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悪女と名高い聖女には従者の生首が良く似合う  作者: 千秋 颯
第七章―芸術の国・ルーディック――エンフェスト山脈 『蟲の集落』

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第827話

「いいの?」

「ん。全然動けますし」


 彼が負った傷は全て塞がり、薄い痣のような痕だけが残っている。

 怪我が大きすぎただけに、傷を消すまでにはより時間を要する上、完全に消し切れるかも定かではない。

 痛みもなく、動きも支障がない。傷が残った以外は何の問題もないまでに回復したエリアスは傷を消す事に時間を掛けるくらいならギーを回復してやり、早々に氷龍を倒すべきだとクリスティーナを説得した。


「てかバカ寒いです」

「こんなとこで半裸になるのはバカのする事だぞ、マジで」

「ごめんなさい」


 傷の様子を見る為に半裸になっていたエリアスにクリスティーナは服を着るよう促す。

 既に傷だらけであった彼の体は先の怪我によって更に痛々しさが増している。


 服を着るエリアスの背にクリスティーナは静かに触れる。


「クリス様?」

「……無理な話だとわかってはいるけれど。あまり無理はしないで頂戴」


 仲間を失うかも知れないという焦りや恐怖。先程のような思いはできる事ならもうしたくない。

 ノアを失った時のようなどうしようもない消失感や悲しみは尚更。


 祈るように、労わるように大きな背中を優しく撫でる。


「んー、確かに難しいですね」

「わかってるわよ」

「でも、頑張りますよ。クリス様を悲しませたいわけじゃないですし。……体張る要因はもういますしね、滅茶苦茶な奴が」

「……そんなもの、一人だっていらないわよ」


 エリアスの治療が終わったクリスティーナは溜息を吐いた。

 そして彼の傍に転がっていた剣に自身の手を翳す。


 すると、みるみるうちに刃の断面から失った刃が生成される。


「お」

「何もないよりはマシでしょう」

「クリス様の魔法ならそうそう折れる気もしないですよ。ありがとうございます」


 クリスティーナに差し出された剣をエリアスは受け取る。

 普段握る剣とは重さが全く違う。

 エリアスはクリスティーナ達から距離を取ると少しでも手に馴染むようにと剣を振るい始めた。

 その動きにぎこちなさはなく、彼の傷が完全に塞がったらしい事を見ている側にも確信させた。


 クリスティーナは次いでギーの潰れた脚に触れる。

 彼の反応を窺うも、ギーは拒絶する素振りを見せない。


「私は貴方を治してあげられるけれど得体の知れない力に頼りたくないというなら無理強いはしないわよ」

「今更敵意剥き出すわけねーだろ。頼むって」

「そう」


 短い相槌を返し、クリスティーナは魔法でギーの脚を修復していく。

 淡く温かな光に包まれたギーは回復の途中で肩を跳ね上げた。


「平気よ。きちんと治してあげるわ」

「いや…………おう」


 何かを言いかけたギーへ視線を向けるも彼は眉間に皺を刻んだまま何でもないと首を横に振る。

 脚が治るまでの間、ギーは何も言わなかった。

 クリスティーナもまた何かを言う余裕を失い、何かに耐えるようにかたく目を閉じる。


 やがてギーの脚を包む光が収束するとクリスティーナは彼から手を離した。

 彼女は彼の頭に手を預けてからすぐに立ち上がる。


「んだよ」

「…………何でもないわ。――エリアス」

「お、はい」

「行きましょう」


 ギーから目を逸らしたまま、クリスティーナはエリアスの隣に並ぶ。

 エリアスは頷きを返すとギーへ声を投げかける。


「ギー、そっちは頼んだぞ」

「っ、お、おう」


 その声に応えるように、ギーは素早く立ち上がる。

 そして矢筒の中から矢を三本取り出した。


「クリス様」


 エリアスがクリスティーナの前にしゃがみ込む。

 乗れという合図だ。

 クリスティーナは唾を呑んでから頷き、彼の背に乗る。


「失敗したらただじゃ置かないわ」

「だいじょーぶですって! 大船に乗ったつもりでいてください! ――行きますよ」


 次の瞬間、エリアスはクリスティーナを背負ったまま氷壁の外へと飛び出す。

 そして大きく回り込みながら氷龍の背後へと距離を詰めたのだった。


 雪煙の中、遠ざかる二人の姿をギーはぼんやりと見送る。

 彼は矢筒へと視線を落とすと、苦く顔を歪めた。


 だが物思いに耽りそうになる彼の意識を龍の無差別的な攻撃が現実へと引き戻す。

 飛び込んできた氷塊を半身で避けたギーは気持ちを切り替えるように大きく首を横に振る。


(今はこっちに集中しろ……!)


 ギーは遅れてエリアス達とは反対方向へと走り出したのだった。




 脚を潰され、後方の様子を確認する術を失った氷龍。

 大回りをする事で背後への接近は悟られず、エリアスは再び氷龍の尾へと近づく。


 怒りと痛みから地面を激しく叩くそれは地面に積もる雪を宙へと弾き飛ばしている。

 振り回された尾に激突するだけでも致命傷だろう事を悟らせるその激しい動きにクリスティーナは焦りを滲ませた。


「ねぇ、本当に行くの?」

「ったり前です、よ――っ、今だ!」


 尾が再び地面に叩きつけられた瞬間、エリアスは真っ直ぐそこへ近づく。

 そして迷う事なく剣を突き立てる。


 刹那、咆哮が上がる。

 痛みを訴えるようなその声は正面でギーが何らかの攻撃を成功させた証拠であった。


 刹那、エリアスが剣を突き立てた尾が弾かれたように宙へ振り上げられる。


 最高点に達した時、その勢いに負けた剣は尾から抜け、エリアスとクリスティーナは凄まじい速度で宙へ放り出される。


「あ、やべ」

「う、うそ……」


 当初の予定では一度目と同様、剣と尻尾の角度を上手く使って着地する予定であったが、それは失敗に終わる。

 落下速度を抑えるような支えもないままに二人は急降下した。


 想定外、それも命の危機に瀕しているというのに緊張感のない声を出す騎士。

 それに文句を言う余裕もなく、クリスティーナは間違いなくこれまで生きてきた中で一番大きく情けない悲鳴を上げたのだった。

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