第86話 魔導師の性
三人はリオを凝視する。
その強い視線に苦笑を返しながら、彼は持ち歩いていた革袋の中から小さな宝石箱を取り出す。
「お嬢様がこちらを落とされた後、一度部屋まで送り届けた後に回収しておいたのです」
アレットの机に小箱が置かれる。
その蓋をリオは丁寧な手つきで持ち上げる。
中に入っていたのは派手過ぎないが品のあるブレスレット。クリスティーナが肌身離さず着けてきたそれに間違いなかった。
それは鎖が千切れていて腕に通す役割を果たすことは出来なさそうだが、千切れてしまった箇所以外に目立った傷はない。埋め込まれた石も美しさを保ったままだ。
「手直しを施してからお返ししようと思っていたのですが……。お話する機会を見つけられず、すみませんでした」
「貴方、いつの間に……」
「これを落とした日、お疲れだったお嬢様を送り届けた後に回収していました。大切なものだという事は存じ上げていたので」
どうやらクリスティーナがブレスレットを探しに行くよりも先にリオが動いていたようだ。
ブレスレットの所在が分かり、自分の手元へ戻ってきたことにクリスティーナは安堵する。
一方で拾った直後に一言くれても良かったのではという気持ちも生まれ、少々不満気に従者を見やれば彼は困ったように眉を下げた。
「あの夜以降、お嬢様は俺と顔を合わせることを避けていらっしゃっるように見えましたから。お嬢様が俺との対話を望んでいない間はこちらから話題を振るのも避けた方が良いのではと思っていたのです」
「それは……」
反論しようと口を開くが、当時のことを思い返せば言い返せる言葉もなくなってしまう。
回復魔法を使ったクリスティーナの手柄をアリシアのものだと主張する従者。その思惑がわからず不安に思っていた期間、クリスティーナは確かにリオと目が合うことを避けていた。
仮に普段と変わらない態度で声を掛けられたとしても、機嫌を取られているような浅はかな言動であると感じ取り、余計に機嫌を悪くしていたかもしれない。
更にリオに対する疑念が晴れた直後には暗殺未遂事件による謹慎処分を受け、以降も慌ただしく時間だけが過ぎていった。
それらを考慮すればリオが話す機会を見つけられなかったのも仕方のないことであるように思えた。
「……私の落ち度ね。気を遣わせていたのなら謝るわ」
「いいえ。俺の方こそお話しできず申し訳ありませんでした」
クリスティーナとリオの間に行き違いがあったとはいえ、これは嬉しい誤算でもある。
二人が互いに謝罪を交わしたところでアレットが机の引き出しから拡大鏡を取り出した。
「拝見しても?」
「構わないわ」
アレットは手袋を嵌めた手でブレスレットを優しく救い上げる。
そして拡大鏡を挟みながら慎重に観察を始めた。
他の三名はそれを見守り、彼女の邪魔をしないようにと誰もが口を閉ざす。
訪れた沈黙の中、どこかに飾られているのだろう時計だけが音を立てて張りを刻んでいた。
「……ははっ」
五分程の時を経たところでアレットは口角を上げる。
その顔には好奇心と困惑、そして畏怖が同時に刻まれていた。
「なるほどな。よもや現代にこれほどの手練れがいるとは」
「それって、そのブレスレットがすごい代物って事?」
「見た方が早い。お前が今後も魔術を学ぶのならば良い経験になるだろう」
興味津々という言葉を顔に書いているかの如くそわそわとし始めるノアに対し、アレットは手招きをする。
自分も触れていいかと問うような視線が向けられた為、クリスティーナは小さく頷きを返した。
それを確認してからノアはブレスレットと拡大鏡をアレットから受け取り、観察を始める。
「うわっ、気持ち悪っ!」
人の装飾品を間近で確認した彼の第一声はまさかの侮辱であったわけだが。
「う、うわーっ……え? 何? どうなってんのこれ。すご……」
うわ言のようにブレスレットのあちこちを観察するノアは最早クリスティーナ達のことなど見えてはいなさそうだ。
上から、横から、下からと忙しなく頭を動かして様々な角度から彼はブレスレットを眺めている。
新しい玩具を得た子供のようにはしゃぐその様子に小さく息を吐いてからアレットはクリスティーナ達へ向き直った。
「あれは放っておいていい。暫くは落ち着かないだろう」
「知ってるわ」
迷宮『エシェル』での彼のはしゃぎっぷりを思い出しながらクリスティーナもまた息を吐く。
独り言を大量に漏らす見習い魔導師を無視し、アレットは自身の得た情報を共有する。
「まず、君の推測は正しいと見ていいだろう。あれは魔力制御を促す魔導具だ。どこから入手したのかは知らんが、非常に凝った式を用いて作られている。……君の魔力を抑え込める程にな」
どこから入手したのか、というアレットの疑問にはクリスティーナも答えることが出来ない。
自分にわかることは母からもらった物であるというだけ。更にそれを確認したくとも既に彼女は逝去している。確かめる術はない。
「廃れゆく魔法技術をこうも巧妙に扱える者がまだ実在するとは。可能ならば一度お目に掛かりたいものだがな」
最先端の魔法の技術と知識を誇る国で、更にトップクラスの実力を秘めているだろう魔術師ですら絶賛する程の代物。
その貴重さ且つ絶大な効力を秘めた装飾品。それがどのように生まれ、発見されてクリスティーナの元までやってきたのかはわからないが、その偉大さ故に聖女の魔力量を隠し、守り続けてくれていたのだろう。
「あの鎖の一つ一つに複雑且つ難解な式が敷き詰められている。その上非常に精巧な魔晶石が嵌めこまれている。それに含まれた魔力は滅多なことでは尽きないはずだ」
アレットの言葉から鎖の部品一つ一つに極細微な文字が描かれている様をクリスティーナは想像する。
なるほど、とクリスティーナは一人納得をする。自分の想像通りなのであればノアが真っ先に気持ち悪いと評したことについて合点がいく。
「あの鎖が切れた前後で魔力消費の大きな魔法を使った覚えは?」
クリスティーナは少しだけ考えを巡らせる。
普段使用している氷魔法とは別物の聖魔法……。しかしそれがどれだけ魔力を費やす者であるのかは現時点で把握が難しい。
だが、当時覚えた倦怠感などから少なくはない魔力を消費したことは間違いないはずだ。
「確かに魔法は使ったわ」
「ならば決まりだな。ほんの一時の間に魔力量が大きく変化し、その負荷に腕輪が耐え切れなかった。これが損傷の理由だろう」
ノア程わかりやすいわけではない。しかし自身を上回る知識と技術を目の当たりにしたアレットもまた、活き活きとしているように見えた。
「私がこれを一から作ろうとすれば途方もない時間を費やすことになるだろう。しかし鎖の破損部程度であれば私の腕を以てしても修復は可能なはずだ」
魔導師というのは皆同じような性質を持つのだろうか。それとも弟子が師に似ただけなのだろうか。
そんな疑問は現時点のクリスティーナでは解明できない範疇にあったが、自身の魔法の腕に対する自信と熱意、そこから感じ取れる心強さは本物であると物語っていた。
「後一日、私にくれないか。そうすれば完全な姿を取り戻してみせよう」
フードの下で、幼い顔が目を光らせていた。