第819話
龍は賢く、感覚が鋭い。故に木々に隠れながらの接近は難しかった。
龍の姿だけでも前もって確認ができたならばそれに越した事はなかったのだが、どこでクリスティーナ達の存在に勘づくか、そして攻撃を始めるのかがわからない分、下手に障害物を使って接近する事は寧ろ危険とも言えた。
龍の攻撃は簡単な木々を薙ぎ倒す。
潜伏している間にそんなものに巻き込まれでもしたら倒木に巻き込まれ、押し潰されてしまう可能性があった。
だからこそエリアスは先陣を切って前進し、誰よりも先に龍との接触を試みる。
戦の経験ならば人よりも積んでいる彼は、全貌のわからない敵と対峙する事にも慣れていた。
また龍の注意を後衛側に向けないようにする上でもこの選択は有効であった。
具体的な大きさや形状がわからない状態で龍を相手取るというのは非常に困難ではあったが、同時にこれが最善だとエリアスは踏んでいた。
視界が開けた事で遮られていた光が目に飛び込む。
初動が遅れないよう、瞬きを耐えたままエリアスは己が対峙すべき相手を視界に収める。
「――な」
思わず漏れた声。
それは想定外の光景に対する驚きであった。
だが多少の動揺はあれど、それが彼の動きや判断力を鈍らせる理由にはならない。
彼は自身と同じ動線上にクリスティーナとギーが被らないよう、即座に走り出す。
空間の境界を辿るように走る彼を二つの大きな目玉が捉えた。
刹那、先を尖らせた氷塊が驚異的な質量を保有したまま目にも留まらぬ速さでエリアスへ向かう。
その数、約三十。
凄まじい速度を持つ氷塊は空を裂くが、その音は鼓膜を破らんとする程の大きな咆哮によって掻き消される。
エリアスは耳への負担に顔を顰めながら限界まで身を屈める。
その間も足は止めず、クリスティーナやギーとは違う方向へ、可能な限り距離を取った。
そんな彼の頭上を氷塊が掠め、その先にある無数の木々を雪煙と共に薙ぎ倒した。
倒れた木々が宙を跳ねるという、いっそ笑ってしまいそうな程非現実的で、恐ろしい光景が彼の後方に生まれた。
雪煙が立て続けに巻き起こる。
それはエリアスと、遅れて木々を抜けたクリスティーナ、ギーを飲み込んだ。
やがて風が止み、視界が晴れた時。
三人の視線の先には巨大な魔物の姿があった。
太い二本の脚で立ち、残りの二本の脚は体を支えるも、人の腕のように振り回すも可能とする形状を取っている。
透き通った透明な鱗に身を包み、爬虫類を彷彿とさせる姿をしているそれはしかし、体長は二階建ての建物を二つ重ねてあまりある程。
そしてその巨体を宙に持ち上げる事ができる程大きく頑丈な翼がその魔物からは生えていた。
――だが、それは当初クリスティーナ達が想定していた龍の姿とは異なっていた。
龍の翼が一つしか存在していない。
龍の背には左翼がついていなかったのだ。
時に神聖なものとして扱われる事もある生物としてはあまりに歪な姿。
そしてそれが元来の氷龍の姿ではない証拠が龍の足元に残っていた。
低温の中腐敗も進まず凍った翼。
それは氷龍の右翼と対となる形をしていた。
***
「龍を倒すためのざっくりとした過程ですけど、まず龍の翼を使えなくします。空中戦に持ち込まれるとオレには武が悪すぎますから」
「さらっととんでもねぇ事言うな…….できるのかよ、そんな事」
「どうだろうなぁ。前はお国の力終結させて落としたから。ま、なんとかするしかねーよ。で、次が後ろ脚の腱をどっちか斬る」
「動き回れなくすると言うことね」
「そーゆー事です。ここまですればだいぶ勝率も上がります。……とはいえ、それでも五分にすらなりませんが」
昨晩の事。食事を摂り終えた三人は眠る前に翌日の戦闘について話し合っていた。
龍の戦い方について話すエリアスはその最中に髪を雑に掻き上げる。
過去の激戦を思い出したらしい彼は苦い顔つきになった。
「……改めて聞くとマジで厳しいんだな」
「お、やめるか?」
「や、やめねぇし……!」
揶揄うようにエリアスが口を挟めば、ギーが不満気に口を尖らせる。
予想通りの反応にエリアスは苦笑する。彼は顎をなぞりながら考えを巡らせた。
「まあ、全く不利ってワケでもないですよ。オレはそこそこドラゴンについては知ってますし、事前知識と対策を知ってるだけである程度動きやすくはなります」
エリアスは龍に関する自身の経験や知識を惜しみなくクリスティーナ達へ打ち明けたのだった。
***
(既に片翼ねーじゃんか……っ!)
翼を一枚失った氷龍を見たエリアスは予定が狂った事を感じる裏で何故という疑問を抱く。
だがすぐに彼は気持ちを切り替える。
(いや、好都合だろ。今考えるべきは氷龍を倒す方法であって手負いの理由を探す事じゃねぇ)
氷龍が翼を失っているのならば次に狙うのは腱だ。
後衛のクリスティーナとギーが龍の棲家へ辿り着いた事を確認したエリアスは空間の端を辿るように走っていた足を漂流へと向ける。
そして一直線にその巨体へと距離を詰めるのだった。




