第792話
「どうして急に……」
「寧ろここまで平気そうにしてた事の方が異常なんだ。蟲なんて実はいねぇんじゃねーかって思うくらいだったんだからよ」
「クソ……ッ、なんか方法ねーのかよ。せめて楽にしてやる方法とかさ」
「鎮痛作用のある薬草ならアレットさんから貰ったものがいくつかあるけど……正直今のリオにどこまで効果があるかは」
内臓が焼かれるような痛みと発熱によって鈍った思考を抱えながらリオは閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げる。
見覚えのない部屋の中、仲間とギーが視界の端で何やら話し合っていた。
深刻さを孕む彼女達の声に耳を傾けながら深く息を吐く。
その気配に気付いたのだろう。
四人の視線が一斉にリオへ向けられた。
「「「リオ……!」」」
「……大袈裟ですよ。俺が血を吐いて倒れるのだって今に始まった事じゃないでしょう?」
「それは……いや否定しねぇけど」
「初耳だよその話……。僕みたいな事言わないでよ」
「いや冷静に考えて、半数が血吐きまくるのに動じないパーティーってどうなってんだよ」
エリアス、クロード、ギーがそれぞれ口を開き、クリスティーナはベッドの脇でリオの顔色を確認している。
彼女達から心配と訝しむような視線を向けられながらリオはベッドの上で体を起こした。
「って、おい、寝てろよ馬鹿」
「馬鹿はどう考えてもエリアスの方だと思いますが」
「んな……っ、お前なぁ、人が心配してるってのに!」
「寧ろまだ動ける内に急ぐべきでしょう。今の内に今後について話しておくべきです」
「ならせめて、少しでも傷を治しましょう。見えていないだけで貴方の体はずっとボロボロのはずだから」
「必要ありません」
クリスティーナの気遣いをリオはばっさりと切り捨てる。
日頃より語気が鋭くなってしまったのは、平然を装いながらも体調にあまり余裕がないからであった。
彼の態度の変化を感じたクリスティーナは面食らう。
しかし自身に向けられた言葉に怯んだのは一瞬の事で、すぐに彼女はリオの手を掴んだ。
「……っ!」
パチン、と軽い音が部屋に響く。
伸ばされた手をリオが拒絶した音だ。
手を弾かれた事に驚いたクリスティーナは唖然としてリオを見つめる。
「どうして?」
「意味がないからです」
「……蟲を殺す事ができなくても、傷を塞ぐ事ならできるでしょう。根本的な解決にならずとも、貴方を少し楽にするくらいなら――」
「それが余計なお世話だと言っているんです」
「ちょっ、リオ……!」
主人に献身的であり、肯定的な姿を見せる事が多いリオ。
そんな彼が主人に対して厳しい言葉を掛ける事が一切なかった訳ではない。だがそういう時は決まって可能な限り相手を気遣い、柔らかい物腰や遠回しな言葉遣いをしていた。
しかしそれが今のリオにはない。
彼が鋭い言葉でクリスティーナを拒絶する瞬間は、ここまで共に旅をしてきたエリアスですら初めて目の当たりにするものであった。
彼を宥めるようにエリアスが声を掛ける。
だがリオは己の態度を改めるつもりがないようであった。
「俺はクリス様のお力添えがなくとも自身で傷を塞げます。それに貴女の魔法が重宝すべきものである事は自覚しているはず。……根本的な解決にならない事に魔力を浪費する事はあまりに愚策です」
部屋に沈黙が訪れる。
クリスティーナは呼吸を震わせながらリオを見据えた。
「貴方は誰よりも私の事をわかっているけれど、私はそうではない」
やがて長い溜息と共にクリスティーナは言葉を紡ぐ。
怒りか悲しみか。その声は僅かに震えていた。
「貴方の考えている事全てがわかる訳ではないわ。……けれど」
クリスティーナはゆっくりと立ち上がるともう一度リオの手に触れる。
触れられた手は拒絶しようと僅かに震えたが、魔法を使う意図ではない事に気が付くとそこから力が抜けた。
クリスティーナはその手を自身の頬へ触れさせる。
その拍子にフードが少しずれ、彼女の素顔がリオの視界に晒された。
「貴方の次に、貴方の事がわかるのは私だわ」
彼女の顔に浮かんだ笑顔は眉根が寄せられ、どこか苦しそうだった。
強がるように無理に笑った彼女はリオの手の感触を感じてから彼の頭を抱き寄せる。
それ以上は何も言葉にはしない。
クリスティーナはリオを自分の腕に閉じ込め、彼の存在を暫く噛み締めてからその手を放す。
「行きましょう、エリアス。私はお邪魔みたいだから」
「えっ、あっ! はい」
そしてリオから背を向けるとエリアスを従えてクリスティーナは戸へ向かう。
「リオからは僕が話を聞いておくよ。後で擦り合わせよう」
背中から投げられたクロードの声に耳を傾けながらもクリスティーナは返事をしない。
彼女はそのまま廊下へ出る。
その後を追うエリアスは一度だけ仲間を気に掛けるように振り返ったが、その視線に気付いたリオはいつもと変わらない、腹の底が見えない笑みを貼り付けていた。
微笑む彼に見送られながらエリアスも部屋を後にする。
後ろ手に戸を閉めるエリアス。
その背中を見送り、戸が完全に閉められてからクロードはリオへ声を掛けた。
「……らしくないね。普段の君なら好きにさせてやるだろうに」
「これだけは譲れないですね」
「君は……――」
クロードの声が酷く遠くから響くような感覚をリオは覚える。
別れ際のクリスティーナの顔を瞼の裏に映しながらリオは自嘲じみた笑みを浮かべる。
「…………隠しきれ、なかったですかね……」
自身に掛けられた布団を両手でかたく握りしめる。
その上に次々と血が零れ落ちた。
「ッ、リオ……!」
「あ゛っ、あぁ……っ、ぐ、ぅ……っ」
全身の痛みに耐え切れず、体を折り曲げて身を縮める彼が吐血の間に喘ぐ。
緊張した全身が痛みを拒絶するように痙攣し、耐え切れない悲鳴が掠れた声で絞り出された。
気持ちが少しでも楽になるようにとクロードがリオを抱きしめ、背中を優しく撫でる。
「っ、クリス、さまには……」
「わかってる、言わないよ。言わないから……」
「……みっともな、ですからね…………」
リオは力無く笑い、小さく呟いたのだった。




