第824話
「いいか。生憎とこの世には運とかいう不条理なものが付きまとっている。勿論戦でもそうだ」
剣を携えた一人の女性がエリアスに言う。
橙色の明るい髪を一つに纏めてた彼女は両手で二本目の剣を持ちながら続けた。
「残念ながら、お前は戦においては何かと引きが悪い。運に頼るならきっとすぐ死ぬだろう」
「ウッ」
「他は寧ろ良い方なんだがなぁ」
彼女と遊びでやった賭け事などは寧ろ他者よりも成功体験が多かった。
その運の良さが戦にも適用されたならもっと気楽だっただろうと女性は言う。
「ま、そもそもそんなものに頼るなという話ではあるんだが。……アンタ、運ってのが何だか知ってるか?」
「自分じゃどうしようもないところで決まるものだろ?」
「んじゃ、それをどうしようもないところで決めさせない為の方法は知ってるか?」
「……頑張る、しかないだろ」
「ブッ、ハハハッ!!」
難しい顔をしながら子供のように抽象的な言葉を吐くエリアスに女性は笑う。
エリアスは不服そうに眉根を寄せながら彼女の返答を待った。
「拗ねんなよ。別に間違っちゃいない」
女性は未だ肩を震わせながら笑いを堪えきれていない。
何とか立て直そうと咳払いを繰り返した彼女は持っていた剣を片手で持ち直し、空いた手で自身の胸を指し示す。
「運ってのは確かにどうしようもないようなもんだ。だが、それだけじゃあない。導き出される結果から、運の比率を低める……運による避けられない不条理を避ける方法ならある」
勿論絶対ではないが、それでも相当な確率でそれを可能にするだろうと彼女は断言した。
「実力だ。戦の技術と知識、そして強い精神。それを磨けば磨く程、不運に振り回されることは無くなる」
「オレ、別に間違ってないじゃねーかよ」
「だからそう言っただろ? 実際お前はこの前の大会でも初戦で優勝候補と当たりながらも相手を圧倒してみせた。無名で結果もなかったお前が優勝を手にしたのだってくじ運が関係ないくらいの力を身につけていたからだろ」
女性は徐にエリアスへ近づくと彼の頭を力強く掴む。
そしてぐしゃぐしゃと乱暴に髪を掻き乱した。
「うお、ちょっ」
「……忘れんなよ。ただがむしゃらにする努力程無駄の多いものはない。自分に足りないものを見極め、最短で高みまで引き上げる事を考えて鍛え続けるんだ。そうしてついてきたものはお前を決して裏切りはしない」
女性は満足するとエリアスから手を離す。
そして一歩後退すると持っていた剣をエリアスへ差し出した。
「修羅の道をいくお前への餞別だ。扱い慣れるまではちったぁ掛かるだろうが、慣れれば心強い味方になってくれるはずだ」
「……師匠」
差し出された剣を見つめていると、更に近くまでそれを押しつけられる。
早く受け取れと急かされたエリアスはそれを丁寧に受け取った。
重い。そして片手剣の中でも特に大きい型だった。
確かに扱いが難しそうな得物だった。だがそれを選んだのには彼女なりの理由があり――よく知る弟子の事を考え、悩み、選んでくれたのだろうという事がわかった。
「ありがとう、ございました」
エリアスは彼女へ深く頭を下げたのだった。
***
――皇国騎士。
イニティウム皇国に於ける彼らの存在や功績は民へ輝かしさという印象を植え付ける。
だが裏では過酷な任務で命を落とす者も少なくない、死と隣り合わせの毎日を過ごしているのが実情だった。
イニティウム皇国は東大陸でも屈指の国土を持つ。
大国であるからこそ、国の全域に於いて平穏を維持しようとすれば相応の労力が掛かる。
また国土の一部には獰猛な魔物が潜む地もあったが故、皇国騎士や皇国魔導師の仕事は尽きなかった。
そして危険な任務を熟し続ける中で失われる命も少なくはなかった。
高い志と優しい心を持つ仲間が次々とこの世を去る。
守りたいものはどんどん増えるが、その殆どは結局手元に残らなかった。
大切なものを奪われない為に力を欲したにもかかわらず、結局のところは伸ばした手が届く事の方が少なかった。
足りない。
どれだけ賞賛されようと、認められようと。
まだ足りないのだ。
炎を扱う龍――炎龍討伐の遠征も多くの仲間を失った。
親友でもあった戦友は龍に踏み潰され、面倒見の良かった上官は埃のように容易く弾き飛ばされた。
一度は撤退を余儀なくされた。
そして二度目の戦でも、撤退命令が出る。
だが戦が長引く事でこれ以上多くの犠牲が出る事が、知人をまた失う事が許せなくて、エリアスは周囲の制止を振り切って龍に剣を振るった。
正直この時の事は自分が生きる事、そして戦いを終わらせる事に必死であまり覚えてはいない。
暴れ回る龍の翼は魔導師によって折られ、飛ぶ事ができない敵の背に何とか乗り込んで致命傷を与えた。
龍に大きな一撃を与えるまでの間、灼熱が何度もエリアスへ襲いかかった。
しかし腹を括り、ただ龍を討ち取ることだけに躍起になった彼がその炎で傷を負う事はなかった。
炎の海を渡り歩く彼の剣は持ち主が生み出した炎と龍の炎、どちらもを吸収して実態のない刃を継ぎ足した。
後衛からの援護で鱗を剥がされ、急所を剥き出しにされた龍。
そこへ自身の持つ全てを叩き込み、その戦いは幕を閉じたのだった。




