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悪女と名高い聖女には従者の生首が良く似合う  作者: 千秋 颯
第二章―魔法国家フォルトゥナ 『魔導師に潜む闇』
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第80話 世界の全て

 腰を下ろしている位置の都合から、窓の奥を覗き見ることは叶わない。

 それでもその先にいる存在を思い、リオは優しく微笑んだ。


 戦闘は確かに心が躍る。

 しかしリオを虜にするものは別にあった。

 彼の心を最も大きく揺さぶり、時に狂気染みた闘争への渇望すら消し飛ばすような存在。


「あの方は俺の全てなんです」


 ゆっくりと紡がれる言葉にエリアスは目を剥く。

 それを横目にリオは小さな笑いを漏らした。


「大仰でも何でもないですよ。そのままの意味です」


 リオは視線を夜空へと戻す。

 遥か彼方で光を放つ星々が、彼の瞳を優しく照らしていた。


「何も持ち合わせていなかった俺に全てをくれたのはあの方です。俺に生きる意味をくれたのも、世界の美しさを教えてくれたのも全てクリスティーナ様でした」


 自分の胸へ手を当てて、確かに動く鼓動に耳を傾ける。

 その音に集中するように睫毛を伏せる彼の表情からはクリスティーナへの愛おしさが溢れていた。


「本当に……この身に余る程、簡単には語り尽くせない程のものを頂きました」


 閉じた瞼の裏で思い浮かべるのはこれまで見てきたクリスティーナの姿、その数々。

 ゆっくりと持ち上げた瞼の下で、赤い瞳が決意に満ちた強い光を宿す。


「俺はそれを少しでも返したいんです。過酷な道の先で、どのような形であれあの方が幸せになってくれること。その一端を担えることこそが俺の幸せです」


 視線の先を真っ直ぐと映す瞳。

 しかし話の間に一息吐かれたその時、彼の瞳が憂うように揺らいだ。


「そして俺が最も恐れているのはあの方の死に他なりません」


 人気のない学生寮の脇。

 見慣れない風景を視界に留める二人の脇を冷たい夜風が通り過ぎる。


「あの方が世界を去れば俺はこの世界に取り残され、生きがいを失い、未だかつてない苦しみに苛まれることでしょう」


 風に巻き上げられる黒髪。

 乱れる長い前髪の下で、リオは自嘲気味に笑った。


「俺は望んでこの生を終えることが出来ません。一度取り残されてしまえばあの方の後を追う事すら許されない」


 何度危機に瀕し、何度殺されようとも一度たりともみせなかった恐怖の面影。

 それが笑みの裏から顔を覗かせていた。


「あの方のお傍にいられなくなること。俺はそれが怖い。あの方は俺のただ一つの光であり、俺の存在意義ですから」


 齢十六にして世の不条理に巻き込まれた一人の少女。

 小さな背に負うにはあまりにも大きなものの数々。


 常に気丈に振る舞う少女がどんな時でも己を見失わない強い心を持っていることをリオは知っている。

 だがそれ以前に彼女は一人のただの少女なのだ。その身一つで背負えるものには限界がある。そして若さ故に純粋で不安定な一面を持ち合わせていることも知っている。


 立場を代わってやることが出来ずとも、せめて彼女の心を軽くしてやれればと思う。

 リオの瞼の裏を、満面の笑みを花咲かせる幼いクリスティーナが過った。


「例え永遠にお傍へ居続けることが出来ないとしても、少しでも長くあの方へお仕えしていたいのです」


 今は殆ど鳴りを潜めた主人の笑顔。それに思いを馳せる。

 苦境を越えた先で何かを気にせずとも彼女が笑い続けられる未来を築く。その手助けをする。

 それこそがリオの望みであった。


「俺の望みを叶える為にも、俺が恐怖から逃れる為にも、あの方の無事は必要不可欠なんです」


 一部始終、主人を思う優し気な顔を見ていたエリアスは息を呑んでいた。

 和らげる目元、自然と緩む口角。日頃浮かべる社交的な微笑みとはまた違った、温かい微笑み。


「……どうでしょう。少しは疑いも晴れたでしょうか」


 それを浮かべながら、リオはエリアスへ顔を向けた。

 その視線に一瞬だけ身構えながらもエリアスは彼の話を思い返す。

 証拠と言えるようなものはない。しかし彼が見せた表情の変化はどれも今までの付き合いからは見られなかったものであり、エリアスにはそれが偽装であると到底思えなかった。


「ああ」


 様子見は必要かもしれない。しかし彼の先までの発言、そして何度もクリスティーナを守る為に最善を尽くしてきたという事実。それらを鑑みれば警戒すべき対象としての優先順位は低いと見ていいだろう。


 エリアスは微笑を浮かべ、小さく頷きを返す。

 そして相手から目を逸らすと彼は立ち上がる。その様子に隣に座っていた男は目を丸くした。


「何故顔を赤らめるんですか」

「いや……っ、だってさ」


(あんだけ真っ直ぐな気持ちを見せられちゃあ、聞かされてるこっちが気恥ずかしくなるっての)


 指摘を受けたエリアスは咄嗟にリオの視線から隠すように片手を顔へ添えた。

 口籠った彼の言葉がリオに伝わることはなかったが、その胸の内でエリアスはこっそりと言い返した。


「……さて、向こうもいい頃合いかもな。戻るか」

「そうですね」


 話題を逸らしながらエリアスが窓へ手を掛ける。

 リオもまたそれに同意し頷いた。しかし彼が部屋へ通じる窓を開ける手前でリオは薄い唇を再び動かす。


「リンドバーグ卿」

「うん?」

「先の話の続きですが」


 窓に手を掛けたまま、エリアスは振り返る。

 双方の視線が交わったところで、リオは話しを再開した。


「俺はどのような理由があれ、お嬢様に危害を加える者は悪だと思っています。今後もこの考えは変わらないでしょう」


 ですから、と結論へつなげる言葉を呟くリオ。

 その顔には微笑みが湛えられているものの、彼の目は先とは打って変わって鋭く光っている。

 それは強い意志の表れのようにエリアスは感じた。


「もし万一にも、俺がお嬢様へ危害を加えることがあれば……迷わず俺を殺してください」


 何か懸念していることや確信していることがある訳ではなさそうだ。しかし念には念を、保険として目の前の男は話しているのだろう。

 そこまで彼の心情を読み解きながら、エリアスは顔を顰めた。


「それがどんな理由であれ、です」


 リオは自身の心臓辺りを指で示す。


「殺したとて俺はすぐに息を吹き返すでしょう。けれど、お嬢様を守る為の多少の時間稼ぎにはなるはずです」


 淡々と話す癖、本気であると物語る視線。

 それを受け、エリアスは深く息を吐いた。


「お前の覚悟はわかったよ。万一にでもそういうことがあれば、言われずともそうなるだろうさ」

「心強い限りですね」


 仮にも命に関わるような話題へ移ろいだせいだろう。

 暗い空気になってしまった状況に対し居心地の悪さを覚えたエリアスは自身の髪を乱暴に掻き上げながらわざと明るい声を出す。


「あー、やめやめ。こんな話もうやめにしよーぜ。オレ、重っ苦しいの嫌なんだよな」

「そうですね。あまり難しい話をしてもリンドバーグ卿相手ではすぐに限界が来そうですし」

「おい! どういうことだよ!」


 ここぞとばかりに突き出される皮肉に噛みつきながら、エリアスは手を掛けていた窓を開ける。

 和気藹々としながら部屋へ入ろうと視線を前方へ向けるがしかし、エリアスの動きはそこで止まった。


 目の前に広がるのは部屋に残っていたクリスティーナとノアの姿。

 しかし妙だったのは自分達の主人の髪がぐちゃぐちゃに搔き乱されている最中であり、その頭の上にはノアの両手が添えられていたというところだ。

 ノアの手首に掴みかかっている主人を見る限り、抵抗をしている最中なのではないかという予測は立てられる。


 自分とは比べ物にならない程尊き立場のクリスティーナ。そして彼女が轟かせていた悪名。

 それらを思い浮かべながらエリアスは顔を蒼白とさせた。


「ひぃっ……の、ノアお前……っ」

「あ、二人ともおかえり」


 なんてことをと思わず短い悲鳴を上げるエリアスを他所に、ノアは朗らかな笑みを浮かべる。

 しかしその表情も長くは続かない。


「……あ」


 ノアはエリアスの背後を見つめると何かに気付いたように声を漏らした。

 そして自分の両手とエリアスの背後を交互に見た後、その顔を見る見るうちに強張らせる。

 その視線を辿るようにエリアスも振り返れば、ノアが顔を強張らせた理由を目の当たりにすることになる。


「ひぇ……」


 エリアスの背後に立つ存在は先程まで話していたリオ一人だ。

 彼は日頃の微笑を消し飛ばし、最早外面など気にした様子もなくノアを睨みつける。

 凍てつくように鋭く光る眼光と重圧的な雰囲気。

 彼はエリアスですら怯むほどの気迫を纏っていた。


「これはどういう状況ですか?」

「り、リオ、落ち着いてくれ。一旦話を――」

「あっ」


 即座にクリスティーナから離れ、両手を持ち上げるノア。

 しかし彼の言葉が最後まで紡がれることはなく、リオは一瞬にしてその姿をエリアスの傍から消した。

 彼が高速で移動したことに気付いたエリアスは声を漏らしたが、その頃には既にノアの背後で人影が揺らいでいる。


 目にも止まらぬ速さで部屋へ上がり込み、ノアの背後をとったリオはそのまま相手の片腕を捻り上げ、その場で組み伏せた。


「あだだだだっ、ギブギブ、ギブだってぇっ!」

「お嬢様へ仇なす腕はこちらですか? これ以上害を及ぼす前に処分しておきましょうか」

「君、物騒なことを言う時毎度目が本気なのやめないかい!? 怖いよ!!」


 辛うじて微笑を取り繕ったものの、リオの瞳の冷たさは変わっていない。

 彼は冷え冷えとした視線でノアを見下ろした。


「ああノア……いい奴だったなぁ……」


 痛みと恐怖に悲鳴を上げる友人の末路を離れた場所から見届けるエリアスはその場に静かに手を合わせた。

 一方で頭を撫で繰り回す手から解放されたクリスティーナは自身の髪を整え直しながら、再び戻った騒がしさに呆れ混じりのため息を吐いた。


 騒々しくはあるが煩わしくはない。そんな賑やかさを齎しながらも時間は刻々と過ぎ去っていく。

 夜はどんどんと更けていった。

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