第759話
『余所者』が城は住まうようになってから一ヶ月が経った頃。
その頃には彼は城の関係者らの中に馴染んでおり、誰もが彼を慕っていた。
だが国民の異常なまでの排他的思想、そして容姿の違いから受けているエマに対する迫害。
それらを知っているモーリスは彼らの様子に大きな違和感と嫌悪を覚えていた。
「へぇ、そんなに好かれてるんだ」
「すごいよ、本当に。ずっと嫌ってた余所者が我が物顔で城内を闊歩することは許されて、同じ国民のエマに対する差別は終わらないって、普通に理解できないでしょ」
「珍しく怒ってるのね」
「当たり前でしょ。友人がずっと酷い扱いを受けているのに、この状況で怒りを覚えない方がおかしい」
相変わらず図書館で落ち合う生活を続けていた二人はこの日も待ち合わせをしていた。
テーブルの上で学術書を広げながらも、モーリスの目は文字を追っていない。
だがエマは余所者の話を聞いても諦めたように微笑むだけだ。
どれだけ多くの人々から冷たい目をされようとも彼女の心は折れず、いつもと変わらない穏やかな振る舞いを続ける。
その心の強さに感心する一方、人々へ期待する事を諦めたエマの姿は日頃モーリスに見せる子供らしさとは大きく異なり、それがモーリスの胸を強く締め付けた。
「皆んな私の事を嫌っているのは今に始まった事じゃないでしょ。その、外から来た人――ルフィーノさん? が特別な人柄ってだけだよ」
『特別』そんな言葉でこの奇妙さを片付けて良いものかとモーリスは尚も現状の不可解さに顔を顰める。
「そもそも外ってもっと高く遠い場所にあるんだ。付近に迷い込んだとして、深い谷底までどうやって彷徨い歩くんだって話だよ。それに、ずっとここに居座っているのもおかしな話だと思う。何か目的があるんじゃ」
「そうやって周りの人全員を敵のように見ちゃうのはモーリスの悪いところだわ」
「疑うに越したことはないよ。杞憂で済むならそれでいいし……警戒せず大事に発展する方が最悪だからね」
「それじゃ他の人と同じじゃない? 皆んなが他所の人を嫌がっていたのだって何を企んでいるのかわからなくて怖いからでしょう? そして皆んなはルフィーノさんから警戒する必要がないと判断する何かを感じた。それだけだよ」
「僕は他の人とは違う。別に理由もなく毛嫌いしてる訳じゃないよ」
軽蔑している人々と同列にされた事が気に入らなかったモーリスは本に視線を落としたままやや早口に言った。
モーリスが臍を曲げた事に気付いたエマは「はいはい」と軽く聞き流し、話題を変えようと考える。
その時、彼女の視線が別の場所へと縫い止められる。
「あ」
「何?」
エマの声に釣られて顔を上げ、彼女の視線の先を見る。
するとその先には人々とは違う構造の服に身を包む青年がいる。
彼は両目を閉じ、ゆっくりとした動きで前へ進んでいる。
「どなたかいらっしゃいますか?」
彼は目を閉じたままモーリスとエマのいる方へ顔を向ける。
その人物こそが今まさに話に上がっていたルフィーノだった。
異国の民である彼は盲目だった。
障害物や通行人を避ける事に長けた彼の優れた感覚は聴力によるものだった。
恐らく近くを歩いている時にモーリスとエマの話し声を耳が拾ったのだろう。
「モーリス」
「……わかったよ」
どれほど離れた場所にいるかもわからない相手に声を掛け続けるルフィーノ。
その姿を可哀想に思ったエマが嫌な顔をしているモーリスに席を立つよう促した。
モーリスは渋々席を立ち、ルフィーノの元へと向かう。
「ルフィーノ様」
「……あ。その声はモーリスさんですか?」
「はい」
「こんにちは」
「こんにちは」
ルフィーノは声という情報だけで人々の名前を結びつけて覚える事ができた。
その才をいかし、彼は城の殆どの者と仲を深めたのだ。
エマもモーリスも彼と話した事がある。
モーリスは彼と関わる事をなるべく避けていたが、彼は他者の存在に気が付くとすぐに話し掛けてくる。
特にモーリスに対しては喜んで声を掛けて来るような節があった。
「どこか向かわれたい場所があるのならばご案内いたしますが」
「あ、いや。そういう訳ではないのです。ただ、この辺りを散歩していた時にどなたかがお話をしていたみたいでしたので、良ければ輪に混ぜていただけないかと思いまして」
「はぁ」
たまったものではないとモーリスは心の中で叫ぶ。
折角幼馴染水入らずの中に他者が入り込めば、モーリスはその視線を気にしてエマとろくに会話もできなくなる。
何より今の心境を鑑みれば、彼と仲良く談笑など出来る訳もなかった。
「大した話はしておりませんよ」
「そうなのですか? あ、もしやお仕事中でしたか」
「……いいえ」
嘘でも吐いて追い返す事ができれば良いのだが、それは難しい。
図書館でモーリスが仕事をする事はないし、彼が勉学の為に入り浸っている事も周知の事実だ。
下手に嘘で誤魔化せばルフィーノがその話を他者へ流した途端嘘がバレてしまう。
そうなれば城の人々は何か後ろめたい事があると邪推するだろう。
「エマ様にお声を掛けていただいていたのです」
「おや。ではエマ様もお近くに? でしたら尚更、お話しにご一緒させていただきたいです。エマ様は高貴なご身分とお伺いしておりますから、あまりお話しする機会が見つからなくて」
モーリスは暫し返答に迷い、黙りこくる。
しかしここから穏便に断りを入れる方法も筋の通った言い訳で流れる方法も思い付かなかった彼は仕方なしに首を縦に振るしかなかったのだった。




