第812話
少しの間気まずい空気が流れるも、エリアス自身があまりにもあっけらかんとしている事やギーが気分屋である事もあって、気が付けば雑談をするような空気にまで戻っていた。
「忌み……クロードはおっさんだろ。ババア達の話を聞く感じ」
「おっさ……いや、確かにオレらよりだいぶ上だけど、年齢的にもまだおっさんではないだろ」
(本人はそう呼ばれても全然気にしなさそうだけれど)
元々あどけなさを感じさせる容姿である事も相まって、おっさんという言葉はクロードとあまりにも結びつかない。
クリスティーナとエリアスはクロードの姿を思い浮かべながら複雑な感情を抱いた。
「で、お前は?」
「話す必要もないでしょう」
「ずっと顔隠してるせいで、見た目も何もわかんねぇんだもんよ。気になるに決まってんだろ」
ルネに正体が割れている以上、今更フードを被り続ける必要もないのだが、心を許していない相手に敢えて素顔を晒す必要もない。
そんな理由からクリスティーナは集落の中ではフードを被り続けていた。
そしてそれは今とて同じだ。
ギーの好奇心を満たす為だけにフードを取りたいとも思えず、クリスティーナは小さな溜息の後に彼の問いにだけ答えてやる事にした。
「十六よ」
「へぇ。んじゃ二個上か」
「え?」
「……誰と?」
クリスティーナは怪訝に思い、エリアスは意外な返答が気になり、ギーを見つめる。
すると彼は目を丸くしながら自分を指した。
「おれに決まってんだろ」
「嘘よ」
「そんなしょーもねー嘘つくわけねーだろ?」
ギーの身長は既に成人男性の平均のやや手前程度まであり、体格も一見しただけでわかる程に筋肉がつき、鍛えられた者のそれである。
精々ある程度の成長が見込める十六以上――とても十四歳の少年には見えないというのがクリスティーナとエリアス双方の感想であった。
クリスティーナはすぐに嘘を疑うが、生憎ギーが嘘を吐いているようには見えない。
「よっぽど鍛えてるんだなぁ」
「んぁ? 鍛えてるっつーか、おれらは狩猟メインで生活してるからなぁ。自分よりでっけぇ獲物とか倒しまくってたらこうなってた」
「……確かに、この辺で生活してりゃ嫌でも体動かす事にはなるかぁ」
エリアスが感嘆の息を吐く。
彼から褒められる事が少し誇らしいのか、ギーは満更でもなさそうに少しにやけてみせる。
「てか、まだ縄外してくんねぇのかよ」
「無理に決まっているでしょう」
「剣なら赤髪には負けるかもしんねーけど、弓なら力になれると思うぜ」
「んー、後衛が増えるっつーのは正直嬉しいんだけどなぁ。流石に難しいな」
「ちぇ」
縄を解く交渉に乗り出すギーだったが、クリスティーナとエリアスに首を横に振られればすぐに引き下がる。
その後も三人は他愛もない話をしながら食事を終えた。
そして寝支度を整えた後、クリスティーナとギーはエリアスの見張りのもと、眠りにつくのだった。
***
引き攣ったような悲鳴でクロードの意識は浮上する。
咽せ返るような血の臭いが鼻をつき、意識が急速に浮上する。
クリスティーナ達を部屋で見送り、体調が少し安定し始めたのを確認してから彼は隣の部屋――リオのいる部屋へ移動した。
出来る事は何もないが、せめて気休めでもと彼の汚れた体を定期的に拭ってやったり、声を掛けてやっているうちに気が付けば夜が明けていた。
日が昇ったところまでは記憶があるが、それは途中で途切れている。
恐らく疲労などから浅い眠りに落ちていたのだろうと結論付け、クロードは預けていたベッドの淵から背を離し、リオへ向き直る。
ベッドの上に置かれた枕や布団は既にリオによって引き裂かれ、中に詰められていた綿が溢れている。
その上でリオはうつ伏せになったままぴくりとも動かない。
彼の身に何があったのかを悟ったクロードは顔を歪めた。
それも束の間、何の前触れもなく再びリオの体は大きく跳ねる。
困惑の混じった悲鳴や喘ぎ声が搾り出され、彼の体は再び終わりの見えない苦痛を味わう事になる。
クロードが傍につくようになってから、リオはもう何度生と死を繰り返している。
一度で終わるような苦しみを一身に受けるリオ。自分を庇って苦しむ彼にしてやれる事は何もなく、クロードは熱くなる瞳のかたく閉じ、歯を食いしばった。
(今の僕にはリオにしてあげられる事がない。……けど)
ふと、部屋へ近づく気配にクロードは気付く。
彼は戸を静かに見据えた。
(リオが望む事――皆んなの為に出来る事はまだある)
戸がノックされる。
「はい」
「お食事をお持ちいたしました」
短い返事をすれば戸の先から声がする。
クロードは戸を開け、その先に立つ者の姿を確認する。
料理を盆に乗せた女性が一人、その後ろには屈強そうな男性が一人立っている。
彼女らは開かれた戸から見える凄惨な光景と、漂う濃厚な血の香りに顔色を悪くした。
(僕の目よりも先に反応するっていうのは……この人達にとっても相当酷い状態なんだろうな)
彼らが顔を歪めた事には気付かないふりをして、クロードは首を横に振る。
「必要ないよ。僕は自分の分は用意できるし、彼は……見ての通り、食事が摂れるような状態ではない」
責めるような口調に聞こえたのか、女性が顔を強張らせる。
クロードは廊下へ出て彼女の前に立つと後ろ手に戸を閉めた。
「けど……丁度よかった。いくつか聞きたい事はあったんだ」
クロードは上っ面だけの笑顔を顔に貼り付けたのだった。




