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悪女と名高い聖女には従者の生首が良く似合う  作者: 千秋 颯
第六章―太古の砦・小国パーケム――エンフェスト山脈 『眠る氷城』
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第764話

 日光の役割をする人工的な光が国中から消えた夜間。

 エマの事が頭を過り、なかなか寝付けなかったモーリスは外の空気を吸う為に建物の外へと出る。

 人気のない庭を歩いていると庭園のベンチに腰を掛ける人物を見つける。


 そこにあるはずのない姿を見たモーリスは驚き、足を止めた。

 唖然として立ち尽くすモーリスが相手に声を掛けるより先。

 ベンチに座る人物がモーリスの姿に気付いた。


「モーリス」


 ボサボサとした桃色の髪の下、虚な目がモーリスへ向けられる。

 エマは引き攣り、歪な笑みを向けた。


「……エマ」


 こんなにも憔悴している彼女の姿を見るのは初めてだった。

 モーリスの顔は自然と強張り、言葉を失う。


「座らないの?」


 エマは空いている自分の隣を見つめる。

 しかしすぐに自嘲した。


「座らないでしょうね」


 諦めと絶望に染まる瞳を放っておいてはいけないと強く思った。

 モーリスはぎこちない動きながらも彼女の隣に腰を下ろした。

 何故こんな場所にいるのか疑問に思ったし、弱っている彼女を何とか元気付けたいとも思った。


 しかしモーリスは何も言えない。

 結局暫く沈黙が続いた後、口を開いたのはエマだった。


「モーリスっていつもそう」


 俯き、流れた髪の下で鋭い視線がモーリスを貫く。

 釣り上げられた口角は酷く震えていた。


「都合の良い事しか言わない。大切な時に私の肩を持ってくれない。私の味方だって顔をする癖に、誰もいないところでしか味方でいてくれない……!」

「……っ! エマ……!」

「いらない! いらない、いらないいらないいらないぃっ!! 言い訳なんて聞きたくない!」


 エマは甲高い悲鳴を上げる。

 髪を掻き毟り、引き千切り、蹲った。


「エマ!」

「触らないでっ!!」


 モーリスはエマが傷つかないようにと彼女の両手を掴んで自傷を止める。

 しかしエマの気は治らず、モーリスの手を振り払おうと暴れ続けた。


「どうせ貴方も私を疑ってる!」

「違う!」

「違わない!」

「僕の話を聞いてくれ、エマ――……っ!」


 その時、暴れていたエマの爪がモーリスの顔を引っ掻いた。

 一瞬鋭い痛みが走ったと同時、頬を血が流れる。


「……っ! モーリス」

「大丈夫だから」


 痛みに顔を歪めたモーリスを見て、エマが我に返る。

 彼女は怪我を負ったモーリスよりも深く傷付いた顔をしていた。


 意図せずして相手を傷付けてしまい、思わず動きを止めてしまった彼女の隙をモーリスは見逃さなかった。

 モーリスはエマの腕を引き寄せ、強く抱きしめる。


「……ごめん。確かに僕は無難を理由にどっちつかずな選択ばかりをしていた。エマと違って普通に生活出来ていたことに甘えていたんだと思う」


 エマはこれまで底抜けの明るさを常に見せて来ていた。

 だからモーリスも自然と彼女は大丈夫なのだと思い始めてしまった。そしてエマが大丈夫ならばと現状維持しか選択肢に入れていなかった。


 だが彼女が見せていた明るさも強さも全て偽りであり、弱さを隠す為の盾であった事にモーリスはこの時漸く気付けたのだ。


(僕はいつの間にかエマの事を知ろうとしなくなっていた。……何も、理解していなかった)


「ごめんね、エマ。……ごめん」


 エマが自分の腕から抜け出し、離れていかないようにしっかりと抱きしめる。

 小さな肩の震えは次第に大きくなり、彼女の小さな嗚咽はやがて大きな泣き声へ変わった。


 子供のように泣きじゃくるエマの悲痛な声に自身の瞳も潤み始める事に気付いたが、モーリスはそれを何とか耐え、静かにエマの背中や頭を撫で続けた。


「……エマ」


 やがて彼女の泣き声が啜り泣く程度の大きさにまで収まった頃、モーリスは彼女の名前を優しく呼ぶ。

 返事はなかった。でも聞こえているだろうと踏んだ上でモーリスは話を続ける。


「逃げようか」


 小さく息を呑む気配があった。

 モーリスは眠る前の子供に物語を聞かせるような優しい声で自分の思い描く夢を語る。


「確実性とか、危険とか、そんなのはどうでも良かった。エマの苦しみが続く事の方がずっと避けないといけない事だったんだ……気付くのに遅くなってごめん」

「で、でも」

「大丈夫。この城に一番詳しいのは僕だし、地下まで辿り着けば結晶を使って逃げられる。それに、君がこうして夜を抜け出せているのは皆んなが怯えているのと……これまで君がルールを守って来たから。そうだよね?」


 エマは監視の目が少なくなる夜間は部屋から出る事を禁じられている。

 彼女はそのルールを一度だって破った事がなかった。そうする理由が大してなかったこともあるが、何よりも人々と衝突したり刺激することを避けたかったからという彼女の優しさも理由の一つだった。

 また部屋の近くには見張りがいるはずだが、実際、エマがこうして抜け出せている事を考えれば、監視役は彼女の『呪い』を恐れて人にバレぬよう使命を放棄しているらしいという推測にまで行き着く。


「なら、それを利用すればいい。寧ろ今はこれ以上ない好機だ」


 不安と喜びに板挟みにされているエマは未だ言葉が出ず、モーリスの腕の中でただ唖然とする。

 そんな彼女へモーリスは更に声を掛けた。


「サンクトゥスへ行くのはどうかな。ルフィーノ様の母国で……僕達が知る数少ない国だから、全く知らない場所よりはマシかなと思って」

「家はどうするの?」

「行ってから決めよう。暫くは野宿でもいいかもしれないね。……あの本の二人だってそうしてた」

「…………読まないって言ってたのに」

「案外、結末を知っていてもつまらなくはなかったかな」


 腕の中で小さな笑いが聞こえ、モーリスは胸を撫で下ろす。


「大聖堂の中には一般人でも入れる庭園があるらしい。そこなら生花が沢山植えられているところが見えるから、エマもきっと楽しいと思うよ。……それにここみたいに舐められるのが嫌なら、身分を偽って貴族になってみたっていい」

「あの本みたいに?」

「あの本みたいに。まああの本の彼女は本当の貴族だったけど」

「モーリスが従者役になるの?」

「やってみたっていいよ。滑稽だろうけど」

「絶対似合わないわ」


 気が付けば今までと変わらない軽口が交わされる。

 今まで何度だって感じて来た暖かさはしかし、酷く久しぶりに感じた。

 二人は肩を揺らして無邪気に笑う。


「……それじゃあ、明日の夜。必ず迎えに行く」

「…………うん。待ってる」


 愛麻の涙が止まった頃、二人は顔を見合わせて笑い合う。

 そして二人は月も星もない夜空の下、翌日の逢瀬を約束して別れたのだった。

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