第809話
「無理です……っ!!」
そう叫びながら床へ崩れ落ちたのは、数分前にギーを連れて客室へ戻ったエリアスだった。
クリスティーナとクロードは目を丸くして互いに顔を見合わせる。
「これは少し想定外だったな。戦う事に関してなら君が異を唱える事もないと思ってたよ」
「限度ってものがあるだろ!?」
「一度倒したんでしょ?」
「オレ一人の力じゃないですよ! あれだって偶然が重なって勝てただけですし」
「マジかよ」
エリアスと共に話を聞かされたギーもまた唖然として大きく口を開けていたが、龍を倒した事があるという点について否定しないエリアスの言葉に気付くと引いたような冷たい目を当人向けた。
「なら、やめる?」
クリスティーナが短く問う。
灰色の瞳が鋭く光った。
仲間を救える可能性、そして大役を任されているという信頼。
情けなく言葉を溢しながらも、騎士としての誇りを持つ彼の答えが決まっている事をクリスティーナは知っていた。
「行きますよ」
クロードが満足そうに微笑む。
クリスティーナも小さな頷きを返した。
「……でも責任デカすぎて胃に穴が空きそうです」
「格好つかないなぁ」
「エリアスだもの」
覚悟を決め、真剣な面持ちで頷いたのも束の間。
エリアスが情けなく半泣きになり、クリスティーナとクロードは肩を竦めた。
「悪いけど、そういう事だから。君には巻き込まれてもらうよ」
「構わねーよ。……ルネがそれでいいっつったんだろ。ならおれがお前達についていってもいいと思えるような何かがあいつの中にあるって事だ」
「信頼してるんだね」
「ったりめーだろ。家族なんだから」
ギーの真っ直ぐな瞳を受けて、クロードは苦く笑う。
龍へ近づくという事に恐怖はあれど、それを拒絶するつもりはないらしい。ルネに対する絶対的な信頼が彼の恐怖心を抑え込んでいるようであった。
「お前らがおれの無事を守る為の人質で、おれはお前らの無事を守る為の人質って感じだろ。これならおれもお前らの気分だけで殺されたりしねーだろうし、妥当なんじゃねーの」
「酷いなぁ。君を本気で殺そうと思った事なんてまだないよ。君達は別だったかもしれないけどね?」
「マジで嫌味な奴だな……」
クロードの取り繕うような上っ面だけの笑みにギーはげんなりとする。
その後、クリスティーナとエリアスは雪山に詳しいクロードやギーの意見を聞きつつ明日以降の計画を練る。
夜更けまで掛かった話し合いをなんとか纏め、四人は眠りにつくのだった。
翌朝、ルネに遣わされた案内人がやって来た頃。
クリスティーナ達は荷物を纏めて退室の支度を済ませる。
しかし支度を終えてもクロードだけは身を起こした場所からなかなか立ち上がろうとしなかった。
「クロード?」
「ごめん、少しだけ待ってね」
集落を離れる訳ではないクロードは特段身支度をする必要もないはずだった。
戸の前に立っていたクリスティーナは一抹の不安を覚え、クロードの傍へ近づく。
そして彼の顔を覗き込みながら、自分を見るよう促すように頬に触れた。
青白い顔がクリスティーナを見る。
何も聞かずとも彼の体調が芳しくない事などよくわかった。
「クロード、貴方」
「昨日少し無茶をしたからね……。大丈夫、少し休んでるだけだから……見送りには行くよ」
「無茶って……お前まさかまた」
「今の僕はこういうところでしか、役に立てないでしょ。実際昨日だってそのおかげで手掛かりを掴めたんだしね、後悔はしてないよ」
エリアスも遅れてクロードの傍へ寄り、彼の様子を窺う。
熱はなさそうであったが、呼吸があまり安定しておらず、焦点が合い辛いようで時折視線が彷徨っている。
これが一時的なものなのか、慢性的に続くものなのかの判別はつかない。
だがクロードをこのまま無理に見送りに連れ出す――見送りに顔を出すルネと鉢合わせれば彼は必ず一度魔法を使おうとするだろう事をクリスティーナとエリアスは悟っていた。
ギーに万が一の際の戦う術を与えたいと話したルネの裏には何か考えがあるはずだ。
それを悟っているからこそ、そしてそれが明らかとなればクリスティーナやエリアスの負担が大きく減るからこそ、クロードはその選択を躊躇わないだろう。
だがその結果失う命がどれほどのものなのか。
残される時間がどれほどあるのか。
弱っているクロードの姿にクリスティーナとエリアスは不安を覚える。
やがてエリアスは深く息を吐いた。
「バァカ」
コツンとクロードの額を拳で軽く小突く。
「お前にばっか頼らなくたってどうとでもなるんだぞ、オレらだって」
不思議そうに丸くした金色の瞳をエリアスは覗き込む。
彼はドンと胸を叩いた。
「オレらを信じろ。なんたって、一度龍を殺した男だってついてんだからさ」
「……昨日はあんなに怖がってたじゃん」
「ウッッッ、あ、あれは武者震いだろ!」
「武者震いで両膝から崩れ落ちたり床に這ったりするなんて、それはそれで無様ね」
「く、クリス様!?」
「やっぱり格好つかないなぁ」
恥ずかしそうに顔を赤くする仲間を見てクロードはくすくすと笑う。
暫し迷うように瞬きを繰り返した彼だったが、やがてクリスティーナとエリアスの真剣な眼差しに負けたようにゆっくりと頷いた。
「…………うん、わかったよ。僕は君達を信じているからね」
二人は満足そうに頷く。
それを愛おしそうに見つめながらクロードは優しくはにかんだ。
「いってらっしゃい。気を付けてね」
「ええ」
「おう!」




