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悪女と名高い聖女には従者の生首が良く似合う  作者: 千秋 颯
第七章―芸術の国・ルーディック――エンフェスト山脈 『蟲の集落』
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第839話

 集落へ攻め込む魔物の流れは止まっている。

 あとは精々二、三十程度。

 だが手負いの人間が一人で背負うにはあまりに多い数だ。


 それをリオは一人で請け負っていた。


 自身の出血、そして返り血で全身を赤く濡らした彼の目の焦点は合っていない。

 手元から武器は消え、素手で魔物と渡り合う彼からは普段の理性的な一面が消えていた。

 その戦い方はあまりに激しく、荒々しい獣のようだ。


 魔物を蹴り付ける。殴り付ける。

 体を貫通して魔物に風穴が空く。

 吹き飛ばされた勢いのまま木へ激突し、内臓が潰れて飛び散る。


 魔物がリオへと襲い掛かる。

 彼は避けない。

 片腕が飛ぶ。片目が潰され、美しい顔に深い傷が生まれる。

 切り付けられた首から多量の血が噴き出す。

 裂かれた腹から臓物が溢れる。


 だが彼は笑っていた。


「……ハハハッ! アハハハハハハハハハハハハァッ!!」


 酷く歪な笑みを引っ提げ、彼は高らかに笑う。

 日頃の品性の欠片もない、興奮した声。

 ゲラゲラと笑いながら、彼は魔物を叩きのめしていく。


 足取りも体幹もフラフラと覚束ない。

 目は虚だ。だが眼光だけは鋭く、生物の気配に反応して眼球が動いていた。


(……正気じゃねぇ)


 クリスティーナのあとを追いながらエリアスは思う。

 彼が思い出すのは迷宮『エシェル』脱出後に二人で話した時の事だ。


 

 ――貴方が言った、俺の激情……戦いを好む気持ちというのは確かに存在します。


 彼は生命を蹂躙する事に快楽を覚え、それを望む本能がある事を認めた。

 であるならば、今のこの状況は過酷な身体の状態に耐えきれなかった彼が精神的に追い込まれてしまった結果なのではないか。

 苦痛によって理性が削り取られ、その本能とやらだけが強く残った結果なのではないか。


 彼が正気でない事から、エリアスはそんな予測を立てる。


 ならば――このままクリスティーナを彼へ近づけるべきではないのではないか?


 普段のリオならばクリスティーナを害する事など絶対にないだろう。

 だが今の彼は明らかに正気ではない。

 今の彼ならば誤ってクリスティーナを手にかけてしまう可能性だってあるとエリアスは考えた。


(……どうする?)


 リオは信頼できる仲間だ。

 だが彼の秘めた心の底に激しい衝動が潜んでいる事をエリアスは知っている。

 そしてエリアスが第一に優先しなければならないのはクリスティーナの無事だ。


 万が一にも彼女が命を落とす事があってはならない。


「ッ、クリス様」

「エリアス……ッ、何をするの」


 これ以上近づけばリオの注意が自分達へ向けられる。

 その手前まで差し掛かったクリスティーナの腕をエリアスは掴んだ。


「これ以上は危険です! 今のあいつは明らかに正気じゃない……っ」

「リオが私に何かする訳がないわ」

「っ、だとしてもです! オレはクリス様の安全を第一に考えないといけない」

「離しなさい、エリアス」

「できません!」

「――命令よ!」


 クリスティーナが声を荒げる。

 その覇気に気圧されたエリアスの手の力が緩む。

 それをクリスティーナは見逃さなかった。


 クリスティーナはエリアスの手を振り払うと彼に背を向けて走り出す。


「クリス様!」


 エリアス制止を振り切り、クリスティーナはリオへと近づく。

 その時、丁度残りの魔物を倒し切った彼の顔がクリスティーナへ向けられる。


「っ、クソ……!」


(――どうする!? 手加減して押さえ込める相手じゃねぇ……っ! 一度あいつを殺すしか――)


 エリアスはクリスティーナの前に出るべく剣を握りしめながら腰を落とす。

 だがその時、両足が動かない事に気付いた。


「っ、な……!」


 遅れて感じるのは冷ややかな感覚。

 視線を落としたエリアスは自身の両足が氷によって固められている事に気付いた。


「そこで見てなさい」

「っ、クリス様ッ!!」


 クリスティーナへ向いた彼の体がゆらりと揺れる。

 ――刹那。

 彼の姿が消えた。


 否。凄まじい速さで生存者――クリスティーナへ向かって走り出したのだ。

 その距離はすぐに埋められる。


 魔物の肉を抉り、骨を砕く手が彼女の眼前に伸ばされる。


「クリス様――――ッ!!」

「リオ」


 エリアスが主人の名を叫ぶ。

 それを背に、クリスティーナは一切の怯えを見せず自身の顔を隠すフードを取っ払った。


 空色の瞳がリオを真っ直ぐと映す。

 彼の名前を呼ぶ声は酷く柔らかかった。


 その顔に指先が触れる――

 ――その直前でピタリとリオの動きは止まる。


 彼は静かに目を見開いた。

 赤い瞳がクリスティーナだけを真っ直ぐに映す。


 動きを止めたリオを見てクリスティーナは優しく微笑んだ。

 彼女は両手をリオへと伸ばす。


 その体をそっと包み込み、彼の後頭部を宥めるように撫でる。


「くり、す……てぃーな、さま…………?」

「ええ、リオ。……戻ってきたわ、ちゃんと」


 がくりとリオの体から力が抜ける。

 膝から崩れ落ちた彼の頭を抱き寄せ、胸の中で何度も撫でる。


「クリスティーナ様」

「何?」


 それに甘えるように頭を預けた彼は掠れた声で囁く。


「俺は……ご期待に、添えましたか」


 クリスティーナの両目がゆっくりと大きく開かれる。

 彼女はリオに気付かれないよう、強く唇を噛み締めて込み上げる感情を抑え込む。

 リオを抱く力を強めながらクリスティーナは笑って取り繕う。


「…………ええ、期待通りよ」


 よかった、と安堵する声が弱々しく返されたのだった。

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