第780話
エマは初めて見た雪にはしゃぐ。
雪玉を作った彼女はやがてエリアスやクロードと投げ合い始めた。
モーリスはその輪の傍に屈むと足元に積もる雪に優しく触れる。
柔らかい感触を想定していた彼の指に冷たさが伝わる。
ひとつまみ分の雪が彼の手の中で溶ける。
無邪気な声が響く山の中、空を見上げれば青色が木々の隙間から広がっていた。
強い光を放つ星を直視しようとすればあまりの眩しさに目を開けていられずモーリスは瞼を閉じる。
「どう? 外は」
「……綺麗だと思います」
隣にしゃがみ込んだクリスティーナがモーリスに問う。
モーリスが返事をすればそれはさっきも聞いたわと彼女が笑った。
「思ったよりも白いですね」
「それは季節と場所の問題ね」
「雪が積もる場所には花が咲かないと、何かの文献で読んだ記憶があります」
「そうね。例外はあるかもしれないけれど。……山を下りればいくらでも見つかるわよ」
山を下りることをクリスティーナは勧める。
彼が少し残念そうにしていると思ったからだ。
だがモーリスは首を横に振った。
「……いいえ。多くを望めばきっと、もっと欲が出ます。ですから……ここまでで充分です」
「そう」
その時だ。
白い塊がクリスティーナの視界の端に映る。
それは彼女へ真っ直ぐ突っ込むが、幸いにもリオがそれを受け止めた。
クリスティーナの頭に当たりかけたのは雪玉だ。
「げっ」
どうやら手元を狂わせたエリアスの仕業らしい。
リオは溜息を吐きながら足元の雪をかき集め、限界まで圧縮する。
「主人に仇なすとは、ついにご自身の立場と身分すらわからなくなりましたか」
「ちょっ、待て待て待て待て!! それは死ぬ!」
「折角なら大きいものにしなさい。貴方なら持てるでしょう」
「畏まりました」
「クリス様ぁっ!?」
そこへ、雪玉を作るリオの横顔に別の雪玉が命中する。
「隙あり〜」
「……クロード様は普通に気配消す立ち回りが上手いですよね」
「雪山の中なら特にね」
体の不調を感じさせないようなはしゃぎ方をするクロードはいつの間にかリオの隙をついて彼の死角に回り込んでいた。
見事リオに攻撃を当てた彼は得意げに胸を叩く。
「……賑やかですね」
「そうね。おかげで退屈はしないわ」
モーリスは雪を掻き集めて仲間達の輪に入るエマを優しく見守る。
敵対していた事や、互いに過酷な道を歩いてきた事、この先にある未来の事。
それら全てを忘れられる程にこの場は平和だった。
「旅は楽しいですか」
ふとモーリスがクリスティーナへ問う。
もしかしたらあったかもしれない未来。
愛する人や友と外の世界を渡り歩く事だってあったかもしれない……そんな夢をひっそりと思い描きながら彼は問う。
「存外、そうでもないのよ。……少し前へ進む度に、色んなものを失っていく」
それは彼女が聖女という特性を持つが故の過酷さであるのだろう。
クリスティーナは静かに目を伏せた。
「でも、彼らとの出会いを意味のなかったものにはしたくない。だってそこには、確かに幸福があったのだもの」
冷たい風がクリスティーナのローブを揺らす。
美しい銀髪が靡く傍には眉根の寄った微笑があった。
「……だから私は、進んで来て良かったと最後に笑えるような旅をするの」
悲しさや寂しさを抱えているけれど決して虚勢ではない笑顔。それが痛々しくもあり、美しくもあるとモーリスは感じた。
「……貴女に出会えて良かった。クリス様」
ふと溢れた言葉にクリスティーナは目を瞬かせる。
「…………私もよ、モーリス」
やはり彼女はどこか苦しそうに笑った。
歪だが、とても優しい、温かい笑顔だった。
雪まみれになった四人が焚き火で衣服を乾かし終えた頃。
洞窟の前に立つモーリスとエマは自分達の対面に立つクリスティーナ達と向き合う。
「大変なご迷惑をおかけいたしました」
「そうですね」
「おい、こういう時くらい気の利いた返答しろよ」
「根に持ってるなぁ」
「構わないわ。結果として全員無事なのだし……貴重な情報も得られたもの」
クリスティーナの言葉を否定する者達はいなかった。
モーリスは深く頭を下げながらも微かに笑みを溢す。
「本当にありがとう。気を付けて」
「ええ。……エマ」
「うん」
クリスティーナに呼ばれたエマは、彼女のもとへ向かうより前にモーリスへ振り向く。
そして両腕を広げると彼を優しく抱きしめた。
モーリスは何も言わずに彼女を抱きしめ返した。
「貴方は一人ではないわ、モーリス」
「はい、エマ様。……ありがとう、ございました」
離れる事を惜しむように二人は暫くその場を動かなかった。
やがてどちらともなく腕の力を緩め、相手を解放する。
向き合った二人は互いに相手へ笑い掛けた。
そしてエマは一歩、二歩とモーリスから距離を取るように後退してから彼に背を向け、クリスティーナへと近づく。
彼女から伸ばされた両手をクリスティーナは受け取った。
エマの両手をしっかりと包み込む。
「温かいね」
「そうね」
クリスティーナは小さな嘘を返した。
「『願い事』を聞いてくれてありがとうクリス」
「構わないわ。……もう、慣れているもの」
深呼吸を一つすると、込み上げてくるものがエマの瞳に留まる前にとクリスティーナは魔法を行使する。
クリスティーナとエマの体が光に包まれた。




