第810話
クリスティーナ達が屋敷の玄関へ辿り着いた時、そこには既にルネや屋敷の者の姿があった。
「おはようございます」
「おはよう」
「クロードは?」
「リオについているわ」
「……そうですか」
ルネの問いに答えながら、クリスティーナはギーに顔を向ける。
フードに隠された彼女の表情を確認する事はできないが自分が見られている理由にギーは気付いている。
余計な事は言うなという無言の圧力に従うように、ギーはクロードの不調について敢えて言及する事を避けた。
「ギー」
「ん」
ルネはいくつかの荷物を持ってギーへと近づく。
彼を縄で繋いでいるエリアスの顔をルネは覗き込む。
「これを預けてもいいかしら」
「おう」
ルネが差し出したのは矢筒と弓、そしてクリスティーナ達と対峙した際に用いていたものによく似た短剣だ。
ギーへ渡すより先に矢筒の中を全てひっくり返し、鏃や短剣の刃を確認する。
矢筒は竹によく似た素材の植物を使ったものに皮状の紐を取り付けたものだ。
内側には赤い布が貼り付けられ、筒の隙間がきちんと塞がれている仕様になっている。
矢や短剣自体には何の仕掛けもないようであったが、念の為にとエリアスは懐から紋章の刻まれたブローチを取り出す。
鎖で繋いだそれは銀で作られた、レディング邸の騎士団という身分を示す証。
刻まれた紋章が他の者の目に届かぬよう気を遣いながら、彼は鏃や刃全てにその紋章を触れ合わせた。
「何してんだ?」
「毒がついてねぇか確認してんの」
「そんなのわかるのか!?」
「確かに、銀製のものであればある程度の毒は見分ける事ができますね」
「おう。けど別にそれっぽい反応もねぇな。これ以上はなんかあってもお手上げだ」
ルネの説明に頷きながらエリアスは荷物を纏め直し、ギーに備え付けてやる。
「因みに、毒は案外簡単に野外で採取することができます。もし疑いが晴れないようであれば、移動の最中はその点にも気を配ってギーを見てあげてください」
「……そりゃ、ご忠告どーも」
「勝手にしねーよ! んな事!」
「勝手に?」
「龍を倒すんだろ。なら、それが有力な手段だって事もある。だから使わねぇって断言はできねぇ……けど、キチンと事前に話すぜ」
「そんな事させないわよ」
「あーそーかよ」
いまいち言葉の裏を汲むことが出来ないルネにエリアスは作り笑いを引き攣らせる。
その傍ではクリスティーナとギーが口論手前の会話を繰り広げており、幸先がいいとは世辞にも言えなさそうである。
「じゃ、そろそろ行くぞ」
「ギー」
これ以上居心地の悪い空気が深まらないようにと、エリアスは出立を促す。
するとルネがギーへと距離を詰めた。
エリアスはそれに気付いてすぐに動いたがルネがギーへ触れるのは彼が念の為にと制止の声を掛けるよりも先の出来事だった。
彼女は手を自身の両手で包み込み、祈るような仕草をする。
「どうか気を付けて」
「わーってるって。ちゃんとルネの役に立って来るからよ、少しは気ぃ抜いて待ってろよ」
「ええ。期待しているわ」
ただ家族が別れを惜しんでいるだけの会話。
それでももしかしたらと勘繰ってしまうのはルネの正体がわかっているからこそであった。
(流石に気にしすぎなのかしら)
自分の感覚がおかしいのかという考えが僅かに過り、エリアスを見る。
そして彼の眉間に寄る皺に気付くとクリスティーナはすぐに自分の考えが決しておかしくはないと思い直した。
エリアスは非常に優秀な騎士だ。
一般人の動きに彼が遅れる事はない。
という事はつまり、今のルネは一般人の行動としては不自然な程素早く動いたか、もしくは気配を消し切ったか――とにかく、エリアスの感覚を騙してまでギーとの接触を図ったという事であった。
(……これよりも前に彼は魔法を掛けられていたと思うけれど。気にしすぎだとしても頭の片隅で覚えておくに越したことはないわ)
ルネとギーは数上会話を交わした後、すぐに離れた。
「私達が用いるソリと専用の家畜を用意させました。それを使えば最短の時間で山頂まで辿り着くことができるはずです」
「使わせてもらうわ。どうもありがとう」
「いいえ。……結局、何のお力にもなれず申し訳ありません」
彼女の謝罪に許しを述べるつもりは毛頭ない。
クリスティーナは後ろにエリアスとギーを引き連れて、屋敷をあとにするのだった。
雪山の急斜面をドドドドという音が走る。
雪に覆われた地面を高速で踏み締める、雪山にしか生息しない生物。
「バッッッ、バカバカバカ走らせすぎだバカヤロォ!!」
「はっっっやすぎだろ何だこれ! 何だこれ!」
「お前騎士なんじゃねーのかよ!!」
「馬と勝手違いすぎんだろ……! ギャアアアぶつかる!!」
羊のような見た目に六つの脚を持つ家畜にソリを引かせながらそれに乗った一行――主にエリアスとギーは大きすぎる悲鳴を上げる。
木々の隙間を練って走り抜けるソリは何度も木の幹の正面を陣取り、その度にソリの体を掠めるようにほんの少しの余裕もない避け方をする。
手綱を握ったまま情けなく悲鳴を上げるエリアスと、全く役に立たない手綱捌きに恐怖し、縄に縛られたまま何とか手綱の空いている箇所を握りしめるギー。
彼らの慌ただしさを見つめながら、道中で命を落としてもおかしくはないのかもしれないとクリスティーナは真剣に命の危機を覚えたのだった。




