたくしは神の御心に従ったに過ぎません」
聖女と呼ばれた少女はベールの下でくすりと笑う。
そして男性から離れると胸元に手を置いて再び声を掛ける。
「これからもあなた方に神のご加護があらんことを」
「傷が一つもなく……流石聖女様だ」
「日々市民に尽くし、私達の命をお救いくださる……なんて慈悲深い方なのでしょう」
人々の称賛が少女へ集まる中で、彼女は人々の治療にあたった。
***
大聖堂の立入禁止区域――選ばれた僅かな人間だけが出入りを許される廊下を少女は歩む。
両脇には神官と聖騎士が二人ずつ。
五人は一切会話をしないまま歩みを進める。
やがて大聖堂の本館を抜けた五人はその先に建つ長く細い塔へ向かう。
窓やバルコニーはなく、あるのは塔の上部の壁を切り抜いた鉄格子だけ。
「聖女様」
塔の重厚な扉を開ける神官に促され、聖女は中へ進む。
塔の中には吹き抜けの部屋が一つ。
酷く高い天井を持つ一室は絵本やぬいぐるみが散らばっている。
神官の一人が先導し、少女を部屋の中へと招く。
それに従って足を進める少女は突き当たりの壁までやって来た。
そこには埋め込まれた鎖が二本、床に垂れ下がっている。
神官はそれを掴むと少女に視線を向ける。
その視線の意図を知っている少女は静かに服の裾を持ち上げ、両足を出した。
長い裾から現れるのは両足首につけられた鉄の輪だ。
神官は躊躇せずその輪に鎖を取り付ける。
「お食事は後ほどお持ちします」
「はい」
「それと」
神官の話を聞きながら、鎖に繋がれた少女はベッドへ腰を下ろす。
そして部屋を出ていく神官を目で追う。
「この後より来客があります。暫くはこちらに滞在する事になるでしょう。聖女様が関わる機会はあまりないかもしれませんが……お手隙の時にご挨拶に伺っていただきます」
「来客……? わざわざお話に上がるという事は特別な方なんですね。わかりました」
「では、失礼します」
素直な返事を聞き届けてから、神官は残りの者達を連れてその場をあとにする。
鉄扉が閉まる音、そして鍵が掛かる音。
それを聞いてから少女は視線をベッドの上へと移す。
枕元に置いてあるのは熊のぬいぐるみだ。
一つ深く息を吐いた後、彼女は笑みを深めるとベッドへ――ぬいぐるみへ向かって飛び込んだ。
「ただいま! 今日も疲れちゃった」
ぬいぐるみを抱きしめ、顔を埋める。
少女はぬいぐるみに向かって、今日起きた出来事を嬉々として話し掛ける。
そしてふと来客の話を思い出した。
「お客さん、かぁ。……王子様みたいな人だったらいいなぁ。それかね、女の子でわたくしともお友達になってくれそうな子」
床に落ちた絵本がふと目に入り、少女は小さく笑う。
そしてふと、自分の視界が悪い事に気付き、彼女は頭の正面に掛かっていたベールを後ろへ回す。
あどけなさの残る顔。
長く、ふわふわとしている髪の桃色も、丸い瞳の紫も色素が薄く、どこか儚げな印象を見た者へ与える。
だが何よりも目を引くのは、白い肌を転々と覆う痣だった。
ただぶつけたにしては場所も形もやや違和感がある。
半分程度が黒く染まった顔を緩めて、彼女は微笑んだ。
その瞳に光はない。
鎖が擦れる音が部屋の中に響くのだった。




