第823話
剣が使えなくなった瞬間に居合わせたのは初めてではない。
戦い続ければそんな場面に居合わせる事だってある。元々剣の筋が良かったエリアスにとってその経験は多くはなく、また騎士団にいた頃は自分の失敗を補ってくれる味方もいた。
戦闘の最中に武器を失う事で大きく動揺したのは迷宮『エシェル』でベルフェゴールと戦った時だった。
動揺によって命の危機へ直結した事自身の弱み。
それを理解するきっかけはあの時得た。
だからこそ同じ轍は踏むまいと彼はあの人の事を常に考えてきた。
武器を手放しても、壊れても戦い抜ける精神を得る。その為に戦い方の引き出しを増やす。
あの時自分に必要なものを知り、具体的な対策を考え抜いてきたからこそエリアスの体はすぐに動き出した。
(武器がない状態で氷龍と対抗する策は浮かばねぇ。なら一度距離をとって時間を稼ぐ)
瞬時に対応できないならば体制を立て直す為にすぐ退くべきだと判断した彼は動揺を振り払い、氷龍の背の外へと足を踏み出す。
彼は落下しながらも折れた剣を氷龍の脚へ突き立て、少しでも勢いを殺そうとした。
徐々に速度を上げて落ちる体。
しかし落下は途中で止まる。
突如として彼の死角から飛び出した氷の鎖が彼の体に巻きつき、そのまま龍から引き離したのだった。
「うおっ」
龍の棲家の端まで引き寄せられたエリアスの体はそこでピタリと動きを止める。
同時に温かな光がエリアスを包み込み、彼の麻痺した聴力を回復させていく。
充分に周りの声が届くようになった時、宙に浮く鎖に巻きつかれたまま足を浮かせる彼の傍で呆れと怒りの混じったような声が聞こえた。
「私が何もしなければどうするつもりだったの」
「い、いやぁ……」
クリスティーナが咎めるようにエリアスを睨みつけていた。
「即死はしないかなって思って」
「命知らずにも程があるわ」
落下死も充分に考え得る高さから飛び降りたエリアスを一括し、クリスティーナは彼を地面へと下ろす。
「というか、そんな使い方できたんですね」
「適性を持つ属性のものなら浮かせたり移動させたりはできる。……こういう使い方の可能性を見つけ出せたのはきっと、同じ属性の魔法を扱う魔導師を見たからね」
生成した氷の鎖を張ったり、緩めたりと自在に操っていた国家魔導師の男をクリスティーナは思い出す。
今まで戦闘で使っていなかったのは自分の魔法の腕で氷の鎖を上手く扱い切れるのかに自信がなかったからだ。
練習する暇もなく空想としてしか存在していなかった案をこんな形で無理矢理引き出すことになるとはクリスティーナも考えていなかった。
「成功してよかったわ」
「いや、ぶっつけ本番でこんだけ出来れば充分じゃないですよ」
「どっかの誰かが無茶をしなければこんな風に余計な心労を抱く必要もなかったのだけれど」
「うっ、それはすみません……でも助かりました」
クリスティーナは魔法でエリアスの傷を癒す。
爛れた皮膚が修復されていく最中、クリスティーナの視線は折れた剣へと向けられた。
「貴方、剣が……」
「はい、折れました。まぁ散々無茶させて、ここまでもっただけでもすごい方なんですけど……タイミングが最悪すぎましたね」
エリアスもまた、握っていた柄へ視線を落とす。
小さな溜息が溢れた。
「それと回復魔法ですけど、範囲が広すぎると氷龍の傷まで塞いでしまうみたいで」
「……回復の対象を選ぶような制御はまだできないみたいね」
「まあその辺は追々上手くなってけばいいんですよ。ただ、現状を踏まえた上で一つお願いしたい事があって――」
エリアスが何かを言いかける。
だが次の瞬間、氷龍の方向と共に二人の頭へ氷塊が落下した。
二人の頭上だけではない。
二、三人を纏めて押し潰すほどの大きさの氷塊が百を超える数をもって空を覆っていた。
「っ、クリス様!」
自分達へ真っ直ぐ迫る氷塊を避けるべくエリアスはクリスティーナを突き飛ばす。
二人の間へ氷が落下し、粉々に飛び散った。
「ッ、アイスシールド!」
クリスティーナは更に落ちてくる氷塊が落下自分とエリアスを守る為、氷の壁を頭上に展開する。
だが二人の近くにはギーがいない。
エリアスの助力の為、クリスティーナの傍を離れて雪原を走っていたギーは二人から離れた位置にいた。
更に次々と落ちる氷や、飛び散る破片のせいで視界は悪く、彼の姿をすぐに見つける事がクリスティーナにはできなかった。
だが、次の瞬間。
クリスティーナの視界からエリアスが消える。
「っ、エリアス!」
エリアスが消えた方角を慌ててみやれば、彼は氷の障壁から飛び出し、ある方角へと向かって走っていた。
落ちる氷塊を次々と避けて向かう先には座り込んだまま動けずにいるギーの姿がある。
彼は片足が運悪く氷塊に巻き込まれたらしく、身動きが取れなくなっていた。
押し潰された足を引きずり、顔を強張らせるギー。
その姿が勝手の戦場で失った仲間の姿と重なり、エリアスは歯を食いしばった。
(届け)
そこへ、別の氷塊がギーの頭へと迫る。
やけにゆっくりに感じる時間の中で、エリアスは懸命に手を伸ばした。
何の為の力か。
何の為に強さを追い求めてきたのか。
その解が結果と結び付かなければ意味はないと心が叫ぶ。
「エリアス――」
迫る巨大な影。
その下に滑り込んだエリアスはギーの腕を掴む。
そしてホッと息を吐いた。
「っぶねぇなぁ、全く!」
屈託のない笑顔を浮かべたエリアスはギーの腕を強く引くと、影の外へと押し出した。
氷塊の命中範囲から転がり出た彼を視界の端で確認したエリアスは目と鼻の先まで迫った氷塊を見上げ、折れた剣を構える。
(オレは戦に関しての運はあんまねぇけどさ)
死ねないと頭の奥から声が聞こえる。
その感情に従うまま、エリアスは折れた剣を振り上げた。
(たまには起きてくれたっていいんじゃねーか? ……『奇跡』ってやつ)
氷塊に呑まれる。
そんな彼の姿はほんの一瞬、淡い光を帯びていた。




