第841話
屋敷の中で息を潜めていた集落の住人らは地面を埋め尽くす程の魔物の死骸に唖然とする。
だが遅れてやってくるのは安堵。危機がさったのだという実感。
それを身内と分かち合う人々が次に注意を向けたのは、クリスティーナの腕の中でぐったりとしているリオだった。
だがクリスティーナはすぐに気付く。
彼らがリオに向ける目は感謝や罪悪感とは程遠い――恐怖と嫌悪だった。
だからこそクリスティーナはすぐにこの場を離れるべくリオへ声を掛けようとする。
その時だった。
リオはクリスティーナに預けていた頭を離すと彼女の腕を強く引き、自分の腕の中にしっかりと閉じ込めた。
ガツ、とリオの顔に何かがぶつかる音がする。
クリスティーナは身をかためた。
嫌な予感がした。
「――化け物」
集団から声が聞こえる。
かたいものがぶつかる音が次々とリオを襲う。
蔑む声と、投げられた一つの石。
それを引き金に住人達の敵意は一気にリオへと向けられる。
「っ、リオ……!」
「問題ないですよ。……慣れてますから」
蟲を受けたのにいつまで経っても死なない。
致命傷を受けようが、何度も殺されようが立ち上がる彼をインセニクト僕らは罵倒し、攻撃した。
今のリオに敵意がなく、自分達が数で圧倒しているという実感があるからこそ、彼らは強くリオを攻撃をする。
「……お前ら、リオに助けられたんじゃねぇのかよ…………おいっ!!」
やや離れた場所でクリスティーナとリオを見守っていたエリアスは呆然と立ち尽くす。
だがすぐに我に返り、クリスティーナとリオの元へ駆け寄る。
だが投げられる石は彼一人で庇い切れる数ではない。
剣で強く弾けば住人に当たるかもしれない。そうなれば更なる敵意を引き出す可能性もあった。
加減した剣では投げられる石や物からリオを庇い切る事もできない。
「ッ、こんな事……ッ! 許されるわけがない!! 許される訳がないじゃない!!」
リオを苦しませたのは彼らだ。
そしてその事実がありながらも彼らを救ったのは、死体が一つも出なかったのもまた、彼のおかげである事は間違いがない。
であるにもかかわらず、住人は異端であるリオを恐れ、忌み、排除しようとする。
化け物と罵倒し、出て行けと繰り返す。
そんなのはあんまりだと、仲間の尊厳を踏み躙る彼らの態度にクリスティーナは激昂した。
腕の中に閉じ込められたまま彼女は声を荒げる。
だが悲痛な叫びは怒号に紛れて住人の耳に届かない。
リオはクリスティーナが腕の中から抜け出すのを阻むようにより強い力で彼女を抱きしめる。
「……いいんです、クリスティーナ様。大丈夫ですから……」
「大丈夫なわけ、ないでしょう……っ!? 貴方が怒らないなら、許すというのなら、私が――」
「……つかれました」
酷く優しい声が耳元から聞こえる。
ハッと息を呑むクリスティーナを宥めるように、穏やかな声は彼女に語り掛ける。
「すこし……ゆっくりしたいです。はやくやすみたいんです、あなたの、そばで」
かたいものが当たる度に言葉を詰まらせながら彼は話す。
カッと目頭が熱くなるのをクリスティーナは感じた。
今にも暴走してしまいそうな怒り。彼女の中に湧き上がっていたそれはリオの言葉で僅かに落ち着く。
「ええ……ええ、そうね……。ごめんなさい、リオ」
ここで憤ったところで事態は好転しない。
リオの体だってとっくの昔に限界だった。
ならば彼らが望むように、早々にこの場を去ればいい。
濃厚な血のにおいを感じながらクリスティーナ静かに唇を噛み締める。
早くリオに薬を飲ませて、彼を休ませてやりたかった。
少しなどと言わずゆっくりと甘やかしてやりたいと思った。
「行きましょう」
彼が成し遂げた事に比べれば随分と小さな望み。
クリスティーナはそれを叶えるべく、小さく頷く。
「……謝らないでください」
笑う気配がある。
腕の力が緩められ、解放される。
血だらけの彼が気の抜けるような穏やかな微笑を見せる。
「エリアス」
「っ、わかってる。……走れんのか、お前」
「問題ありません」
エリアスは石から守るようにクリスティーナを横抱きにする。
自分の代わりに傷を作るエリアスを見てクリスティーナは顔を歪める。
エリアスもまた、怒りによって顔を強く顰めていた。
「行きます。捕まってください」
「……ええ」
エリアスが先に走り出す。
その後ろに続く形でリオも走り出した。
途中、ルネの姿が視界の端に映る。
しかし住人の前で彼女は本気を出せない。
加えて後で始末する算段でも立てたのか、彼女は横目で睨みながらも静かにクリスティーナ達を見逃した。
だが三人がすれ違ったその瞬間だ。
ルネの頬を何かが素早く横切った。
それは彼女の頬に一筋の赤い傷を作る。
「――ッ!!」
それが誰の手によるものであるかをクリスティーナとエリアスは悟る。
目を見開き、傷に触れるルネを横目に三人はインセニクト族に追い払われるような形で道を駆け抜けた。
集落を出る道の先、矢が飛んだ方角から走る少年の姿が見える。
「ギー!」
それを視界に捉えたエリアスは彼の名前を呼ぶのだった。




