第756話
地底に広がる、小さな国。
そこにまだ多くの民が生きていた頃、一人の少女が神格化され、城の奥で大切に守られていた。
しかし国民達は少女の前では彼女を持て囃しながら、影では彼女を恐れていた。
彼女という存在が齎すかもしれない不幸に目を光らせ、城の外へ出る事を禁じ、それを不審に思われないよう上辺だけで取り繕ったのだった。
幼少の頃、モーリスとエマは家が近かった。
親同士の仲も良く、互いの顔を見る機会もあった。
だが、交流は殆どない。
エマは家の中から出る事が殆ど無かったのだ。
後から知った事だが、双方の親がモーリスとエマが接触する事を避けていたらしい。
モーリスの親は友人の子供に強い言葉を使う事ができず、気味が悪いと思いながらも彼女の陰口を言う事も出来ないという窮屈さを感じていた。
エマの親もまた、自身へ対する友人からの気遣いに気付いており、だからこそ友人が少しでも不快な感情を抱かずにすむ事を考えていた。
そして双方の何よりも大きな理由。それは――モーリスの身に『何か』が起きないようにというものであった。
我が子の身を案じる親と、我が子の存在が友人の子を危険に晒すかもしれないと考える親。
彼女達によって二人は互いについて顔以外の何も知らなかった。
そんな二人の関係を変えたのはモーリスだった。
話した事はないが、頻繁に通う家に住まう同じくらいの歳の少女。その存在に興味を抱く事も自然な事であった。
モーリスは親の目が離れた瞬間を見計らい、エマの部屋へ潜り込む。
そして彼のこの行動が二人の仲を進展させるきっかけになった。
今まで見た事がなかった髪と瞳の色は魅力的に映ったし、実際に話してみれば素直で無邪気な、愛らしい少女だという事もわかった。
幼く純粋だった二人が仲を深めるのには一時間もかからず、双方の親がモーリスの居場所を知った頃には今までのように二人の接触を防ぐ事も困難な程に関係が構築されていた。
それからモーリスは愛麻の家へ向かえば必ずエマに会いたがったし、親からそれを止められれば異を唱えた。
親同士の交流が自身の家で行われるようになれば勝手に家を抜け出し、窓を挟んでエマと話をした。
そんなモーリスの姿を見た大人達は無理に引き離しても意味がないと悟り、モーリスの好きにさせてやる代わりに監視の目を光らせる事を選んだ。
お陰でモーリスとエマは二人でいられる事も増え、それによって二人の関係はより一層深くなっていった。
親に体の異変や自身に降りかかった危険の有無などを頻りに聞かされたが、それに違和感を覚えたのはモーリスの歳が十を超えてからのことであった。
エマの外出は変わらず許されず、また自分以外の人々は彼女に冷たい眼差しを向ける。
理由を問えば見目の違いだけだった。周囲の者と姿が違うだけで災害や呪いなど荒唐無稽な話が上がった。
長い間親しくしていたモーリスにとっては根も葉もない噂でしかなかったが、大勢にとってはそれが常識であり、誰もがそれを信じていた。
やがて人々は表向きにはエマを特別な存在として城へ招き入れ、彼女が隔離された真の意味を理解していたモーリスは納得がいかないと抗議した。
だが政治的な発言力を一切持たない一市民の声には誰も耳を貸さなかった。
モーリスは周りの様子から自分がいなければエマは孤独になってしまうと確信していた。
だからこそ彼は人々にも認められる形でエマの傍にいられる方法を探したのだ。
可憐な笑顔を咲かせる少女を泣かせたくはなかった。
***
「びっくりしたよね、本当に。まさかモーリスがこんなところにいるなんて思わないでしょう?」
城の中にある大図書館。
その中央に並べられたテーブルに肘を突きながらエマは明るく言った。
「僕だってエマがこんな事になってなければ家でのうのうと過ごしてただろうね」
「私のせいで激務に追われてるっていう風に聞こえるのだけれど」
「まあ、無関係ではないよね」
「モーリス?」
「冗談だよ」
「意地悪!」
軽口を交わし、顔を見合わせれば思わず笑いが込み上げる。
声を上げて笑い掛けた二人はここが図書館である事を思い出し、慌てて口を両手で塞いだ。
ここまでの二人の動作があまりに一致していたせいで二人は互いに目を丸くした。
折角堪えた笑いが更に溢れ出しそうになり二人は暫く何も言えないまま肩を震わせるのだった。
「……まあ、普通に考えてエマ以外の人のせいでしょ」
「ちょっと……っ」
「確認してるに決まってるだろう?」
エマが焦りを滲ませながら辺りを見回したのを視界に収め、モーリスは声を掛ける。
エマの扱いに対する不信感を抱いている事が城の人間の耳に届けば、こうして互いの自由時間を擦り合わせて会う事が叶わなくなるどころか、モーリスの風当たりも強くなる。
エマはそれを危惧していたのだが、当の本人は涼しい顔で自分の前に広げた本に目を通していた。
彼の落ち着きようと、実際に周囲に人の姿がない事から、無駄な心配だったと気付いたエマは困ったように眉を下げながら苦笑したのだった。
 




