第821話
尾の先が宙高くへ持ち上がる。
その高さが最高点へ達した瞬間、エリアスはかたく突き刺さった剣を掴んだまま尾を強く蹴り付ける。
その力を受けた刃は尾から外れ、エリアスの体を支えるものはなくなる。
だが彼は落下の最中に剣先を尾に突き立て、鱗を引っ掛けながら重力を受ける。
元々弧を描くような形をしていた尾を利用して垂直落下を防ぎながら滑り降り、その勢いは剣先が殺す。
尾を上手く活用して滑り降りた彼はそのまま氷龍の背に着地した。
「い、イカれてる……」
遠目に彼の無事を確認したギーが掠れた声で言うが、これにはクリスティーナも無言で同意するほかない。
下手をすれば、どころの騒ぎではない。
本来ならば死んでいるような環境をさも当然のように掻い潜るエリアスの感覚は二人にとって信じられないものであった。
だがいつまでもそれを見上げているわけにもいかない。そんな焦りが二人の中に生まれ始めていた。
「クソ、矢が通りそうな場所が少なすぎる」
龍の背を駆けるエリアスを見守りながらギーは顔を顰める。
「外から狙えるとこなんて殆ど鱗で覆われてるし狙うならあそこしかねぇ……けど、暴れてる間はキツイか。矢の本数にも限りがあるし」
「矢くらいなら最悪作れるわ。武器の数で出し惜しみをしているなら気にしないで頂戴」
「作るって、とうやって――」
ギーの問いに答えるようにクリスティーナは手中に氷の矢を生成する。
「そういう事か。……にしても便利だな、おれいらねぇだろ」
「魔法で幾つもの武器を同時に飛ばす事だって出来るけれど、その精度は腕を磨いた戦士なんかとは比べ物にならないわ」
ギーは横目で氷の矢を見ると視線を再び氷龍へと戻す。
エリアスを助ける機を狙っているのだ。
生成した矢を消滅させたクリスティーナもまた、同じように龍の上で戦うエリアスを見る。
しかし仲間の活躍をただ見守るだけで終わるわけにはいかない。
最前線で戦う仲間の助力となる手段をクリスティーナは懸命に探していた。
「ところで貴方の先程の話……。機さえ得ればあの龍まで矢を飛ばせるという事?」
「おう。人の腕力だけならむずいだろうけど――そういう時の為の魔法だろ?」
魔力を多く持つ魔導師ならば人が振るう武器よりも圧倒的な威力の攻撃を繰り出せる。
例え魔力に恵まれず、強大な魔法を放てない者であっても、使い方によっては術者本人の身体能力の限界を超えるような結果を導き出す事だって可能だ。
「……貴方の魔法適性は風だったわね」
仮小屋で氷龍討伐の作戦を話し合っていた時、ギーは自身の得意な事と魔法適性についてクリスティーナ達へ伝えていた。
龍までの距離は明らかに弓矢の射程を越えている。だがそこへ矢を届かせる事ができるとギーは断言した。
そこからクリスティーナは彼がどのようにしてそれを可能にするのか、その具体的な方法を推測する。
(風を上手く扱えれば確かに射程を広げることはできるかもしれない……けれど。それには精密な魔法の技術が必要になるはず)
視界の端に映るギーに不安の色はない。
弓の腕、そしてそれを底上げする魔法には余程自信があるのだろう。
彼が本当にそれ程の腕前を持つのであれば機さえ捉えれば流れを好転させることもできるかもしれない。
クリスティーナはそう思った。
二人の視線の先、氷龍の背を駆けるエリアスは首元まで距離を詰めると剣を振るう。
何撃か攻撃を繰り広げた彼はしかし、決定打となる大きな一撃を放つよりも先、その場から大きく後退する。
宙で形成された氷塊、そして龍が自ら剥がした鱗がエリアスのいた場所へと降り注いだのだ。
後退してそれを避ける彼はしかし、全ての攻撃を避ける事はできず、死角から放たれた氷柱に横腹を抉られる。
「……っ!」
(おかしいわ。いつもなら完全に後ろを取られる事なんて殆どない)
彼の被弾は回避行動が間に合わなかったという理由ではない。そもそも気付いた様子がなかった。
だが常に周囲の気配を警戒しているであろう彼が全く反応を示さない攻撃などクリスティーナは初めて見た。
クリスティーナは息を鋭く呑み、エリアスを見守る。
続く攻撃にも剣を使って対応するエリアスだが、やはり後方からの攻撃だけは反応が鈍い。
「耳か」
ギーが低く呟く。
そこでクリスティーナもエリアスの不調の原因に思い至った。
「アイツ、さっきの龍の声で耳やられてるんじゃねーか!?」
「……っ、あり得るわ。少なくとも本調子ではない」
クリスティーナは深く息を吐く。
気持ちを落ち着かせながら杖を強く握りしめる。
「おい、何する気だよ」
「こういう時に役に立つのが私の仕事よ」
クリスティーナは浅くない傷を負いながらも好機を窺い、攻撃を避け続けるエリアスを視界に収める。
そして多量の魔力を杖に込めた。
エリアスの姿は豆粒のように見えるほど遠い。彼に魔法を届けるとなれば魔力の消費は激しいだろう。
だがそんな状況でも魔法を出し惜しみしないで済む体を持つ者こそが聖女だ。
ここで魔力を惜しむ必要はない。
「受け取りなさい」
刹那、眩い光が杖の先から放たれる。
それは真っ直ぐエリアスを捉え、彼の体を包み込んだのだった。




