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悪女と名高い聖女には従者の生首が良く似合う  作者: 千秋 颯
第七章―芸術の国・ルーディック――エンフェスト山脈 『蟲の集落』

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第814話

 部屋へ戻ったクロードは戸の先に残る人の気配に木を配る。

 彼らは部屋の近くでまだ何か話しているようであった。


「もう四日は経っているだろう」

「ええ。……まだ生きているというの? 今の蟲なら二日生きていれば長い方だというのに……信じられないわ》

「あいつも赤目だ。忌み子と同じように何か呪われている可能性だってあるんじゃないか」

「だとしたら、尚更このまま生かしておくわけにはいかない。ルネ様に考え直していただくよう提言しないと」


 二人の声が徐々に遠のいていく。

 彼らは『気味が悪い』『恐ろしい』などと口にしながらその場から立ち去った。


 部屋の周囲から人の気配が消えた事を確信した直後、クロードは必死に押さえ込んでいた咳や血を同時に吐き出す。

 激しく咽せた彼はゆっくり呼吸を整えるよう心掛けながらその場に座り込んだ。


(僕が弱ってるところを目の当たりにすれば彼らがどう出てくるかわからないからね。……気を付けないと)


 時間を掛けて息を落ち着かせるも、体の重さは残り続ける。

 その時だった。

 ベッドから一つの視線を感じる。


 弾かれるように顔を上げたクロードは自身へ向けられる赤い瞳を見つける。

 否。よくよく観察すれば彼の目の焦点は合っていない。


 クロードを通して何か別のものを見ているかのような不安定さが瞳の動きから見てとれた。


「リオ、意識が……」


 先程まで悶え苦しむ事しかできなかった彼が意志を持って何かを瞳に映している。

 ならばとクロードは重い体を持ち上げ、リオの傍へ近づいた。


 例え無駄であったとしても、少しでも彼を安心させてやれるような事をしたいと思った。

 彼の視界に自分の姿を映す事で、仲間の存在を伝える事でこの場が安心できる場所であるとクロードは感じさせてやりたかった。


 しかしクロードがリオへ距離を詰めた直後、息も絶え絶えであった彼の体がびくりと跳ねた。


 血に塗れた薄い唇が震えを伴いながら微かに動く。

 掠れた悲鳴の隙間で確かな言葉が紡がれる。


「……わ」

「リオ? 僕だ、大丈夫だよ」


 虚な瞳は光を取り戻さない。

 彼は自身にしか見えない何かを見つめたまま再び呟く。


「わ、わらわ……な、で」


 拙い言葉。

 しかし彼が伝えようとした言葉を理解したその時、どうしてだかクロードは全身に冷水を浴びたような悪寒を覚えた。


 ――『笑わないで』。


 勿論この場で彼を笑うような者はいない。

 仮に嘲笑を浴びせられたとして、普段の彼ならば一切気にもしないだろう。

 だが今の彼は何かを見ながら弱々しい懇願を更に口にする。


「わらわないで、わら、わな……くださ……ごめ、わらわな……ごめんなさい、ごめ、なさ、ごめ」


 繰り返される懇願と謝罪。

 いつ途切れてもおかしくない呼吸の中で絞り出される言葉達はあまりに痛々しかった。


「っ、リオ……ッ」


 クロードは彼に手を伸ばす。

 震える体を必死に、強く抱きしめる。

 そして子供をあやすように背中を撫で続けた。


「大丈夫、大丈夫だよ。誰も君を笑ったりなんてする訳ない。君を傷つけたりしない」


 クロードの耳元で、壊れた蓄音機のように同じ言葉だけが繰り返される。

 しかしそれは十分と経たないうちにぴたりと止み、リオの体から突如として力が失われる。


 何度目かの死の体験を積んだのか、それとも純粋に気を失ったのか、その判別はできない。

 クロードはリオの体を静かに寝かし直してやり、汗と血で塗れたその顔を布で拭ってやる。


 幾分か綺麗になった彼の顔を見つめながらクロードは深く項垂れるのだった。



***



 真っ暗な空間に自分は佇んでいる。

 何の音もしない。何の気配もしない。

 何もない。


 この空間を見てすぐに、これは現実ではないのだろうと確信する。

 それさえわかれば、動じる必要もない。


 氷城の時と異なり、意識を失う直前の事もしっかり覚えていた。

 自身の状況も理解している。魔法による眠りでないのならば目が覚めるのを待てばいい。


 そう考え、一つ溜息を吐く。

 その時だった。

 視界の端で小さな子供の姿が横切る。


 咄嗟に振り向いた。

 目が合う。

 黄色の瞳がこちらを見ていた。


 黄色の瞳、そして黒い髪を持つ幼い少年がすぐ近くから自分を見上げていた。


 少年は不思議そうに自分を見上げる。

 大きな瞳で何度か瞬きをした後、子供はゆっくりと口を開いた。


「だれ?」


 それは長年聞き慣れた言語ではない。

 しかし何故かその言葉の意味を自分は瞬間的に理解できた。


 名前は自分から名乗るのが礼儀というものだと諭しながらも、子供の問いに答えて名乗ってやる。

 しかし少年は不満そうに首を横に振った。


「ちがう。ここはおれのばしょだよ。どうしてきみがいるの」


 彼の言いたい事がいまいち分からない。

 何故と言われても、と口にする。


 しかし次の瞬間に溢れたのは寸前まで考えていた言葉ではなかった。


「違う。俺のものだ」


 何故か強い否定を覚えた。

 否定せずにはいられない衝動に駆られた。

 少年は未だ不思議そうに目を瞬かせている。

 何を知らないようなその様子が、無性に腹立たしかった。


「だってお前は――」


 突如、少年が一歩距離を詰めた。小さな手が伸ばされる。

 驚き、咄嗟にそれを振り払う。


 少年は体勢を崩して後ろに倒れ込む。

 そして彼が足場に手をつこうとしたその時――

 ――その姿は闇の中に掻き消された。


 一瞬の出来事に唖然とする。

 その場に訪れるのは数分前までの静寂だ。


 珍しく抱いた不愉快な心の動き。

 それは深呼吸を繰り返すうちに徐々に薄れ――

 ――やがて、何も起きていなかったかのような落ち着きを取り戻した。


 自分の身に起きた事……誰かと話していたことなど綺麗さっぱり忘れて。

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