第770話
訪れた沈黙は城から国の端へと広がる。
小国が滅びるまでに時間はそうかからなかった。
エマを殺したのは城の者とルフィーノ、自分――そして、国の在り方そのものだった。
怒りと憎しみを抑えられなかったモーリスは与えられた力を利用して国中の人々を屠った。
最後の一人を殺した後、彼は城へと戻る。
彼は綺麗なまま残されていた客室のベッドまでエマを連れて行く。
初めは彼女をベッドに寝かせてやろうと思っていた。
しかし途中で彼は込み上げる感情を押さえ込むようにエマを強く抱きしめ、その場にしゃがみ込む。
目的を失ったモーリスは動こうという気にもなれず、何時間もそのままじっとしていた。
「気は済んだ?」
ふと、後ろから声が聞こえる。
あの少年の声だ。
「……まさか」
今の気持ちがどれだけ最悪なものであろうとも、モーリス自身が望んだ結果を与えたのは紛れもなく例の少年だった。
彼の言葉にはきちんと答えてやるくらいの義理はあった。
「参ったなぁ。キミみたいな子は初めてだ。大体みんなボクが力をあげれば満足するか、目的を果たそうと必死になるのに」
「目的ならもう果たされました」
「にしてはあまりにつまらなさそうでガッカリしてるんだよ〜。さっきまでのキミは誰よりもいきいきとしてて面白かったのになぁ」
彼を楽しませる事ができなければ自分もルフィーノのように見限られて死ぬのだろうかと、モーリスは漠然と思う。
だが同時にそれも良いのかもしれないと考える。
エマを失い、国は滅んだ。
この喪失感と悲しみを抱えたまま独りで生きる事はあまりに苦しいと思った。
ならばいっそ大切な人の傍で眠りたい。
彼が何も手を下さずとも自ら命を絶ったって良い――
――そこまで考えが動いたところで少年がモーリスの顔を覗き込む。
鋭い牙を見せながら少年は口角を釣り上げる。
「生き返らせてあげようか?」
「……え」
「その子」
「そんな事」
「――出来るよ」
少年はモーリスを見つめ続ける。
彼は再び『出来る』と口にした。
「そもそも、キミはボクの他の眷属をもう見たでしょ? あいつの致命傷がすぐに癒えるよう体を作り替えてやったのだってボクだ」
「でも、ルフィーノ様は心臓を突いたら死にました。生前の彼は確かに体の丈夫さについて腹に穴が空こうとも問題はないと謳っていた。……しかし、左胸にナイフが刺さっていても生きていられた事についてはこうも言っていた。『心臓を避けていた』、と。……つまり、心臓を貫かれれば彼は死ぬという事です」
「なぁるほど。だからあの時、迷いなく心臓を突いたんだね」
「僕や彼はの体は確かに人から大きく遠ざかり、脅威的な身体能力や回復能力を手に入れた……しかし、それだけだ。きっと心臓や脳……即死してしまうような部位に攻撃、あるいは回復速度が間に合わない攻撃を受ければ死んでしまうのでしょう」
モーリスはエマの顔を見つめ、顔を顰める。
伏せられた彼女の目が再び開くような、そんな術が本当にあるならば、迷う事なく飛び付くだろう。
しかし、その一方でそんな事はあり得ない。期待してはいけないと傷付くことを恐れた声がモーリスの胸の奥深くから叫ぶ。
「それはボクがキミ達に分けてあげる力の質や量を決められるからに決まってるじゃん。むしろキミ達のように力をあげないでいいならもっと楽だよ」
モーリスは少年へ視線を戻す。
彼は一度だって目を逸らす事なくモーリスを見つめ続けていた。
両目に込み上げる熱があった。彼の瞳が大きく揺らぐ。
彼が嘘を言っているようには見えない――否、嘘でなければいいと思った。
自分の腕の中で眠るエマの重さをしっかりと感じながら、彼は掠れた声で言った。
「……おねが、いします…………」
「うんうん、任せてよ」
少年はエマの額に手を伸ばす。
聞き覚えのない、長い呪文が彼の口から紡がれる。
それが止んで十秒程の間は何も起こらなかった。
しかし期待を拭いきれないモーリスは願うようにエマを見つめ続け、その時を待った。
そんな時だった。
エマの瞼がぴくりと動く。
それに気付いたモーリスはしかし過度な期待を抱かないよう、幻覚かと警戒するようにエマを見守る。
だがそんな彼の懸念を払拭してやるように、エマは長い睫毛を震わせた。
ん……」
小さな声と共に彼女の目がゆっくりと開かれる。
緩慢な動きで瞬きを繰り返したエマはやがて不思議そうな顔でその瞳にモーリスの姿を映す。
「……モーリス?」
聞きなれた声が名を呼ぶ。
二度と聞く事はなかったはずの声。
それを聞いた途端、これまでのエマと過ごした時間が脳裏に過ぎっては消えていく。
何も知らないと目を丸くして自分の姿を映す少女。
その目に光が灯っているという現実だけで、モーリスの心は救われたような気がした。
「……泣いてるの? モーリス」
目を覚ました少女は青年の頬を伝う涙を指先で救って拭いとる。
その声がどれだけ望んだものであるのか、本人が知る由もないのだろう。
少女はモーリスの気も知らずに柔く笑い、その雫を袖で拭い取った。
「泣かないで、モーリス」
彼女の望みとは裏腹に、モーリスの口からは嗚咽が溢れ出し、その部屋には暫く彼の啜り泣く声だけが響くのだった。




